かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の歴史10 徳川の国家デザイン

2012年09月07日 | Books


小学館の歴史シリーズも、ようやく2桁まで来た。
時は、江戸初期、あの300年の太平の世の基礎が築かれた時期だ。

本書は、オーソドックスに、政治、経済、そして庶民の生活、街作り等、バランスよく触れてくれる。
学校で習うのは、政治中心だから、本書の方が、とてもリアルだ。当時のにおいがよく伝わってくる良書だと思う。

最初の部分は、まだ戦国時代。信長、秀吉、家康のつばぜり合いの様子が、史実を元に分析される。
例えば、お城。この3人が、これだけ、多くのお城を作っていたとは。京都、安土、大阪、名護屋(九州)、伏見、駿府、江戸。これらのお城が、16世紀後半から、17世紀にかけて、次々作られ、落城するものは、落城していった。
ただ、メインで残ったのは、江戸と京都(二条城)なのは、ご存じのとおり。
特に、江戸は、ニュータウンと言えるような状況で、最初は、渦巻き状に、譜代、外様、旗本、町人といった区分けがなされていたという。
1657年の大火で、江戸の過半が焼け、街の構造も変わったのだが。それにしても、すごい火事だったのだ。

秀吉の刀狩と検知も、社会に大きな影響を与えた。当時、収穫の2/3を治め、1/3が生産者に残るというシステムだったという。それに比べれば、消費税なんてかわいいもの?

例の朝鮮通信使についても、またまた触れられている。対馬の宋家によって、日本国王とされた徳川家は、その後、日本国大君と称号を変え、朝鮮との外交関係を詭道に乗せた。
日本側は、朝鮮通信使を、公儀の威光をたたえる使節と解釈し、朝鮮側は、朝鮮に朝貢する(対馬の)宋氏に先導させた日本巡察使と位置付けていた。
完結に整理してくれているが、複雑なごたごたがあった。

農村の生活もずいぶん変わった。当時の農業は、資源循環利用のクローズシステムだったという。確かにそうだ。得ているのは、太陽の光と、水。釜の刃などの、金属製品は、交流によって得た。今の印度もかな?

大阪の商業都市という位置づけも、そのころ確立したものだ。日本各地からの船は、大阪湾に集まった。特に大阪南部。大阪城より、ずっと南のエリアだ。

入り鉄砲と出女も、よく聞くが、実際は、鉄砲も、女も、双方向、厳しくチェックされたという。女の移動には、かなりの制約が課せられた。

まさに、戦国時代から、江戸政権が確立するところまでの、歴史をわかりやすく、説明してくれる本だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする