かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

星加ルミ子 トークイベント その2

2016年02月12日 | The Beatles

今日は、星加ルミ子さんのトークイベントの第2回。

本当は、1966年のアメリカ公演から、ルーフトップコンサートまでの話のはずだったんだけど、興が、乗りすぎて、結局、最後のUSツアー同行記の話で終わってしまったが、初耳の話満載で、楽しかった。
星加さんは、本当に話上手。
第2回目だったが、ほぼ満席だったと思う。

アメリカツアーへの同行は、ブライアンエプスタインから、来日公演の時に誘いがあったそうで、費用は、ビートルズ側が持つという事で、至れり尽くせりの取材だった。
他国の記者も合わせて(日本からは、カメラマンの長谷部さんと二人)、10人ぐらいが、同行していたが、全行程同行したわけではなく、シカゴ、メンフィス、ニューヨーク、ロス、サンフランシスコなど、メインの都市に随行し、隙間に、他のミュージッシャンの取材をしていたそうだ。

このツアーは、結局彼らの最後のツアーになるのだが、最初から、JLのキリスト発言があり、波乱含み。
JLは、ツアーキャンセルしたがったが、PMが、説得し、決行されたという。
記者とのインタビューでは、PMが、JLを、守っていたというから、驚きだ。
JLの、野生的なイメージとは、全く異なる。

ホテルなども一緒で、朝、RSに、スクランブルエッグを、よそってもらい、一緒に、朝食をとったという!
RSは、インタビューで、記者がついていないことが多く、星加さんが、つかまえてしゃべっていると、今PMが空いたからPMにどうぞという感じで、本当に人がいいとのこと。

シカゴでは、頼まれて、かのヒューヘフナーの屋敷にも行ったとのこと。
私が、シカゴにいた時も、奇人として有名で、よく無事に、帰ってきたものだ。

ニューヨークでは、あのシェアスタジアムで、ステージ脇にいた。3階席から人が、降って来たので、度肝を抜かれたというが、捕獲用のネットが、張ってあり、大丈夫だそうだ。
地元では、catching fishと呼んでいたらしい。
因みに最近、シェアスタジアムを、シェイスタジアムと呼ぶが、イギリス人は、皆、シェアスタジアムと発音しており、どちらも正しいそうだ。
ステージの前は、爆音で、何も聞こえないから、ブライアンエプスタインが、ステージ脇の会話のできるところまで、連れて行ってくれたという。

ロスでは、クーパーさんという人の、大邸宅を借り切って、宿舎にしていたそうだが、そこで、撮影禁止にもかかわらず、星加さん自ら、ビリヤードに興じたり、プールサイドで、くつろぐ4人の姿を収めた。ミュージックライフの、66年10月号に、掲載されたが、世界的にも、貴重な写真。
プールサイドには、ディランと、バエズもいたらしいが、写真では、確認できない。
レンズの付け方が、わからず、逆さまに付けたため、極端に小さな写真になってしまったのだという。
星加さんは、何冊も、当時のミュージックライフを、お持ちになっていたが、その号は持参されておらず、その時の写真は、次回にということに、一旦なったのだが、何とお客さんが、その号を、持参しており、見ることができた。
その本自体、相当のプレミアムが、ついているはずだ。

最後のサンフランシスコでは、クルーも交えた打ち上げパーティーがあり、そこにも参加されている。
素晴らしいパーティーで、GHが、サンフランシスコベイブルースを、弾き語りで歌い、みんなで、合唱したとのこと。
星加さんから見た4人は、本当に、ナイスな4人だったようだ。
コンサートでは、寒かったのだが、バエズが、上着を貸してくれたという。
その時の写真は、綺麗に、残っている。
これも、超貴重な一瞬だ。

その時、最後のコンサートになるか、4人は、決めていたと思うかという質問には、特に、JLと、PMが、止めたがっていたが、66年が、期限だったブライアンエプスタインとの契約を延長したら、またツアーに行かされるということで、悩んでたのでは?と考えていらっしゃるということだ。
その打ち合わせもあり、マハリシの話を聞きに行ったら、ブライアンが、睡眠薬の飲み過ぎで、亡くなってしまった。

後半は、アンソロジーの頃、東芝EMIのビートルズ担当だった森俊一郎さんの話。
森さんは、東芝EMIに、1982年入社されたというから、私より、一学年下。
リストラになって、フジバにいらっしゃるということなので、ずっと、音楽関係のお仕事。
ビートルズが、特に好きだったわけではなく、昨日は、バレンボイム(シカゴに、いた時、シカゴ交響楽団の常任指揮者だった)の、ベルリンに行って、最後は、クラッシックと感じたそうだ。
前任が隣だったので、たまたまビートルズ担当になったとのことだが、素晴らし仕事をなされた。6代目とおっしゃってたかな?

業界の裏話を、沢山聞くことができた。
評判イマイチの、ビートルズ1の、ジャケットアイデアを、ニールアスピノールが、東芝EMIのオフィスで、デッサンした話や、フリーアズアバードの、音源を、先行放送用に、自ら持ち帰り、金庫に収めた話しやら。
新作の情報管理は、本当にたいへんらしい。
ミュージッシャンとまさに、二人三脚で、素晴らしい音楽を、我々のところに、運んで、くれている。
今、フジパでは、JL関連の、版権のみ所有しており、ビートルズの版権は、ソニーなのだそうだ。この、版権の、流浪の話だけでも、一冊の、本が書ける。

次回は、マジカルミステリーツアーのセッションから、ルーフトップコンサートまでの話をする予定とのことだが、杉真理さんが、ゲストとのことで、スケジュール通り行きそうもない。

来週の予告として、その、セッションの音源が流されたが、星加さんすら覚えていない貴重なもの。
流石に、音が、ひど過ぎて、聴きづらいが。
フールオンザヒルの原石の音だ。
Let It Beの映像のリリース準備は、できているが、4人の内の誰かが、承認していないという裏話も、聞けた。

最後に、サインをおねだり。快く、応じていただいた。
本当に、、サービス精神旺盛な星加さん。
星加さんの、ビートルズの日本での人気への貢献度は、めちゃくちゃ高い。

コメント
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