かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京都その12 六波羅密寺

2008年02月11日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
ソウルの南大門が焼けてしまった。日本で言えば、法隆寺の五重塔が焼けてしまった位のインパクトがある残念な事件。韓国の国宝第一号だった。たまたま昨日、(作って2ヶ月振りに)my homepage の韓国の頁の校正をしていたところだったので、驚いた。韓国のシンボル的存在であり、しっかり再建して欲しい。



嵐山、嵯峨野の目玉のお寺を見た後、少し時間があったので、たまたま”京の冬の旅”キャンペーンで、特別公開中という空也上人の立像を見に、京都の北西から、東に一挙にワープ(バス利用)。六波羅密寺に向かった。
六波羅蜜寺は、元々10世紀半ばの醍醐天皇の息子である空也上人により創建された寺院。念仏を唱えることにより、流行していた悪疫を鎮めたという。平安後期に、平家一門が多くの館を構え、平家のシンボル的寺院となったが、その滅亡とともに、荒廃、再興を繰り返し、現在に至っている。



途中、弁慶と牛若丸の決闘シーンの像を見ながら、鴨川にかかる五条大橋を渡る。



小さな路地を入ったところに、六波羅密寺はあった。平家が栄華を誇ったこの辺りも、今は、この小さなお寺を残すのみとなったということか。奢れるものも、久しからず



普段は、訪れる人も少ないのだろうが、今は、宝物館特別公開中で、閉館間際のこの時間にも、ぱらぱらと人々が訪れていた。
空也上人立像は、この口から出ている6人の仏様の像が、特異だ。南無阿弥陀仏を表しているという。南無阿弥陀仏(念仏)を唱えれば、誰でもが救われるという空也上人の教えを、視覚的に訴えてくる像だ。鹿の角で、出来た杖を使っていたというが、その杖の実物(本当か?)も、展示されている。



平清盛像も、鎌倉時代のもので、晩年の姿をリアルに伝えているという。絶大なる権力を誇った面影はなく、達観した僧侶の姿だ。

その他にも、閻魔様や、お地蔵様など、すばらしい仏像をたくさん拝むことができた。
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