かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京都その14 京都御所

2008年02月13日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


ちょっと異色だが、京都御所に行って見た。中に入るには、前日まで予約が必要。入口で、4列縦隊で整列し、入場。1グループ毎に、監視員が付く。ご無礼な事件があったらたいへんだ。

この紫寝殿がメインの建物と思うが、即位礼など重要な儀式を行う正殿だ。大正天皇、昭和天皇は、ここで、即位された。



これは、諸太夫の間に襖絵だが、一つ一つの空間が、超一流という感じ。



これは、小御所。元服などの儀式や、天皇が、将軍などと対談の時使用された建物だが、王政復古の大号令の後の、小御所会議が開かれた場所としても、有名。



これは、御池庭(おいけにわ)。外国からの要人が来日した時、右に見える橋から、にこやかに、鯉に餌をあげるシーンがよく映される。

隅々まで、手入れの行き届いた、おごそかな空間だった。1200年前に平安京を作られた、天皇家の存在を強く感じさせる。
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京都その13 東寺

2008年02月12日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )



京都の寺社参りも早くも?3日目。まずは、定番の東寺を訪れた。言うまでもなく、弘法さんのお寺。嵯峨天皇から弘法大師様が賜った。毎月21日は、縁日だ。1200年もの間、新幹線から見えるこの地にある。平安京の南の入口の羅生門の両側に、東寺、西寺があったという。西寺は、衰亡してしまっている。

今さらだが、まずは、この講堂の中の、仏像曼荼羅の世界を堪能したい。国宝、重文の仏像様が、圧倒的な密教の世界を具現化している。



国宝五重塔も、東寺のシンボル。現在、初層内部が特別公開中(2層以上には、何もない)。仏像、壁画などが、東寺の歴史を物語る。高さ55mで、木造としては、日本最高の塔だ。江戸時代に、5回目に再建されたものだ。
驚いたのは、この塔には、中央の心柱(しんばしら)によって支えられている構造ではなく、一層、一層積み重ねられていることだ。法隆寺などの五重塔と構造が、全く異なる。

期せずして、ラッキーな見学ができた。

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京都その12 六波羅密寺

2008年02月11日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
ソウルの南大門が焼けてしまった。日本で言えば、法隆寺の五重塔が焼けてしまった位のインパクトがある残念な事件。韓国の国宝第一号だった。たまたま昨日、(作って2ヶ月振りに)my homepage の韓国の頁の校正をしていたところだったので、驚いた。韓国のシンボル的存在であり、しっかり再建して欲しい。



嵐山、嵯峨野の目玉のお寺を見た後、少し時間があったので、たまたま”京の冬の旅”キャンペーンで、特別公開中という空也上人の立像を見に、京都の北西から、東に一挙にワープ(バス利用)。六波羅密寺に向かった。
六波羅蜜寺は、元々10世紀半ばの醍醐天皇の息子である空也上人により創建された寺院。念仏を唱えることにより、流行していた悪疫を鎮めたという。平安後期に、平家一門が多くの館を構え、平家のシンボル的寺院となったが、その滅亡とともに、荒廃、再興を繰り返し、現在に至っている。



途中、弁慶と牛若丸の決闘シーンの像を見ながら、鴨川にかかる五条大橋を渡る。



小さな路地を入ったところに、六波羅密寺はあった。平家が栄華を誇ったこの辺りも、今は、この小さなお寺を残すのみとなったということか。奢れるものも、久しからず



普段は、訪れる人も少ないのだろうが、今は、宝物館特別公開中で、閉館間際のこの時間にも、ぱらぱらと人々が訪れていた。
空也上人立像は、この口から出ている6人の仏様の像が、特異だ。南無阿弥陀仏を表しているという。南無阿弥陀仏(念仏)を唱えれば、誰でもが救われるという空也上人の教えを、視覚的に訴えてくる像だ。鹿の角で、出来た杖を使っていたというが、その杖の実物(本当か?)も、展示されている。



平清盛像も、鎌倉時代のもので、晩年の姿をリアルに伝えているという。絶大なる権力を誇った面影はなく、達観した僧侶の姿だ。

その他にも、閻魔様や、お地蔵様など、すばらしい仏像をたくさん拝むことができた。
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京都その11 大覚寺

2008年02月10日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
今日は、いい天気で、気温も上がったので、鎌倉を散策。14,000歩の行程だった。
コースは、鎌倉駅寿福寺英勝寺浄光明寺岩舟地蔵海蔵寺化粧坂葛原岡神社銭洗弁天佐助稲荷鎌倉駅。梅も結構咲いてて、雪も残る中、春の臭いも感じられた。

京都に話を戻そう。
清涼寺から、少し北に行くと、大覚寺がある。嵯峨野を代表するお寺だ。平安時代に、嵯峨天皇が、離宮嵯峨院を建立したのが始まりで、弘法大師様も何度も訪れたという。嵯峨天皇の皇女内親王が大覚寺に改め、今に至っている。南北朝時代に、南朝の御所となり、南北朝時代を終結させる講話会議もここで、開かれた。



