今日は、早くも隠岐ツアー最終日。
まずは、西ノ島の別府港から、島後・西郷港へ。
ジェットフォイルで、スピードはフェリーの倍?
別府港近くには、後醍醐天皇ゆかりの地があるが、島後にもあり、真相は、藪の中?
西ノ島には、出港した港まで、特定されていたが。
島後に戻ってまず向かったのは、モーモードーム。
牛突きが行われる。
牛突きは、全国に残るが、牛突きの名は、ここだけ。
かつ、人が付いて牛を操りながら戦う。
以前は、隠岐4島で行われていたが、今も残るのは、島後のここだけ。
年4回公式試合がある他、ツアーがある時のみ勝負なしの牛突き(ショー)が行われるという。
伝統継承も大変だが、気合いの入った戦いを見せてくれた。
その隣に隠岐国分寺がある。
聖武天皇の時代に創建されたが、御堂は、その後何度も建て替えられた。
特に、廃仏毀釈時は、酷かったという。
ただ、その境内がそのまま残されて、寺として残っているところは、珍しい。
島後では、隠岐国分寺に、後醍醐天皇がおわしたことになっている。
この碑は、近衛文麿揮毫。
軍拡主義に突き進んだ時代だった。
ここが、元本殿のあったところ。
礎石のみが残る。
敷地内に、蓮華会之館が併設されていて、アジア各国の踊りが継承されていて興味深かった。
東大寺の開眼会を思い起こさる舞が長く受け継がれてきたという。
雅楽よりも、より広い地域の影響を受けている舞のように見えるが。
かつては、120種あった舞が、今は、7種になったというが、大切に引き継がれている。
ビデオをでダイジェスト版を見ることができた。
今回の訪問地の最後は、玉若酢命神社。
何度も前は通ったが、最後に訪れた。
この杉は、八百杉と言って、島内では、かぶら杉、乳杉と共に、三大杉に数えられている。
推定樹齢は、2000年以上。
落雷により、背丈は短くなってしまったが、太さは、確かに太く、根本の周りは、20mを超える?
社殿は、江戸時代の物だが、重文に指定されている。
一宮ではないが、隠岐の総社の地位にある。
縄の重さは、1t以上。
伝統の重さを感じさせる。
最期は、黒磯牛のロースビート丼。
以前の行程では、海鮮が続いたので、他種の料理も入れて欲しいという意見があったそうだ。
頭数が少ないので、希少価値だそうだ。
確かに美味しかった。
1と3日目は、時間がやや短かったけど、驚きの3日間だった。
交通の便がいまいちだが、便利になったらその良さも失われてしまうかもしれないし。
この恵まれた自然を生かして、頑張って欲しい。