吉本隆明 昭和57年 角川文庫 改訂新版
ちょっと前にもどって、河合雅雄のサル学とかを読んでるのと同時期に、やっぱり「EV.Cafe」の登場人物つながりで、読まなきゃって思ったのが、これ。
多くの人に多大な影響を与えた、偉大なテキスト、らしいんだけど、実は、とても難解で、私は理解しているとは言えません。
そう思って、パラパラと、今回ページをあらためて繰ってみると、「全著作集のための序」にいわく、
>本稿が発表されてから四、五年のあいだにさまざまな批判がなされたが(略)もっとひどいのになると、自己の能力にあまるために、本稿のモチーフを把みとることができず、わたしの著作は、衝撃力を失っているという批判にまで、陥こんでいるものもあった。そうなれば、〈無智につける薬はない〉とでもいうよりほかない。
なーんて文があって、耳が痛い イテッ、痛てッ、いてぇな、っと…。
というわけで、なにが書いてあるか、ここで私が要約してサラサラと書くことは、できません。
たとえば、表現ということについていえば、政治的な表現とか、思想的な表現とか、芸術的な表現とか、ばらばらに見えていた問題が、統一的に見えるようになった、と。その統一する視点ってのは、なにかっていうと、「すべて基本的には幻想領域である」、と。その全幻想領域ってのを理解するためには、共同幻想、対幻想、自己幻想って三つの軸を考えていけばいい、と。ちなみに、政治とか法律とか国家とか宗教とかってのは、共同幻想の問題なんだ、と。
…ほらね、なにが問題で、どうして幻想としてとらえると物事が理解できるかって、わかんないでしょ?
持ってるのは昭和60年の七版。大学生協の文庫カバーに包まれてるから、大学一年目に読んだんでしょう(あのころはヒマだった)。
ちょっと前にもどって、河合雅雄のサル学とかを読んでるのと同時期に、やっぱり「EV.Cafe」の登場人物つながりで、読まなきゃって思ったのが、これ。
多くの人に多大な影響を与えた、偉大なテキスト、らしいんだけど、実は、とても難解で、私は理解しているとは言えません。
そう思って、パラパラと、今回ページをあらためて繰ってみると、「全著作集のための序」にいわく、
>本稿が発表されてから四、五年のあいだにさまざまな批判がなされたが(略)もっとひどいのになると、自己の能力にあまるために、本稿のモチーフを把みとることができず、わたしの著作は、衝撃力を失っているという批判にまで、陥こんでいるものもあった。そうなれば、〈無智につける薬はない〉とでもいうよりほかない。
なーんて文があって、耳が痛い イテッ、痛てッ、いてぇな、っと…。
というわけで、なにが書いてあるか、ここで私が要約してサラサラと書くことは、できません。
たとえば、表現ということについていえば、政治的な表現とか、思想的な表現とか、芸術的な表現とか、ばらばらに見えていた問題が、統一的に見えるようになった、と。その統一する視点ってのは、なにかっていうと、「すべて基本的には幻想領域である」、と。その全幻想領域ってのを理解するためには、共同幻想、対幻想、自己幻想って三つの軸を考えていけばいい、と。ちなみに、政治とか法律とか国家とか宗教とかってのは、共同幻想の問題なんだ、と。
…ほらね、なにが問題で、どうして幻想としてとらえると物事が理解できるかって、わかんないでしょ?
持ってるのは昭和60年の七版。大学生協の文庫カバーに包まれてるから、大学一年目に読んだんでしょう(あのころはヒマだった)。