これは、寝殿から、庭と唐門を見たところ。右近(うこん)の橘(たちばな)が手前に見える。反対側には、佐近の梅が植えられている。



御影堂(みえどう)。嵯峨天皇、弘法大師らが祀られている。



勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)。嵯峨天皇ら6人の天皇の写経が納められている。勅封というぐらいで、中は、見れない。



大覚寺を有名にしているのは、この大沢池。シーズンオフで、全部を見ることはできなかったが(一応立ち入り禁止だった)、古い池であることはわかる。嵯峨天皇の離宮時代の庭池で、日本最古の庭園池だ。中国の洞庭湖を模して作られた。それで、庭湖(ていこ)とも呼ばれる。

季節のいい時に、もう一度訪れたいところだが、この静けさは、味わえないかもしれない。ご覧のとおり、大沢池には、誰もいなかった。
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Across The Universe 考

2008年02月09日 | The Beatles

京都の旅は、続いているが、ちょっと一服。

The Beatles の Across The Universe が、NASAより、北極星に向けて発信されたというニュースがあった。431年後に到着するという。
今日は特に用事もなく寒かったので、家にあるAcross The Universe 関係の資料をちょっと紐解いてみた。

まず、Across The Universe のオフィシャル版は、何バージョンあるか?
たぶん、4つが正解と思う。

1、ワイルドライフのチャリティアルバムに収録されたバージョン(1969年12月12日リリース)
2、Let It Be のLPに収録されたバージョン(1970年5月8日リリース)
3、アンソロジー2のDISC2に収録されたバージョン(1996年3月18日リリース)
4、Let It Be Naked に収録されたバージョン(2003年11月17日リリース)

我が家のブートレグ群を見てみたら、その他に10バージョンほどあった。”ほど”というのは、そのすべてがLet It Be のリハーサル(通称Get Back セッション)での録音で、ほとんどが完結していない(JLは、歌詞すら覚えていない)ので、正確には、数えられないのである。
先日ご紹介した"Drugs, Divorce and a Slipping Image"という本では、それぞれのTake をナンバリングして解説しているが(通称DDSIナンバー)、それと比べて聞いてみると、DDSI6.118、7.86~7.87、7.102、7.103、7.107、9.70辺りの音源のようだ。その内、7.102は、編集され、映画でも使用された。ちなみに、これらの録音日は、1969年1月6日、7日、9日だが、その後、本セッション(1969年1月末まで続く)では、歌われることはなかったと考えられている。(2回目の)お蔵入りだ。

Across The Universe のオフィシャルバージョンは、1968年2月4日と2月8日の音源が、元になっている。アンソロジー2の解説で、1968年2月3日のTake2とあるのだが、2月4日の間違いではあるまいか。マイクルイソンさん教えてください(彼は、ビートルズの音源を直接聞く機会を得て、その道の権威と考えられている)。彼自身による別の本でも、2月3日にこの曲のレコーディングが行われたとは書いてない。今回の北極星への発信も、1968年2月4日から40周年を記念して行われた(本来の趣獅ヘ、NASA50周年)。

この1968年の録音は、同時期に録音されたPMのLady Madonna がシングルとしてリリースされてしまったため、長い間(1回目の)お蔵入りとなった。JLは、Get Back セッションで、もっといい演奏をして、リリースしたかったのだろうが、結局その願いは、かなわなかった。Let It Be のLPに収録されているバージョンは、Let It Be の撮影時に録音したものではなく、その一年近く前の1968年2月の音源を元にしたものだ。実際出たのは、1970年だから、2年以上もお蔵入りしていたかわいそうな曲なのだ。

オフィシャル版の4つを聞き比べると、全くイメージが違う。

1では、オリジナルの回転数が上げられ、鳥の羽ばたく音が加えられている。その時スタジオの前にいた素人(追っかけ隊)の女性2人とポールのバックコーラスが聞こえる。
2では、それらの音がはずされ、オーケストラの音が加えられた(鬼才フィルスペクターの編集だ)。回転数を落として、曲のスピードを落としてある。JLは、このアレンジを評価していた。
3は、オリジナルに近いものと思われ、スピードは、1と2の中間ぐらいか。たぶん音源そのものなので、やや荒っぽい感じもするが、JL の当初のイメージに一番近いはず。タブラ?の伴奏も聞こえる。
4は、やはり1968年の音源から、新しく作られたもので、Get Back のコンセプトに沿って、極力装飾をはずしてある。フィルスペクターの音をはずすのに、一年半かけたという。それから、またエコーをかけ直したりして、編集してある。

4つのバージョン聞き比べてみて、私は、4がBESTだと思うのだが、北極星に発信したのは、どのバージョンだったのだろう。一番多く聞かれている、2のLet It Be バージョンかもしれない。

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