かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の歴史12 開国への道

2012年09月12日 | Books

あいかわらず、国境問題でのごたごたが続いているが、バイラテでやりあってもこじれるだけなので、特に実効支配されている竹島については、国際社会に問い続けるしかないのだろう。
日本国民に対する教育も必要だ。
政府もちゃんと見解を出しているのでまずこの程度の知識は、身に着けておくべきだろう。



本書は、ちょっとユニーク。最初の半分は、江戸時代中期以降のロシアと日本との関係についての話に割かれている。大黒屋光太夫ぐらいは知っていたが、こんなにいろいろあったとは。
たまたま北方領土問題にも深い縁のある内容だ。

ロシアが、極寒シベリアまで、何で東進したのか?黒テンの毛皮が目当てだったのだという。そして、それに貢献したのが、コサック隊。コサックダンスなど踊っている場合ではない?
そして、松前藩に通商の申し入れをし、ウルップ、エトロフ、クナシリのアイヌ人をロシアの臣民として取り込む活動も行っていたという。

もう一つ驚いたのが、キャプテンクック。キャプテンクックと言えば、オーストラリア大陸を思い浮かべるが、第三回の探検では、太平洋から、大西洋へ、北極海を抜けるルートを探そうとしたのだが、その際、日本を通っている。沿岸からの距離、何と2マイル。
クックが、殺されてしまっ後だそうだが。

その後、ラッコの皮の交易を求めて、様々な国の船が、北太平洋を行きかうようになり、日本に交易を求めてきた。そして、領土紛争が起こるのだが、当時のルールは、人のいない土地を発見したら、発見者のもの(ただし、瓶などの目印を残すことが必要)。先住民がいたら、同意を得た上で、領有するというルールだったという。ルールと言えるかは?だが。

ロシアと松前藩との政府抜きの交渉は続くが、ロシアも日本との交易を始めたい動機から、力づくの交渉はせず、その中で、クナシリ、エトロフまでは、日本というコンセンサスが醸成されたという(松前藩による来航禁止通告)。その後の交渉で、ウルップ島は、中立地帯(空白)とすることとなった。いずれにしても、エトロフより日本側が日本の領土というコンセンサスは確かにあった。
そういった意味では、北方領土問題は、理屈は明らかと言えるのかもしれない。尖閣、竹島もそうだが。

当時は、欧米には、日本の東に金銀島があると信じられており(まだそんな時代だった!)、探検隊はこの幻の島を求めて何度も訪れた。大陸経由の情報が、誤って伝えられたものなのだろう。
誤ってというかどうかは別にして、当時日本は、世界の7帝国の一つと考えられていた。主に、当時交易していたオランダ経由の情報からと思うが、これは、天皇が教皇、将軍が皇帝と伝えられ、単なる王国よりも、格が上の国と考えられていたのだ。
その他の帝国は、ロシア、ゲルマニア(ドイツ)、トルコ、中国(清)、ペルシャ、印度(ムガール)だ。イギリス、スペイン、フランス、ポルトガルは、王国だから格下だった。
だから、他のアジアの国々と違って、ヨーロッパの各国は、腰を低くして、交易を求めてきたということらしい。だんだん化けの皮がはがれて、黒船来航となるのだが。

大塩平八郎の乱の真実(実は、どうも彼の行動が、米価高騰の一因になっていたらしい)や、浪士組誕生の背景など(浪士のほとんどが元農民?)、現代にもつながる興味深い話が続く。
夜明けは近い?



コメント
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