many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

先を読む頭脳

2010-11-25 21:37:11 | 読んだ本
羽生善治・伊藤毅志・松原仁 平成21年・新潮文庫版
こないだの『進化しすぎた脳」とか、脳科学関係のつながりで、もうひとつ。
人口知能や認知科学を研究している学者さんが、将棋の羽生善治名人を題材にして、先を読むプロセスとか、ゲームが強くなる学習行動とかの研究について書いたもの。
というと、むずかしく固く聞こえるが、本書の構成は、羽生名人にインタビューして、それに対して研究者がコメントするというつくりで、ものすごく簡単にいうと「この道の第一人者は、やっぱ、こういうとこがすごい」って、あらためて解説するというか、読者といっしょになって驚いてくれるという感じなんで、べつに難解な議論をしているわけぢゃないです。
二人の科学者が最初に最も驚いているのは、羽生名人の自身を客観的に眺める視点、「メタ認知」能力です。羽生名人が、自身の思考のたどった道筋などを明快に説明できる力はすごいとほめています。
そのほかにも、パターンというか「良い形だ」と感覚で認識して判断できる人間の能力は、どうやって可能になってるのかとか。
将棋の研究をするときに、実際にコマを並べるというのは、能動的で身体的な学習であり、視覚と同時に触覚もつかって多様な表現と結びついてるから記憶や知識を強固にするとか。
人間の思考とか学習に関する重要な研究テーマがいくつかあげられています。
羽生名人自身の言葉で面白いのは、>序盤戦においては、自分が何をやりたいかというよりも、できるだけたくさんの可能性を残しておくこと、そして相手がどのようにやってきても対応できるような手を指すことに重点を置いています。というあたり。
後半で、コンピュータ将棋についても当然ふれられていて、人間はパッと見で局面を把握して、候補手を直感である程度しぼりこめるし、前からの流れで次の手を考えるけど、コンピュータにはそれらはできないので、その場その場で片っぱしから計算して、最も価値の高いものを選択するという考え方しかしない、っていうようなことが紹介されてます。
この本が単行本で出たのが平成18年らしいけど、コンピュータは、そのあとも着実に強くなってきてます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誘拐

2010-11-24 19:53:23 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光=訳 1989年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
最近読み返してる「スペンサーシリーズ」から。文庫版では7番目に出版されたけど、オリジナルでは『ゴッドウルフの行方』に次ぐ第二作として発表されたのが、これ。
依頼人の息子(失踪したので捜索を依頼されてる)が通う学校のガイダンス課のカウンセラー、ミセズ・シルヴァマンいこーる、今後のシリーズで重要な役目を担うスーザンと初めて会うのが、この作品。
シリーズ順番に読み返してんだけど、第一作でブレンダ・ローリングと出会い、第二作でスーザン・シルヴァマンと、これだけ読んだのでは、事件のたんびに依頼人の周辺の女性とよろしくなってく主人公の物語かと思っちゃうよね。
もちろん、それがメインテーマぢゃなくて、スーザンは今後の物語のなかでもレギュラーとして活躍するんだが。
この初っ端の事件においても、スペンサーはすでにスーザンと事件や被害者に関してディスカッションをしています。カウンセラーという職業でもあるから、只の恋人とは違うんだけど、いいのかなー秘密を漏らして?と思わないこともない。
(特にペリイ・メイスンとか読んだ後だとね。メイスンは法廷での偽証を防ぐために、秘書にも知らないままでいいことは言わない。)
しかし、スーザンと議論して、事件解決ってよりも、自分がどう行動すべきかってことを確認するってのが、スペンサーの生き方というか、小説の大事なテーマなんでしょうがない。
また、第一作、第二作と読むと、もしかしてこのシリーズって、不幸な家庭の子供に関する問題に直面するシリーズ?って思わないこともない。かわいそうな子供たちを、しょーもない親から、一人の自立したオトナであるスペンサーが救おうとするというか。
まあ、物語のスジはどうでもいいとして、この話のクライマックスは、終盤でスペンサーが事件解決するために戦うところでしょう。
所持している拳銃にものを言わせて相手を捕まえちゃえばいいところを、敢えて素手での殴り合いを選択します。
それが自分のためでもあるし、事件に関係してる人々のためでもあると、ちょっと変わった現代の騎士道精神みたいなもんでしょう。(←ちょっと違うな。でもこれ以上書くとネタバレだし。しかし、私はこの場面がすごく好きだ。)

どうでもいいけど、『約束の地』の文庫版の解説で、“スペンサーは、いったいいくつなんだろう。”と疑問というか興味をもった解説者が、野球やボクシングに関する経験や選手名などから、この年齢不詳な探偵のトシを推測するんだけど、本作を読み返してたら、
「今のは気のきいた文句のつもりか、ボーイ?」三十七歳でボーイと呼ばれることに、私はあまり慣れていない。という箇所があったので、この事件(1974年?)のとき37歳ってことで、いいんぢゃないかなと思った。
(さきの解説文のなかでは、1976年で40か41と想像しているんで、だいたいはずれてはいない。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メジロリュウジンに乗る(蹴られる)

2010-11-22 20:52:43 | 馬が好き
午後から雨らしいので、午前中に乗って逃げ切ろうと、乗馬にいく。
きょうは迷わない。おとといから決めていたメジロリュウジンに乗る。

メジロリュウジンは、1992年生まれ18歳の芦毛のサラブレッド。父モガミ、母メジロチモン、母の父カーネルシンボリ。
芦毛の栄峻がいなくなっちゃったから、白馬の似合う王子様を目指すには、メジロリュウジンに乗るしかない。
ってわけぢゃなくて、乗ってみたかったんだ、メジロリュウジン。

いままで何度か乗ったことあるんだけど、よく考えたら、競技会や練習でもひとから乗り代わったりとかで、ちゃんと一から乗ったことがない。
そんなわけで、どんな馬だかイマイチわかんないんで、乗ってみたくて手綱をとった。
なんかドロドロだったんで、軽く洗ってから、馬装。
洗ったあと拭いてるときに、持ちゃげた前あしに蹴りくらいそうになる。
まあ前ガキが外向いただけだろと善意に解釈してやる。
手入れしてるとき、うるさいんだよな、この馬、それはわかってる。

さて、乗ってみると、おお、おお、常歩でよく揺れる。
前後に(って後に行くわけないんだけどね)背中の動きが大きいんで、乗ってるこちらの尻というか腰も大きく揺られる。
スーッと魔法の絨毯に乗って運ばれるような馬に比べると、馬の脚の運びというか踏みこみを意識して、こっちも背骨なのか股関節なのか分かんないんだけど揺られるに任せて動きについていく。
馬場に出て、常歩から、速歩へ。
速歩も揺れるなあ。反撞がきついってんぢゃないけど、よく揺れる。
決して硬い感じぢゃないんだよね、アブミはずしたりして揺れに任せてると、楽しかったりする。
なんか“馬に乗ってる”って感じするじゃん?馬のステップに合わせて自分の頭まで揺れると。
初心のころだったら動きについてけなくて、体勢崩れちゃったりしたかもしれないけど。
んぢゃ、輪乗りで、いつものように。
常歩で輪乗りしてると、なんかちょっとだけ、右回りのほうが、馬の体がうまく曲がらないで突っ張った感じ、それが馬のせいか人のせいかは分からないんだけどね。
軽速歩で輪乗り。ハミ受けの練習。脚使って前に出しといて、背中とヒジで我慢。
ガン!ガン!と馬が前というか上というかアタマ持ち上げるのがビンビン伝わってくるところを、ジッと持って、ときに負けないように引っ張る。
すると、馬のほうがフッと譲るので、こっちも弱めて、均衡を保つ。
また、ガツンという感じの手ごたえがくるので、そうぢゃなくてこっちおいでと、グイと引っ張る、また馬がクビ曲げるっつーかアタマ下げるっつーか、フッと手のうちに入るんで、引っ張りすぎないようにその状態をキープ。
引っ張ったあと、いうこときいたら、指一本分(長さぢゃなくて、太さね)だけ、ゆずる。
手前替えたりして、何回も何回も、繰り返し。脚に対する反応がいいし、とにかく前に出ようって気があるんで、ある意味ラク。
前に出しといて、グッとこらえると、そのうち言うこときく。でも、そのときに、メジロリュウジンが「GURURURU!」だか「GUGUGGG!」だか分かんないけど、声に出して唸るんだよね。怖いから、やめてくれ
ウケた状態で、歩度を伸ばしてみようとしたりするんだけど、いまいち、伸びてるっていうよりは速くなるだけだったりする。
んぢゃ、駈歩。やること一緒、前に出しといて、受けとめる。駈歩、楽しい、いい感じの馬の揺れだ、走ってる馬に乗ってるって感じがする。(←あたりまえじゃん)
また速歩にして、ときどき駈歩もして、ハミうけを探る。
「馬が譲ったら、そこで初めてこちらも弱める。馬の反応をぬきに、独りで引っ張ったり弱めたりしない」
「ずっと引っ張らない。だんだん譲る時間のほうを長くしてやるように」
「最初10の力で引っ張ってたとしたら、だんだん力をそこまで強くしないように、5だったり最後1だったりでも馬に伝わるように」
言われながら、輪乗りでグルグル。
メジロリュウジンの反応はわかりやすい。ガンガンって「俺は前向くんだい」って手ごたえがあったあと、グッとこらえてると「ほい、この位置で言うこときいてりゃいいのかい?」って姿勢になる。乗ってて楽しい。また前に出す、ガーッと行くんぢゃないよって受けとめてると、「んー、このペース?」って待ってくれる。

