many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

進化しすぎた脳

2010-11-19 19:56:14 | 読んだ本
池谷裕二 2007年 講談社ブルーバックス版
こないだ池谷裕二氏のことば(元ネタはアインシュタイン「学べば学ぶほど私は無知だと知る~」)を引いたんで、その著書。
副題は「中高生と語る[大脳生理学]の最前線」っていうように、慶応義塾ニューヨーク学院高等部での講義の記録を刊行したもの。
大教室での講義ぢゃなくて、生徒8名だけって少人数制なんで、全般に講師と生徒の対話形式になってます。
最新の実験結果とかも随所に紹介してるし、ときどき話題が小さな脱線を起こしたりして、記述が話し言葉でもあることもあわせて、学術書ぢゃなくて学習マンガ的なノリで読み進められます。(そのへんも売れた要因かな?)
タイトルの“進化しすぎた”の意味は、脳が最低限必要な程度の進化を遂げたんぢゃなくて、過剰に進化してしまったという考えによるもの。
人間は脳のもっているポテンシャルをほとんど使いこなしてないとは、よく言われることだけど、そのリミッターになっているのは身体。生まれ持った身体にあわせて脳は動いてるんで、たとえば腕がもう何本かあったら、それなりに脳は今より働いて力を発揮できるという。
これをもったいないと思うか、何か予期せぬ環境の激変とかがあったときにも対応できるための、将来への余裕ととらえるかは考え方次第。
ほかにも、刺激的な話題はいっぱいあって、「見る」というのは、三次元のものが二次元の網膜に映ったのを脳が三次元に再解釈する、だから人間はありのままぢゃなくて脳の解釈した世界から逃れられないとか。
言語は、コミュニケーションの手段ってだけぢゃなくて、抽象的な思考のためのツールでもある。では、なんの目的で抽象的な思考をするんだろうかとか。
正確無比な記憶は役に立たない、たとえば他人が最初見たときと服装を変えても表情を変えても、引き続き同一人物として認識できるのは、脳が「汎化」して情報を処理しているから。では、そのあいまいさは何に由来するかというと、神経の構造によるものであるとか。
ときどき、人間は自然淘汰の原理に反している、たとえばアルツハイマー病はなぜ自然淘汰で消えないかというと、子孫を残すという役を果たした後の病気だからであって、人間という動物は長生きしすぎてるから、いろんな病気が問題視されてる、なんてドキッとすることも出てくる。
脳のはたらきについて考えてくうちに、つきつめると「意識」とはなにかってことが議論をすすめていくうえで重要なことになるんだけど、この講義での一応の定義というか最低条件として挙げられているのは「1 表現の選択」「2 ワーキングメモリ(短期記憶)」「3 可塑性(過去の記憶)」。
でも、最終章の大学院生との対談で、著者は、できたら意識の話題は避けたい、客観性と再現性を重視する科学の対象として、主観的な存在である意識をとりあげるのはどうか、と正直に言っちゃってます。
ちなみに、最終章の最後の話題は、科学は(社会的に)役に立たなきゃいけないのか?です。大事なとこですが、さて結論は。
第一章 人間は脳の力を使いこなせていない
第二章 人間は脳の解釈から逃れられない
第三章 人間はあいまいな記憶しかもてない
第四章 人間は進化のプロセスを進化させる
第五章 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか
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愛の生活

