かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

鎌倉如月 その1 寿福寺

2008年02月18日 | Kamakura ( Japan )


2月10日、17日と鎌倉をぶらぶらしたので、訪れた寺社をご紹介したい。
まずは、寿福寺。今回訪れた中では、一番格上。鎌倉五山の第三位。門の左手前に見えるダンゴみたいな塔は、ここが五山だということを表している。
源頼朝の奥さんの北条政子が、臨済宗を日本にもたらした栄西を招いて建立(1200年)した。栄西は、日本に茶の習慣を伝えたことでも有名。禅と茶と伝えた栄西の、武家文化に対する貢献は、極めて大きい。



中門までは行けるが、その先は入れない。中門に続く石畳など、落ち着いた雰囲気を醸し出す。元々は、源頼朝の父義朝の屋敷跡とされる。



中門から中を見ると、こんな感じ。地蔵菩薩立像など、一部のお宝は、鎌倉国宝館で拝むことができる。



お寺の墓地には、様々な有名人(大仏次郎、高浜虚子、陸奥宗光など)が眠るが、一番有名なのは、北条政子と源実朝のお墓である。これは、北条政子のお墓。源実朝が暗殺された後、鎌倉幕府は、北条家が支配していくことになる。元が攻めてきて、たいへんな世の中になっていくのだが。
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スコータイ

2008年02月17日 | Thailand・Vietnam・Phillipines


先週の朝日のアジアの街角は、スコータイであった。まだ、昨年の殺人事件は、未解決なのだそうだ。ただ、この事件は、スコータイ公園が88年に開設され、初の事件だったそうで、他の地区に比べ、比較的安全な地域のはずではある。

記事によれば、写真のスラシー寺院等、主要4寺院で、ライトアップが始まったそうだが、電気代の元もとれていないらしい。スコータイの場合、バンコックから日帰りでは行けない。だから、訪れる人は、単なる観光というよりも、遺跡好きの人が多いように思う。見るだけの価値がある遺跡なのだが(少なくとも、アユタヤよりは、古いし、よく残っている)、ライトアップされたからといって、見に行く人が増えるとはちょっと思えない。宿泊施設も貧弱だ(少なくとも当時はそうだった)。

今日も先週に続いて、鎌倉を散策した。16,000歩のコース。

コースは、鎌倉駅釈迦堂口切通し杉本寺報国寺旧華頂宮邸浄妙寺覚園寺来迎寺鎌倉国宝館鎌倉駅



まだ寒いが、花の様子を見ると、この一週間の間でも、着実に春が近づいていることがわかる。



最後に訪れた鎌倉国宝館では、ひな人形の特別展をやっていた。家族構成の関係から、おひな様にはあまり縁がないのだが、この展示を見ると、女の子の健やかな成長への願いが、今も昔も変わらないことがよくわかる。
享保びなの展示が多いが、うりざね顔で、今のおひな様とは趣が異なる。調度品類のミニチュアの精巧さにも驚かされる。女のお子様をお持ちの方は、訪れてみてはいかが?でも、見るだけで満足するかな?たぶん、私も欲しい!となるのは、目に見えている。

鎌倉国宝館で、世界遺産登録を目指している鎌倉の候補遺産リストの載ったパンフレットを初めて見た。A4番で、見開き8ページの、なかなかわかりやすいパンフだ。武士の古都・鎌倉にふさわしい、鶴岡八幡宮、若宮大路、寿福寺、建長寺、円覚寺、鎌倉大仏など、20が候補遺産となっている。一般には、知られていないと思われる遺跡(例えば仏法寺跡、東勝寺跡、一升枡遺跡など)も候補になっており、この運動を盛り上げるには、少なくとも、候補地が、みんなに親しみの持てるものにしていく必要があるのではないかと感じた。
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ハマの謎とき。

2008年02月16日 | Yokohama ( Japan )
HDDVDが撤退を検討中という。昔、ベータ VS VHS の戦いを見たことのある世代にとっては、既視感がある光景だが。SONYは、これでお返ししたことになるのか。競争社会というのは、厳しいものだとつくづく思う。



横浜開港資料館で、ハマの謎とき。という企画展が催されている。最近、ここの企画展にはずぅっと行っているような気もする。

地図というものは、ロマンをかき立てるものだと思う。昔は、近所の絵地図を熱心に書いていた気もするし、結構横浜古地図の復刻版も持っている。
この展示会は、横浜の古地図と、今の横浜と比べて、謎ときをする企画だ。

今の横浜駅は、まさに、海の真ん中にぽつんとあったことがわかる。来年150周年を迎える横浜港も、150年前は、単なる砂浜だったこともわかる。そして、昔、ここはなんだったんだろうなと思っていたところの正体もわかった。
普段は、地図なんてと思って何げなく使っているが、時間がたつと貴重な歴史の記録になる。横浜も、この数十年の間にでさえ、どれだけ変わったことだろう。

謎解きの一つに、中華街は、なぜ斜めか?というQがある。風水の影響などと昔聞いたことがあるような気もするのだが、真っ赤な嘘。それらも含めて、150年足らずの横浜の移り変わりを目の当たりにすることができる。
展示している地図の復刻版が全部入手できると、にわか横浜近代史研究者が増えて面白いのだが。

本当に(奈良、京都、鎌倉に比べると)短い歴史の横浜だが、日本が、西洋文明を受け入れてからの歴史においては、最先端かつフルカバーの港町であり、それはそれで、たいへん興味深い。
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京都その16 泉湧寺

2008年02月15日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


京都の旅のラストは、泉湧寺。
元々は、弘法大師様が、ここに庵を築いたことから始まるという。その地に、鎌倉時代、月輪大師様が、宋で仏法を学び帰国し、泉湧寺を創建した。その後、歴代天皇の菩提所となり、厚い信仰を集めることとなった。そのため、御寺とも呼ばれる。

参道は、珍しく下っているので、門をくぐると、仏殿を見下ろすことになる。



仏殿は、江戸時代の再建だが、天井には、狩野探幽による龍の絵が描かれている。また過去・現在・未来(阿弥陀、釈迦、弥勒)を表す三尊仏(運慶作と言われる)の裏側では、同じく狩野探幽による白衣観音像を拝むことができる。その奥に歴代天皇が祀られている霊明殿があり、さらに奥にある御座所からは、立派な庭園を眺めることができる。



参道を下ったところの右側に泉があるが、このお寺の名前は、この泉に由来する。



このお寺を有名にしているのは、この楊貴妃の姿をした聖観音像だ。鎌倉時代に中国より請来されたという。美しい像だが、よく見ると髭を生やしており、観音様であることがわかる。



ということで、急ぎ足だったけど、3日間で、16も寺社巡りができた。

最後、京都タワーの只券があったので、上ってみた。生憎の天気だったが、京都駅の向こうに、朝行った東寺が見えた。京都は、意外と広いので、最初に京都タワーに上って(駅ビルの上は只とバスガイドさんは勧めていたが)、全体のイメージをつかんでから動いてもいいかもしれない。
今回の京都巡りで、結構京都の様子もわかってきた。

めでたし、めでたし。
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京都その15 大徳寺

2008年02月14日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
今日は、バレンタインデー。世の殿方は、何らかの形で、チョコを手にした人が多いと思う。二ついただいたが、一つは、カクテルボンボン。子供は、食べちゃダメと書いてあった。もう一つは、ラッキービートルというドイツ製。何故か、テントウムシのデザインなのだが、ドイツでは、テントウムシもビートルなのか?しかし、このチョコレートのプレゼント合戦、ヒートアップする一方のようだ。この仕来たり?の火付け役は、ノーベル賞ものだ。バレンタインデーというキリスト教に関する日なのに、女性から男性へチョコレートを贈るというのは、日本だけの仕来たりなのだから。それにしても、習性をすっかり見透かされていた。



大徳寺といっても、中には、多くの寺院(塔頭=たっちゅう)が建ち並んでおり、拝観謝絶の看板で、門前払いされる寺院も多い。もうちょっと、マイルドな表現の看板に出来ないかとも思うが、昔からこうなのだろう。
臨済宗大徳寺派の大本山で、大燈国師(だいとういこくし)が13世紀に造立した禅寺が元になって発展したお寺だ。応仁の乱で燃えてしまったが、一休さんにより、復興された。大徳寺をさらに有名にするのは、豊臣秀吉が、ここで織田信長の葬儀を行ったことで、それにより、有力大名が、塔頭を続々と造営した。侘び茶を確立した千利休も当寺と深い親交を持った。



TOPの写真は、仏殿で、釈迦如来様がご本尊だ。その前に、この三門がある。一階は、一休さんらが造ったが、一旦中断。その後、千利休が2階部分を作ったが、そこに、自分の像を設置。豊臣秀吉が門を通ると、千利休に踏みつけられることになるとして、千利休に自刃を命じた。人間、権力を持つと、大きく変わる。

その奥にある、大仙院を見学。庭も含めて撮影禁止だったが、建物、その内部、庭とも、これこそが、侘び寂びの世界だというすばらしいものである。
大仙院にある唐門は、豊臣秀吉が造営した聚楽第の遺構。その前の枯山水の庭園は、特別名勝に指定されている。普段非公開らしい。



寺院内にある大慈院で精進料理をいただいた後、瑞峯院を見学。ここの庭も、枯山水だが、ちょっと趣が違う。昭和に造られたものだそうだ。この庭は、荒い波を表しているようだ。





こちらの庭は、もっと風変わり。この瑞峯院は、キリシタン大名である大友宗鱗(そうりん)の塔頭。この7個の石は、キリシタンの十字架を表している。わかるかな?

室町から戦国時代の歴史を目の当たりにしてきた名禅寺だった。

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