ご由緒
妻も一緒だ。
所謂神主の名前は古くからご存じと思う。宇佐八幡でも聞く名前だ。大神氏である。小倉には到津八幡があるが当然宇佐八幡の関係で到津氏もいる。
門司港和布刈神社へと向かうと右手に古城山が坐す。その古城山に陣取って門司関を固めていたのが平知盛である。何故今頃こんな記事をと思われるかもしれぬが1185年(寿永4年)(平家の元号とされる)3月24日壇ノ浦の戦いで安徳天皇、二位の尼らが入水自殺し、平家の滅亡を目の当たりにした知盛も入水自殺したのである。833年になるな。
甲宗八幡神社
神功皇后の甲が御神体である。応神天皇、神功皇后、宗像三女神が御祭神である。
うーむ。良くここまで復元してくれたものだ。修復復元し国指定ともなった古墳もあるがここは違うぞ。この姿は殆ど築造当時に近いだろう。素晴らしいの一言だ。
酢屋の坂を登ると北台武家屋敷である。こちらは格の高い武士の屋敷が並んでいる。きつき城下町資料館は南台武家屋敷のなかにある。
主体部は二基あり最初に造られた主体部は大分県下最大級の石棺である。
第二の埋葬施設は当然に第一主体部の近親者である。「私が死んだら王の横に埋葬してくれ(下さい)」と言ったのだろうな。