
今日は、ほとんど夏。
すばらしい天気に恵まれた。
ビートルズ来日57周年?記念イベント2連発。
一つ目は、赤坂クロー・フィッシュさんでの、大村さんのトークと、Part Mastersのライブの2本立て。
しかも、2回づつ。
夕方からのイベントが既に決まっていたので、例外的に昼からの開催になったものと思われる。

トークイベントは、こんな感じで、大村節炸裂。
とにかく調査が、徹底していて、関係者の証言は鵜呑みにしない。
記憶違いが多いのは、ご案内の通りで、当事者自身の勘違いすら多くある。
第一部が、ビートルズと日本ということで、大村氏が、ビートルズ日本史と名付けた。
ビートルズの名前が報道されたのは、調べた中では、朝日の1963年11月10日の記事が最初という。
イギリスの通信社の報道のコピペだが、それだけ、イギリスでは大きな社会現象になっているということ。
日本で最初に出たシングルは、抱きしめたいか、Please Please Me とどちらが先だったかという論争があり、高嶋パパが、抱きしめたいが先だと断言しているが、大村氏は、まだ確定はしていないという。
客観的な証拠が見つかっていないからだ。
私は、高嶋さんのトークイベントで、高嶋さんが、かなり細かく記憶していて、確信を持って話されていたので、信じるしかないと思うが。
個人の日記や、買ったレコードに記した日付などが、決め手になるかもしれないという。
とにかく、当初の日本人の一般的な反応は、歌が変、髪型が変(額を隠す髪型が異常)というもので、若い女性のみが好意的に反応した。
当時の中高生の気持ちを率直に著した本として、岩瀬さんのオールマイラビングという本を紹介されていたので、早速申し込んだ。
そして、ヤァヤァヤァが、決定打となり、大騒ぎになった。
例えば、新春かくし芸大会で、クレージーキャッツが、ビートルズの物まねなどしたが、似て非なるものではあった。
そして、エレキブーム到来。
エレキは社会の敵のような風潮で、自治体によっては、禁止したところさえあった。
長髪の若者による強盗事件が、ビートルズ強盗などと呼ばれたりもした。
ビートルズ強盗の記事が、一般紙の3面記事に載っていることからも、ビートルズの名前は、既に広く知られていたことがわかる。
そして、NMEが、ビートルズの来日のニュースを報道し、朝日が、1966年3月4日付で報道し、報道合戦は、ピークに達する。
フィリピン公演が先に決まっていて、その間に日本公演を間に入れたとポールが語っているが、全くの勘違いと断言。
フィリピン公演の話しが出てくるのは、ずっと後という。
新聞、週刊誌の記事数を調べると、66年が圧倒的で、65年のMBE勲章受章時が続く。
その他の年は、大したことはなく(五十歩百歩)、ビートルズの記事は、65年、66年に集中していたことがわかる。
第二部は、途中退席したが、聞いた範囲では、大村さんの著書に書いてあることだった。
その後、新発見ネタが出たか、ちょっとわからない。
4月27日に来日公演が正式発表となり、その後ますます報道合戦が過熱。
公演日程が被ることから、舟木一夫、浅丘雪路vsビートルズなどの記事も飛び出した。

ライブは、Part Mastersさん。
このメンバーでの演奏を見たことがあるか記憶はないが、他のベテラントリビュートバンドと比べるとまだまた。
ジョンの丸山さんは、何度か見たことがあるが、リーダーでしっかり。
ポールが珍しく左利きで、今後に期待。

そして、地下鉄を乗り継いで、赤坂から六本木へ。
青空に、東京タワーが映える。

会場は、最近よく行っているアビー・ロード。
こちらも、ビートルズ来日記念イベント ”In Memorial The Beatles Live In Japan”で、もちろん満席。
湯川さんが登場するのが大きい。
いろんなトークイベントに行っているが、湯川さんのイベントは、初めて。

シンコーさんとの協賛イベントで、たぶんシンコーさんが持ち込んだ立て看も。
書籍も多数販売していたが、全部持っている。

まずは、ビートルズの記者会見の再現?
藤本さんのMCで、The Mayfairの面々に大真面目?で質問。
最後の記念写真で、おなじみのJAL法被を披露したが、一番左は、当時のオリジナルという。
当時のファーストクラスに乗らないともらえなかったから、残っている物は、少ないだろう。
復元品と、デザインが微妙に違うし、袖の内側にもデザインがあったことがわかる。

そして、湯川れい子さんのトークイベント。
素晴らしかった。
87歳のはずだが、とてもそうとは、思えない。
星加さんのトークイベントは何度かお聞きしたが、湯川さんのは初めてで、貴重な証言がたくさん聞けた。
ほとんど、リジェンド化していて、会場も、トークイベントに集中していた。
ビートルズが日本に知られただした頃は、総スカンで、今東光さんにレクチャーしたこともあったという。
驚く話としては、星加さんが既にいたシンコーの草加さんが、湯川さんの専属契約を300万円でオファーしたことがあるという。
当時の300万円だから、今で言うと1000万円以上。
それだけ、湯川さんの能力を買っていたということだろう。
流石、星加さんを、ロンドンに飛ばした人。
来日公演が決まり、チケットの印刷も始まっていたのだが、武道館の使用許可が下りず、断ることとなり、永島さんが、ロンドンにその旨伝えることになったが、永島さんは、ロンドンに行かず、NYに行って、断れなかったとして、強行したという。
永島さんの男気溢れる気概に拍手である。
そして、チケットの印刷は継続された。
記者会見も、記者クラブが仕切っており、星加さんと、湯川さんは、当初入れなかったが、永島さんらの計らいもあり、やっと入れた。
カーテンの下から、4人の靴が見えて、星加さんと、誰の靴か話していたところ、カーテンが上がって、嬌声を上げてしまい、後に、音楽業界の温泉芸者と揶揄されることになったという。
湯川さんは、やきもちを焼いていると思ったという。
方向性を持たないエネルギー=自由を4人に感じていたという。
招聘元である読売新聞の来日特集号の取材をすることになり、インタビューを申し込んだが、なかなか許可がおりず、困ったというが、その原因は、後に、ブラインアンエプスタインが、タイムライフ社に独占取材権を与えていたことであることがわかる。
警備が厳重だったが、警備の責任者とも話していて、現場にも真実は伝えられていなかったが、将来の安保闘争の警備の予行演習であったことは、確信していたという。
その前には、アメリカの代表団が、入国後、会談ができず、そのまま帰国に追い込まれる事件も発生していた。
まだまだ戦後が続いていた。
永島さんの秘書が親友で、頼み込んで、帰国前日の夕方に、ビートルズが欲しがっていた警官の腕章4つを届ける役をもらい、エレベーターの1階まで案内され、後は、がんばれと送り出されたという。
カメラを隠して恐る恐る部屋に入ったが、ブライアン・エプスタインがまず出て来て、彼女に目がはいらないような振りをして、通り過ぎたという。
この時、永島さんが事前に話を通していてくれたと思ったという。
そして、ポールが、君は誰?どこから来たの?と聞いてきたという。
30分ぐらいいて、その時描いていた絵の1枚をもらってきたが、後の東芝主催のビートルズ展の時、貸して、返してもらえなかったという。
その絵が、東芝関連の人の所有になっていることがわかったが、諦めたという。
そういう時代だったのか。
部屋では、ポールが仕切っていて、ジョージにお茶と出させてたりしていたという。
写真を撮るため、4回使えるストロボを持参していて、まずふてくされていたジョンを撮った。
ジョンについては、意地悪いとか、シャイとかいろんな説があるが、ビートルズに寄ってくる人は、何かの目的を持っている場合が多く、警戒心が強いというのが真実ではないかという。
そして、ポールとジョージを撮って、最後にリンゴとの2ショット写真をジョージに撮ってもらった。
ジョージは、やさしい性格で、今度初めて劇場公開になるConcet For George はすばらしい作品になっているという。
DVDは、見ているが、編集が違うのだろうか。
武道館公演は5回とも見たという。
たぶん、ほとんどそんな人はいないだろう。
最先端を見れたという気持ちと、初めて海外への窓が開いたという気持ちになったという。
ダブルファンタジー展にも感動。
ジョンの血染めの眼鏡だが、普通の人はあのようにはできない。
ヨーコさんは、それを平和を推進するためのオブジェにした。
最初に合った71年から、性差を訴えていて、女性がトップに立てば、戦争はなくなると常々語っていたという。
ジョンの最後のアルバムでは、ジョンとヨーコの歌が、交互に収められ議論を呼んだが、湯川さんが、否定的な意見を言うと、”わかってないわね!私の声のどこが悪いの!”と怒られたという。
今からでも謝りたいとのこと。
星加さんと違って?ヨーコさんとの交流は続いている。
ということで、中身大充実のすばらしいトークイベントだった。

ライブの方は、The Meyfairの3ステージ。
1stは、ビートルズの来日公演の再現。
トークの方は、カンペも入り、たとたどしかったが、演奏の方は、よく練られたものだった。
他のバンドで、7年前(50周年の時)、MCまで完コピのステージを見たことがある。
衣装の方は、2nd以降に使ったストライプタイプだが、今は木地がなく、オーダーメイドになり、結構高くついたそうだ。
それだけにも拍手。
そういえば、ジョージのギターも新調とのことで、このステージだけ見たら、大きく持ち出しになっただろう。

2ndは、初期の曲中心、3rdは、中期以降の曲で、リクエストの多かった曲から。
3rdは、ホワイトとルーフトップ中心になったが、While は、熱演だった。
ルーフトップは、ビリーの演奏を、ジョージが演奏するところがユニークだったが、なかなかのものだった。
ということで、ビートルズ関連イベント2本立てで、お腹いっぱい?