んぢゃ、障害。速歩でクロスへ。ヒジを体につけて待つ感じで向かってく、まあ普通に飛ぶ。飛んだあと駆けるんで、ジワーっと抑えて、速歩にしてから回転する。
回転したとこから、軽速歩やめて、それでハミをうけるようにする。馬がいうことをきいて、グッと力がたまってるような感じが鞍と手綱から伝わってくる。回転したら、何もしないようにして、障害に向かう、飛ぶ。
何度か繰り返し。障害に向かったら軽速歩、リズムを保つようにして、何もしない感じ。

クロスから垂直に変わる。障害の前で、脚を意識してギュッと合図してたんだが、こんど脚使わずに来いと。向かう、スーッと何もしない、ありゃ?飛越拒否! 馬が横向いて止まっちゃった、人間の体が浮いて、落ちそうになるけど、そこはこらえる。
もう一回やりなおし、まっすぐ向いて、あんまプレッシャーかけない、今度は飛んだ、ポンポン
垂直で、何度か繰り返し。飛んだあと、人間の上体が前に投げ出されそうになる。
「前傾しすぎ」って言われるんだけど、いつも「もうちょっと随伴して」って言われるレベルと、何も変えてるつもりはない
飛ぶとき・飛んだあと、馬の下半身が思ったより上がってきてるか、馬のクビが想像以上に下がってるか、どっちかだと思う。普通に乗ってるつもりなのに、着地したあと、たしかに前に私の体が投げ出される
うまくできたとこで、おわりー。いやー、メジロリュウジン、いい馬だ。なんつーか、わかりやすいよな。前進気勢があるのが頼もしいし。

終わったあと、洗ってると、あいかわらずウルサイ。

適当にいなしながら、背中というか鞍のあとというか拭いてるときに、それはきた。
ドン ガタッ、隣の洗い場との境の枠に飛ばされる。痛っぇ!
なにが起きたのか、一瞬わかんなくて呆然としたけど、そりゃ決まってる、リュウジン君の左回し蹴りが炸裂したんだ。いわゆるモモカン?思いっきり私の右脚にくらった。
いってぇー!と思ったときには、リュウジン君は、シレッとしてる。
もう遅い、今から怒っても、馬には何のこっちゃわからないだろうから、ビシバシ反撃するのは、やめとく
痛みをこらえて、馬の顔とか拭いてると、なんか気持ち悪い。軽い吐き気のようなものがしてきた。
あー、フラフラする、たぶん今カガミ見たら、青い顔してんだろうな、俺、と思いながら耐える。スーっと頭というか顔というかから、血の気が引いてくのが自分でもわかる。
大量出血とかしてんなら、しょうがないけど、これしきでやられちゃダメだと思いなおす。ショックは精神的なものだぞ、耐えろ!って自分に言う。
でも、これ以上、馬のからだをタオルで拭いてんのはツライんで、そんな寒くはなかったんだけど、文明の利器に頼ろうってことでジェットヒーター出してきて、リュウジン君にあてて乾かす。
あー、やられた。すごい悔しい。だいたい、あんなジャブみたいなキックで、よけられないどころか、ロープダウンまで奪われるとは、俺もやきがまわったか(←なにカッコつけてんだってぇの)
でも、私が怒ったりしないのは、基本的に、馬のやること、しょーがねーなーって思っちゃってるとこによるよね。私はホントに悪い馬(ってことは悪意のあるってことね)にやられたことないんで、たいがいのこと赦しちゃってる部分はある。
私はふだん、あまり声を荒げて馬のこと怒る場面ないんだけど、それは心優しいからぢゃなくて、怖さを知らないからだよね。なんぼ踏まれても噛まれたっつても、骨折ったとか指ちぎれたとかいう目にあったことないから(あってたまるかっつーの)、所詮馬がじゃれてるようにしか感じてなくて、それで怒んないんだよね。
ただ、そういうことは、馬の教育上よろしくなくて、私が見過ごしたがために、誰かが次の機会にケガするかもしれないから、ほんとはもうちょっと厳しくしたほうがいいのかもしれない。
んで、リュウジン君のからだも乾いたようなので、ブラシをかけてると、肢が不穏に浮く瞬間を見つけたんで、こんどはペチンと先に叩く 怒りゃ、あきらめんだ、ヘンなことすんの。

↑ぜんぶ終わって、リンゴもらえる段になると、とたんにイイコにしている。


↑ニューフェイスのエイワヴァージニア。Kingmambo産駒だってさ、へぇー(←驚きに特に深い意味はない。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デカルト=哲学のすすめ

2010-11-21 19:07:38 | 読んだ本
小泉義之 1996年 講談社現代新書
きのうの『記憶力を強くする』のなかに、以下のような一節がある。
デカルトがいまから三世紀も前に『情念論』という著書の中で記憶について語った部分です。(略)
心がある事柄を想起しようと欲した場合、(中略)、思い出そうとする対象が残した痕跡の存在する箇所に出会うまで、脳の各所に精気を押し流すのである。けだしこの痕跡とはかつて問題の対象が現れたために精気がそこから流れ出した脳気孔にほかならず、その結果、この痕跡は精気が到達した場合、ふたたび同様にして開くことが、他の気孔とくらべてはるかにたやすくなっているのである。したがってこの気孔に出会った精気は、(中略)、この対象こそ心の思い出そうとしていたものであることを心に教えるのである
なんのことだか分かんないけど、「精気」を「活動電位」、「気孔」を「シナプス」という現代の科学的用語に読み替えると、ある特定のシナプスが活動しやすくなる現象こそが記憶である、と説いていることになって、
多くの哲学者が記憶について論じてきましたが、これほど本質をつき、そして現代科学に通用する思弁を提示してみせた人はデカルトをおいて私は知りません。
ということだそうで。さすが、デカルト、思索によって、神経回路のつくりなんか知りようがない時代に、脳細胞の真実に到達するなんて。
というわけで、デカルト。って、これは、それとは全然関係なく、ちょっと思い立って少し前に読んだもの。入門書としてはこれがいいという話をきいたもんで。
しかし、難しいです、十分に。
そこまで考えるかぁ!?って偉大さには気づくけど、ぢゃあ何を目指してたのか簡単に言いなさいっていわれたら、ピンと来ないって白状せざるをえません
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶力を強くする

2010-11-20 19:54:32 | 読んだ本
池谷裕二 2001年 講談社ブルーバックス
きのうのつづき、もういっちょ池谷裕二。サブタイトルは「最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」。
持ってるのは2007年3月の26刷。帯によれば、書籍としては著者のデビュー作ってことで、たぶん昨日の『進化しすぎた脳』が売れて、増刷かけた出版社の思惑にのって買っちゃった部類だな、私も。
ちなみに、出版のきっかけは、ホームページ上に展開してた記憶に関する理論をみつけた編集者が、本にしないかと持ちかけてきたらしい。
で、まあ、本としては、お手軽な科学入門系っぽく、最新理論を紹介しつつも、最後のほうには記憶力を高める具体的なハウツーにも触れるものになっている。
そもそも、脳細胞ってのは年取るにつれて壊れてくばっかり、って通説に対して、道をたくさん憶えているタクシー運転手のデータとかを集めたら、トシいってからでも脳の記憶に関するある部位だけは発達をしてることがわかった、って衝撃的事実から始まる。
んで、その記憶を司る「海馬」に関する説明や、神経細胞の解説があって、具体的な記憶力の鍛え方に至る。
記憶力を高める薬を探すという研究テーマから、肝臓に多く含まれる「K九〇」という物質を脳に直接投与すると記憶力が高まるという話が紹介されてるけど、これはまだ実用になるかどうかはわからないんで、参考までの話。
実際の生活レベルでの知識としては、カフェインがよくて、アルコールはダメと挙げてある。酒を飲むと記憶をなくすのは「アルコール性健忘症」って、ちゃんと名前があるらしい。ただし、サフランに含まれるクロシンという物質をあらかじめ摂取しとけば、アルコールを飲んでも記憶力が低下しない、なんていう役に立ちそうなことも書いてあるけど。

記憶をよくする魔法の薬を追い求める話は余談であって、本筋はその前の章の「科学的に記憶力を鍛えよう」にあると思う。
そこでは、いくつかのテクニックがあけられている。
切羽詰まってストレスがかかると記憶力は弱くなるから余裕をもったスケジュールを立てようとか。
ただ丸暗記するのではなく、法則性をつかんで、意味を理解して憶えるとか。
語呂合わせをするにも、目の記憶より耳の記憶のほうが心に残るから、声に出して憶えるとか。
自分の経験に結びつけて「エピソード記憶」として残すとか。
(記憶の段階は、原始的なほうから順に「手続き記憶」「プライミング記憶」「意味記憶」「短期記憶」「エピソード記憶」という階層になっている。)
忘却曲線の検証から、直前の4時間に憶えて勝負したほうがいいとか、また、記憶の「干渉」が起こるから無理に数を詰め込み過ぎると効果ないとか。
一方で、忘却曲線では反復すると成績が上がっていることも証明されてるから、科学的に能率的な復習スケジュールは、1週間後に1回目、その復習から2週間後に2回目、さらにその復習から1ヵ月後に3回目とすれば、脳(海馬)はその情報を必要な記憶と判断するとか。
眠ってるときみる夢は、脳の情報を整え、記憶を強化するために必須な過程であるから、物事をしっかり憶えるためには、憶えたその日に6時間以上眠ることが欠かせないとか。

でも、そんなふうにいろいろ挙げてはくれてるけど、実は著者の最も言いたいことは「やる気の問題」ってことみたいで。
トシのせいで記憶力が悪くなったと嘆くひとに対して、単なる努力不足と断じている。若いころは、記憶するために時間と労力を割いて頑張った、そんな経験があったことも忘れて嘆いてるだけでしょと。
もの忘れがひどいって言うひとに対して、「忘れてしまって思い出せないのではなく、単に初めから覚えていないということではないでしょうか」と、厳しく誤解を戒めている。
「ものごとの習得において、もっとも大切な心得は『努力の継続』である」と結論していますが、まあ、お手軽なハウツーを求めてる怠惰なひとたちには、ウケないやぁね、そういう必勝法は 大事な事実なんだけど。
ただ、「努力と成果は比例関係にあるのではなく、累乗関数の関係にある」(1→2→4→8→16→32→64→128→…というふうに伸びる)というのは、ハッとさせられる指摘ではあります。1000を目標にさんざ頑張ったけど、128までしか到達できてないときに、1000は遠いとあきらめるんぢゃなくて、さらに努力すれば、128→256→512→1024と突然視界が開けたように目標にたどりつくことができるって話、いいですねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする