今日の午後は、講演会五連荘だった。
最初の四つは、仕事絡みなので、最後の一つの安曇族の話。
この話は、散々読んできたはずなのだが、講演会だと、最新情報と、講演者の筋の通った話が聞けるので、有り難い。
安曇族というと、国譲りの時破れて諏訪に逃れたというイメージだが、その裏には、縄文時代から続く東西交流の歴史が隠されている。
それは、絹の流れ、水田文化の流れ、黒曜石、ヒスイの発掘状況からわかる。
縄文時代の東西の流れは、信じられないほど大きい。
それは、東北発の北九州での発掘物を見れば、認めざるを得ないし、その痕跡が、地名にも色濃くのこっている。
そして、それを記紀に照らし合わせても、辻褄があう。
大阪の住吉神社が、日向を、福岡近辺と認めたのだという。
驚きだが、高千穂や、邪馬台国がどこかまだ、わからないのと同様、まだ、確定できないことが、沢山ある。
講演された方は、退職後、この研究の道をに入ったのだという。
脱帽。