2010-11-18 21:31:42 | 岡崎京子
岡崎京子 1993年 角川書店ヤングロゼコミックスデラックス
きのうオザケンだったので、きょう岡崎京子。
ヲカザキの小沢健二への傾倒ぶりは、なんかの短編で(なんだっけ?)「オザケンのいう“愛し愛されて生きるのさ”って、こういう感じ?っていうの」とか登場人物のセリフで語らせてたりしてるくらい。
んでも、この作品は、重いよ。
ブログ書く為に、基本的には発行順に、岡崎京子をふりかえってんだけど、このあたりから、グッと重くなる。
好きになるって何だ? 家族って何だ? とかは、このちょっと前からジワジワと問題視されてきてんだけど、このマンガは、いっそうディープになってきてます。
「愛の生活」ってタイトルは、なんか一見陳腐ぽくって、B級ドラマみたいな響きしてますが、「あとがき」でヲカザキが自らうまく説明しています。
この作品のタイトルは「愛の生活」とありますが、正確には「愛したいけれど愛せない人達の生活」、あるいは「愛されたいけど愛されない人達の生活」、とするべきだったでしょう。何故ならここには誰一人としてきちんと他人を愛する人間が出てこないのですから。彼ら、彼女らは無い物ねだりばかりしてうろうろ右往左往して途方にくれるばかりです。
登場人物は、いっしょに住んでたOLにある日突然捨てられて夜逃げした、デザイン系学校に通う林屋三太くんが、一応主人公というか語り部。
同じガッコにいて、家にいないこと多いからアタシの部屋に転がり込んできていいよと突如申し出をするのが、桜田(妹)ことじゅんこちゃん、彼女はすぐ暴力ふるう男に飼われてたりする。
同じとこ住んでんだけど、きっちり生活は分けようという桜田(兄)がいて、桜田(妹)は兄のことが好きだったりする。
三太君に岡惚れする女とか、三太君を捨てたOLが結婚を前にして迷ったりとか、桜田(兄)の昔の恋人で今は他のひとと結婚してる女が三太君を車でひいちゃったりとか、いろいろあってグジャグジャ。
愛されたい欲望がうずまいちゃったり、愛したいけどその方法がわからなかったり、単純なタイトルとは裏腹に、全然ハッピーぢゃない物語です。
真っ白だったり真っ黒だったりするコマのなかに、ポツンとシリアスな言葉が浮かびあがるような技法も、急に目立ってきたような気がします。
ちなみに、物語の主題と関係なくて、私が好きなフレーズは、
>思うんだけど 人間て さわってほしくないモノ ふれられたくないコトにふれられると 電気を出すんだ
って、やつ。何気ないつもりで聞いた質問が、相手の痛いとこ・過去を突いちゃったときの、ピリピリって感じを指します。 
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LIFE

2010-11-17 19:45:03 | CD・DVD・ビデオ
小沢健二 1994年 東芝EMI
えーと、きのう銀杏並木のことに触れて、ふと『いちょう並木のセレナーデ』を思い出したんで。
ちなみに、銀杏並木のあるとこ散歩しに行ったのは、ギンナン拾いにいったわけでもなくて、まあ何となく。
わりと、ガキのころから、イチョウがある風景ってのは普通っていうか、なじみのあるものだったんで。
(春の桜もそうだよね。ちょっと古い学校とかには桜並木あるのが当たり前って感じの環境で育った。
 北海道にいたとき、そういうのなかったのに気づいたときは、ちょっと調子くるう感じした。)
身近にあるイチョウを見てたら、そういえばあそこのイチョウはまだあるのかな、なんて思い立ったもんだから。

で、オザケンの大ヒット(かな?)アルバム。
どの曲もいいので、聴いてて飽きない、途中の曲すっ飛ばしたりすることなく、何度も聴けるCD。
いちばん聴いてた時期は1995年かな。
ひとり暮らししてて、これかけながら夕飯作ってた、そんな光景がいまでも脳裏にすぐ浮かぶ。
当時いちばん好きだったのは「ラブリー」だったかもしれないけど、いまは“いちょう並木~”かな。
「ぼくらが旅に出る理由」もいいなぁ。

1 愛し愛されて生きるのさ
2 ラブリー
3 東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
4 いちょう並木のセレナーデ
5 ドアをノックするのは誰だ?(ボーイズ・ライフpt.1:クリスマス・ストーリー)
6 今夜はブギー・バック(nice vocal)
7 ぼくらが旅に出る理由
8 おやすみなさい、仔猫ちゃん!
9 いちょう並木のセレナーデ(reprise)

