かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

シンガポールその2 マーライオン

2008年09月15日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



シンガポールのシンボルと言えば、マーライオン。しかし、その地位は、かなり低い。『世界三大がっかり(人魚姫や小便小僧と並ぶ)』とまで呼ばれるようになった。
シンガポール建国の父であり、引き続き絶大なる権力を握るリークァンユー氏は、その自伝で、シンガポールがマレーシアから追われるように分離独立を余儀なくされ、資源もないシンガポールを自立させるため、当初は、観光産業にまで手が回らなかったと告白している。
その中で、観光用の唯一の呼び物として1972年に作られたのが、このマーライオン像だ。

マーライオン伝説は、古事記のような歴史のあるものでは当然ない。マレーの王族が、航海の途中で嵐に会い、王冠を海に投げたところ、嵐が静まり、シンガポールにたどり着いた。その時ライオンが現れて、その地を治めることを許したのだという。その大地がシンガプーラ(今のシンガポール)である。19世紀初頭には、人口100人にも満たない島だったと伝えられている。
マーはフランス語で"海”のことをいい、海の神とライオンを合体させて、守り神にした訳だが、マーライオンを描いた昔の彫刻を見た記憶も無く、この姿は、このマーライオン像ができでから定着したものと思われる。

さて、このマーライオン像は、私が赴任した2000年当時は、『世界三大がっかり』にふさわしいものであった。理由は、①ポンプが壊れて口からの水が出ない。②真っ白のはずのマーライオンが、水の石灰分のせいか、茶色く薄汚れている。③元々シンガポール河口で、海に面する位置にあったのだが、埋め立てが進み、その先に大きな橋(昨日のブログの立派な方の橋)がかけられ、内陸に位置することとなり、その所在すらわかりづらくなったことにある。正面から見ることすらできない状況であった。

この3つの原因を取り除くべく、2002年にマーライオンの引越しプロジェクトが、シンガポールの威信をかけた国家プロジェクトとしてとり行われた。この様子は、ニュースのないシンガポールで、毎日トップ記事を飾っていたからよく覚えている。

解決策①日本の有名Eポンプ社に修理を依頼。見事、大量の水を吐き続ける姿がいつも拝めるようになった。
②色を塗りなおした。まさに化粧直し。
③マーライオンの名にふさわしい、海に面した公園に引っ越すことにした。

しかし、③のプロジェクトで大きな問題が発生した。流石に8mもある像だから、行く手にかかった大きな橋を越えることができないのだ。シンガポール政府は、船に乗せて橋の下をくぐって引っ越すプロジェクトを立てた。ところが、当初予定より、マーライオンの基礎部分が大きく、橋の下で引っかかってしまった。
そこで、作戦変更し、橋の上をクレーンで吊り上げて、海側に移動することにしたのだ。
そして、ついに、やっとのことで作戦は見事成功。盛大なお披露目式典も執り行われた。



新しいシンガポールの象徴である高層ビル群を背景に、見事な水と吐き続ける姿を見せてくれるようになったのである。夜は、ライトアップされ、下から見上げると不気味である。



ちなみに、マーライオン像の後ろには、海に背を向けるようにして、ミニマーライオンがある。何故ミニがあるのかはわからないが、この像は、引っ越す前のマーライオンの後ろにもあった。その時は、この像のみ正面から見ることができた。こちらのミニの方が、人間サイズに近く、人気があるという説もある。

勿論セントーサ島のマーライオンが最大だが、大きすぎて、親しみ易さには欠ける。目からレーザー光線を発する様は、昔見たゴジラ映画の世界に近い。

コメント
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