かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Prisoner of the State

2009年07月31日 | China・Mongolia



"Prisoner of the State (国家の囚人、2009年5月19日発売)"は、中国では発禁だが、全世界的には、かなり売れている本だと思う。
シンガポールや、香港の書店に、平積みで売っているので、読んでみた。

読み応えあり!

毛沢東、周恩来、トウ小平の伝記は読んだが、みな後世の人が、言わば勝手に書いた伝記だ。
本書は、趙紫陽が、軟禁中に隠れて録音したテープを孫のおもちゃに隠しておき、彼の死後そのテープを発見した友人が、命がけで国外に持ち出し、書き下ろしたものだ。本人の言葉だし、当時は政治生命は絶たれていたのだから、嘘を言う必要もないし、彼の真実の言葉と考えていいのだろう。

最初は、軟禁中の生活の話から始まるが、やはり圧巻は、80年代の政治史の内幕だろう。新たな中国がスタートしていたはずだが、その内実は、魑魅魍魎がうごめく、陰謀だらけの魔宮だ。国のトップですら、どこで誰が何を考えているのか、わからないのだから。

ただ、失脚の原因は、巷で言われているのとそう変わらない。急速な経済発展により、インフレが亢進し、社会が不安定になったところに、学生が民主化を求めて運動を起こし、エスカレートしていった。平和的に解決しようとした趙紫陽に対し、保守派がトウ小平を、趙の訪朝中に取り込み、武力鎮圧(天安門事件)し、趙紫陽は、失脚したというものだ。

面白いのは、そこに至るまでの、改革派と保守派の暗闘だ。そして、改革派だったはずの、トウ小平は、政治的には、徹底的な保守派であったという。これは、二度の失脚した経験から来るものだと趙は考える。一方で、トウ小平は、西側の経済運営にも大きな理解を示し、経済特区等の施策により、既に外資導入を始めていたのだ。趙紫陽失脚後の大発展を演出したトウ小平の手腕も見事としかいいようがない。ではなぜ?
趙紫陽は、政治は共産党の一党独裁で、経済のみ資本主義を導入するという手法は長続きしないと本気で見ていた。いずれは、民主的な手法を入れていかざるを得ないと。
一足先に、失脚した胡耀邦は、もっとあっけらかんに資本主義化を考えていたという。だから、一早くトウ小平に切られた。そして、趙紫陽も結局切られた。

やはりトウ小平の怪物度(政治改革と非民主化は併存する!という理論)を本当に理解できていた者は、いなかったように思うのだが、その思想が、20年経った今も続いているという驚異。中国共産党は、絶対で、民主化とか清浄化というのは、あくまでもその中でだけの話。中国共産党という化け物の中で、いまだに様々な力学が蠢いている。
自民党内の暗闘とも似ているかもしれない。自民党はそうしている内に、自壊の時期が近づいているのかも知れないが、中国共産党は、どうか。

英語の本書を読む際、やはり固有名詞がつらい。ということで、主だった人の名前を紹介しておく。これから読まれる方は、参考にしてもらいたい。
Chen Yun 陳雲、Deng Liqun トウカ群、Deng Xiaoping トウ小平(漢字入力すると何故かそのパラグラフ全て文字化けしてしまうので片仮名表記)、Hu Yaobang (胡耀邦)、Hua Guofeng(華国鋒)、Li Peng(李鵬)、Li Xinninan (李先念)、Liu Shaoqi(劉少奇)、Mao Zedong(毛沢東)、Wen Jiabao (温家宝)、Yao Yilin (ヨウ依林)、Yu Qiuli(余秋里)、Zhao Ziyang(趙紫陽)、Zhou Enlai(周恩来)などなど出演者多数。いい者、悪者、入り乱れ、そのどちらが、敵か味方かすら定かではない。

コメント
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