かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ダージリンその1 バグドグラから

2010年06月08日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


今回の旅は、デリー→ネパール→ブータン→ダージリン→デリーを10日間で回る、結構ハードスケジュールだったが、新鮮な驚きの連続で、素晴らしい体験ができた。
全部紹介したいのだが切りがないので、まずインドの部分を紹介することにしたい。

ブータンからダージリンに行くには、パロ(Paro)空港からバグドグラ(Bagdogra)空港まで飛んで、車で3時間かけて行くのが最短だ。パロから、車で、一日かけて行くこともできる。
元々、ダージリンというのは、すごい場所で、インドの地図を見ると、右の方に飛び出ているが、そのくびれた部分にある。くびれている理由は、南がバングラデシュ、西にネパール、東にブータン、北にシッキム州をはさんで、中国に挟まれているからだ。

バグドグラはブータンに比べると暑かった。標高140mしかない。これから、標高2134mのダージリンに車で向かう。90km、3時間以上かかる。
このバグドグラ空港は、空軍と共有になっおり、空港内には、多くのファイタージェットが格納されているのが、見える。4つの国に囲まれた、軍事的に重要な地域だ。
ブータンからの飛行機は、満席だったが、ここで、下りたのは、数人。残りは、みな最終目的地のバンコックに向かっていった。



大きな川を渡った。雨季はこれからで、まだ水量は少ない。土砂を漁るトラックが見える。この川が、ヒマラヤの水を、ベンガル湾まで運んでいる。



茶畑が広がってきた。アッサムティーの畑だという。ダージリンティーより、大量に取れるが、味はやや劣るという。



段々山が立ちはだかってきた。ここからジグザグ道が続く。元々、イギリスが、切り開いた道だ。Old Military Roadが、元々イギリス軍が作った道だが、道幅が狭く復路のみの一方通行。行きは、より新しい、Hill Cart Road を行く。
この道ができる前は、ダージリンには、150人しかいなかったという。今は、10万人をこえる人が住んでいる。



最初の急勾配を登ったところにあるのが、Kurseong。標高1500mぐらい。白い蘭の場所という意味だそうで、野生蘭が咲くエリアである。ダ―ジリンまで道が伸びる前は、ここが最高地点のホテルだった。



レストランから下を眺めると、急勾配に這いつくばるように建てられた家、そしてその下に、茶畑が見える。思えば、ここまでずっと茶畑の連続だった。それにしても、森を皆茶畑にしてしまった根性は、凄い。



モモは、当地風の餃子。インド料理ばかりの当地域ではありがたいメニューだ。



ダージリン地方は、この緑、黄色、白の色であふれている。
ダージリンは、西ベンガル州に属しているが、民族的にも、文化的にも、ベンガルとは全く違う。どちらかというと、ネパールに近く、人口も、150万人ぐらいいる。ただ、イギリスからの独立時に、コルカタのある西ベンガル州と一緒にされたのだ。
一方その北のシッキム州は、1975年にインドに併合されたが、ダージリンより小さいのに独立した州になっている。そこで、ダージリンの人達は、GORKHALAND(GORKHAはもちろんネパール人の意)として、州の独立を求めている。この三色は、この運動のトレードカラー。
普通に考えると”もっとも”という気もするが、当然インドとしては、それがさらに独立運動などに広がることを懸念するだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする