かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

シンガポールその4 英統治時代の建造物

2008年09月17日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



ラッフルズの統治から始まったシンガポールの歴史。街は、人工的に作られた。
中心部には、統治者である英吉利人の町、行政機関が置かれた。その南西には、中国人の住む街チャイナタウン。反対側の北東には、マレー人の町ブギス(マレーの意)。その北には、インド人の町(リトルインディア)が作られ、その名残は、今の街にも残されている。

写真は、その英吉利統治地区の中心部にあるセントアンドリュース教会。



その並びには、行政の中心であった支庁舎(手前)と司法の中心であった旧最高裁判所(奥のドームの建物)がある。
その奥には、立法の中心であった旧国会議事堂があるのだが、省略。



そして、昨日も紹介した、当時の(今も)娯楽の殿堂であるビクトリア・コンサート・ホール&ビクトリア劇場がある。

その並びには、現国会議事堂があるのだが、予算節減(偉い!政治家は、公僕なのだ)で建てられたため面白くない建物なので省略。



旧政府のオフィスは、アジア文明博物館として生まれ変わった。駐在中にリニューアル・オープンした。収蔵物は、歴史の浅さを反映して対したことないが(失礼)、アジア全地域の歴史が簡潔に勉強できる展示になっている。特に、日本人にとっては馴染みの少ない、東南アジア、南アジアの展示が面白いだろう。



博物館に隣接しているシンガポールリバーに面したインドチャイナという店は、アジアンフーズが手軽に楽しめる店で、駐在時代から愛用していた。シンガポール川からのそよ風も心地よい?観光客にもお勧めの店である。



シンガポール川の対岸にあるボートキーと呼ばれるレストラン街は、かつては倉庫街で、沖にとまった船から荷物を運ぶ艀が前にたくさん停泊していた。



最後は、フラートンホテル。ここも、駐在中にオープンした。元は、中央郵便局だ。中に入ると、見事な吹き抜けだ。この建物のリノベはさぞたいへんだったろう。ホテルの客室も少なそうだし、それでもSARSの時には相当安売りしていた。今は、凄く高級になっているようだ。
手前の橋はカベナ・ブリッジと呼ばれ、やはり英吉利統治時代の由緒あるものだ。

ということで、駆け足で、英統治時代の中心部を回ってみたが、わかったかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする