かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

インド哲学10講

2018年06月20日 | Books
今日は、アジャイルについてのイベントだった。
世の中、凄いスピードで変わっている。
そして、この本は、真逆の話。



本書は、ずっと興味があった分野の新書ということで、即ゲット。

読んでみたが.....

前に鈴木大拙さんの本がさっぱりわからないという話をしたが、本書も。
国語としては、わかるのだが、その中で語られていることがわからない。
講義を元にまとめた本とのことだが、講義の中で、質疑応答があったのか。
私のレベルで質問しても、回答がわからず、困惑のまま終わっていただろう。

仏教は、大乗仏教の登場もあり、より庶民的になっているのだが、仏教が発生した当時の思想は、まさにばらばら。
有⇔無、ある⇔なる、ブラフマン⇔アートマン、神⇔業、一つ一つのお題が、謎なのだが、インドの紀元前の哲学者たちは、放っておけなかったらしい。

それにしても、この哲学の深さ、それを現代に繋げた後継者の深さは、なんなのだろう。
我々世代がそれだけ深い議論をしているようにも、見えないし、それを乗り越えたレベルに到達したのか。
少なくとも、世の中に存在するものを、原子レベルに落として組み立てていく手法は、このインドの時代にもあったが、数千年経って、証明されてきたようには見える。
やはり普遍的な思想なのか?

このインド哲学者達の考え方を理解できたら、開眼できる?

コメント
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