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オフ

2010-11-16 23:22:12 | Weblog
きょうは、なにもしない。
馬にも乗らなきゃ、本も読まない。
働いてるひともいるのに申し訳ないが、休ませてもらいます。

なんもしない計画どおりに、なんもしない。

まったくどーでもいいけど、気が向いたもので、下の写真。
日本でいちばん私が好きな銀杏並木。

なんか駐車が多くて、景観を損ねて、困ります。
昔はもっとガランとした通りだったようなイメージがあるんだけど。

↓こちらは、日本で二番目に好きな銀杏並木。

(一番目のと同じ市内なのに、なぜに色づくのが遅いのだ、ここは?)

↓いま身近で、基本的に関係者以外立ち入り禁止な、銀杏のある道路。
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栄峻の乗りかた(落ちかた)

2010-11-15 21:25:15 | 馬が好き
きのう読売新聞を(新聞とったりはしてないよ、職場にあっただけ)読んでたら、書評欄に神経薬理学者(なのかな?)池谷裕二氏が書いていて、“学べば学ぶほど私は無知だと知る。無知だと知れば知るほど余計に学びたくなる”(だっけ?)というアインシュタインの言葉を引用してたんだが。
「学ぶ」を「馬に乗る」に変えれば、だいたい、私が今なぜ乗馬に通うか、という気持ちに近い。
ということで、きょうも乗馬へ。
学んだこと忘れないよーにって、こんな形でノートしてるんだが、恥も外聞もなくね。自分ひとりでメモっときゃいいんだろうけど、まあ、たまには面白いと言ってくれるひともいるし、それならいいんぢゃないかなと。ただ、ヘンなこと書いて誰かに迷惑かけることだけはしたくねーなー。
よく練習のときのこと憶えてるね、って言われたこともあるけれど、まあ意外と憶えてるものです。 でもほっとくと忘れるからノートしとく。もし若いときにカラダでおぼえたことだったら、書かないでも忘れないのに、とは思うけど。
でも、きょうはいろんなことあって、あまり乗ってた間に言われたこと・考えたこと憶えてないなぁ。うまく文字にして残せないかもしれない。

今日も、なに乗るぅ?って、また悩む。よりどりみどり、ゼータクな悩みだ。
最初は栄峻でいろいろ馬に教えてもらうことお願いしようと思ってたんだが、ミラノかセルスコールで障害を飛ぼうかとも迷った。
結局、近くの馬房にいた栄峻と目が合っちゃったんで、やっぱ栄峻にしとく。

栄峻、乗んないとカワイイんだ、これが
ちなみに隣にいたグッドリーズンとも目が合ったかもしれないけど、そっちは危なそうなのでやめとく

栄峻とウォーミングアップ。速歩でせっせと馬場をまわる。あまり最初から前を強くしないで、まずは動かしたい
とにかく、なんかモタモタした動きのままぢゃ、横木なり障害なりに進んでいきにくい。前肢の出(デ)なのか、後肢の踏みこみなのか、メカニズムは知らないけど、いつもは横木とかさんざ跨いだあとの練習の後半にみせる、もうちょっと弾むような動きで、ストライドも伸びてるような歩き。あれをウォーミングアップするうちに実現したい。それで、その動きでもって、障害なり何なりに向かいたいところ。
でも、やっぱ、元気よく動かせないなー。油断すると止まられちゃいそう
脚への反応が鈍いと、ときどき脚のうしろの位置に、そーっとムチを持ってく。「動くって!動いてるっしょ、ほら!」って栄峻が前に出る。よしよし

速歩で横木通過。5本置いてあるんだけど、最初の2本くらいは、「おっと、危ないね、こりゃ」って、ぬかるみをソロっと渡る人のような歩みで入って、最後の2本くらいは、「引っ掛からずに済んだー、やばいやばい」って、まるで電車かエレベーターに駆け込み乗車する人のようにスススっと足早に駆け抜ける。
最後の2本をまたぐようなストライドで最初から入れないもんかね、って気合いつけて向かってくんだけど、どうにも入口ではイヤイヤ、出口では逃げ去るように、って歩みのリズムは解消できない
適当なとこで、輪乗りでの駈歩に移る。それでも今日はいつもよりタランタランした感じぢゃなくて、リズミカルな駈歩のような気がする。
んぢゃ、駈歩で横木通過。さっきより広い間隔で別の場所に置いてある5本へ。勢いつけてかなきゃダメかな、って前に出していく、やっぱ入口で横木を見て慎重になりたがる、ギュッギュッって押してく
駈歩を動かすように心がけて回転、真っ直ぐ向かったらジッとして、横木を跨ぐごとに脚で絞るようにプッシュ、プッシュ、プッシュ
いいステップで駆け抜けた。クビをポンポンと叩きながら、「やりゃ出来んじゃん?栄峻!」って、誉めたつもりだったのに、この一言で栄峻が燃え上がっちゃった
「おまえごときに何がわかんだよ」って、栄峻の背中がうねりだす
手前を変えて何回か繰り返し、前進気勢があるぞ、タカタン、タカタン、タカタッ!って駆け抜けていく。もしかしてぢゃなくて、確実に、スイッチ入った?栄峻?

んぢゃ、障害。速歩でクロス。
だいぶ動いてきたようなので、障害の前では待って、ハミで受けとめるように意識する。
「後ろ引っ張りすぎ!もっと拳は前で、その位置で受けとめる」って言われて修正するんだけど、どうもこないだっからの背中とヒジでギューッと押さえたがるのにこだわってるんで、うまくいかない
飛んだあと馬の勢いが弱いんで、何度目からかは飛んだあと駈歩を続けて前に出す。飛ぶ前も飛んだ後も、エンジン切れないように、動かす。
勝手に障害に向かって加速してくくらい、やる気の出てきた栄峻。こうなると強い、競技にだって出られる。でも、油断すると、みなぎってたものが、すぐシューっとしぼむんだよねー

んぢゃ、速歩でコンビネーション。最初の障害跳んだあと、横木跨いでって二つ目、また横木跨いで三つめの障害。
最初勢いよく入ってくかと思ったら、ひとつ飛んだあと失速しそうになる。二つ目、三つ目を脚でプッシュ、プッシュしながら飛んでく。
交互の手前で進入して、何回か繰り返し。だんだん障害に入ったあと勢いがついてくるんで、無理に脚をつかわず、動きについてくように気をつける。
少し高さを上げたあとだったろうか、入口の一つ目で逃げる 遠くに行かないようにその場で巻いて、(「怒って」と言われて)ウリャっとキック入れて障害に向かう。
こういうとき、一個目を越えてくと、そのあと逆ギレしたかのように、今までよりもむしろスゴイ勢いで残りも飛び越えてく。ホーッと声掛けて真っ直ぐ止めて、ポンポン
何回目かで、ひとつめの踏切がちょっと合わない感じ。グッと押して、無理して飛んでみたら、ガタンとクロスのバーの片っぽに栄峻の脚が引っ掛かって落とした
「うわ!もうヤだ。こんな危ないこと続けたくない!」って、栄峻の心の叫びが私には聞こえた瞬間、栄峻が左にクルッとまわった ガッツのあるやつだったら慌てながらも構わず前に進むとこ、ふつうでもその場で止まるとこ、ところが栄峻は、まわれ左してコースから逃亡を企てた
ちょ、ちょっと待て待て、こら 遠心力で私は振り飛ばされる。障害の上に落ちたくねーな、袖(支柱)にもぶつかったらたまらんな、短い時間にいろんなこと考えるもんだ。これも経験として、何が起きたか起きようとしてるかわかってるからだけど
こらえるだけこらえて、馬の背から離れる。落馬。馬の右サイドから回るようにして、馬の前に、向き合うように、落ちる。幸い、両方の足の裏で着地。しがみつかないで、潔く飛んだほうが、うまく落ちることができる。落ちたんぢゃなくて降りたんだって言い張ってもいいんだけど、落馬は落馬
「お、落っこったのかよ?やべえ、やっちゃった?」って、栄峻がびっくりして後ろに下がろうとするんだけど、手綱放さないでガチッとつかまえて、あー無事だったと不思議と冷静に意識しながら、やっぱ思わず馬を睨んぢゃう
気を取り直して、もう一回。前に出す、左右の脚で同じ力入れるようにして、逃がさない。ウリャ! ジャンプ、走る、ジャンプ、走る、ジャンプ! ポンポン

コンビネーションの最後の障害を垂直に変えたとこで戦線離脱。高い障害はオリアンダーとキリーンにまかせて、私と栄峻は単発のクロスに駈歩で向かう。
かなりスイッチが入ってるんで、障害に向かって駆け出そうとするときもあるんだけど、そういうときは巻乗りいれたりして、落ち着かせてから飛ばす。
やっぱり、どうにも後ろに引っ張りすぎみたいで、もう少しだけ前で持つように修正が入る。
「栄峻は逃げようかなってなったとき、左にクビを傾けるんで、試しに障害前で右を強く引いてみて」と言われて、意識して右を引っ張って、逃がさないようにして飛ぶ。
何回か飛んだあと、「普通に持って飛んで」と言われて、ふつうにしたつもりが、障害前でフワッと手ごたえがなくなるような感じがした、そのまま飛ぶ。
なんか変なんで、もう一回。回転から前に出して、強く引っ張るんぢゃなく受けとめるようにして、左右均等に適度なコンタクトを保つ、飛ぶ。「おお いまのとても気持ちよい飛び方だった」 
無理に押すでもなく、馬が勝手にいくでもなく、しっかりと飛越した。障害前でグイグイ仕掛けたり、引っ張ったりすると、飛んだあとに馬が走ることがあるんだけど、それもない。これなら経路まわれそうな感じ。
よかったとこで、終了、ポンポン、べた褒め

終わったあと、例によって、常歩で輪乗り、ハミ受けを探る。
栄峻は付き合いがいいので、クビを曲げてくれてるんだけど、なんか違う
「そのカッコは形だけ。栄峻はちょっと違うやりかたしたほうがいい」と言われる。栄峻は“キ甲”よりウナジが下に位置するような姿勢にしてみたほうがいいって。え?
軽速歩で輪乗り。拳を前下方へ。そこへ向かって、ヘソを近づけるかのように、軽速歩をしてみる。馬の肩甲骨に拳つけちゃう。姿勢は前傾しちゃう。馬のクビっつうかアタマが下がる。そこでアタマを少し引き寄せる。あくまで前に出しながら、グーっとやるとクビが曲がってくる。そこで受ける! 
受けろって言われても、って、拳動かしたり、指ウニウニってやったり、適当だけど、とにかくいろいろやると、なんだか出来たような気がする。さっきまで私が上体反らして引っ張りこんでたのとは全然違う。だいいちこのほうが馬の歩度がいい感じだもん
正確にはいい乗りかたぢゃないのかな? よくわかんない。
余談だけど、野球とかに関していうと、私は、運動ってのは物理だから体育理論ってのは「真実はひとつ」だと思ってる。合理的なフォームってのは、確固として存在してる。あとは個々の筋力なり関節の可動域なりで、できることできないことが決まってしまうだけって。
いましばらくの間、速歩でせっせと輪乗りして、なんか新しい栄峻のツボを発見した気になって、終了。次回は最初っからこれができるといいんだが。

ポツポツと小雨が降ってきて、あしたは1度だか2度だかになって寒いという。そんななか栄峻を洗ってると、なんか必要以上に自分からジェットヒーターに顔近づけてるし。熱くねーのかよ?


どーでもいーけど、新しく来たポニーの2頭。なんかチャカチャカしてて、乗るどころか、私には馬が触らせてもくれない。
はたして、これからどうなるのか。楽しみのような、怖いような。
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