かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

マレーシアその2 クアラルンプールシティセンター(KLCC)

2008年09月25日 | Singapore・Malaysia・Indonesia


今回のKLでは、ペトロナスツインタワーの近くに泊ったので、周りを散策することができた。
ツインタワーの間は、スリヤKLCCショッピングセンターになっている。初めて入ったが、マレーシアとは思えない(失礼!)、高級ブランドのオンパレードだ。
あまり客は、入っていなかったので、そりゃしょうがないと思っていたら、ラマダンに入る前は、中東のお金持ちの皆さんが、避暑?のために訪れ、たくさん買い物をして行ったそうである。



この吹き抜けのSCは、その規模といい豪華さといい、立派なものだ。日本のSCは、規模では負ける。



ガムランの演奏もやっていた。インドネシアと、文化的には(食事的にも)似ている。



ツインタワーの前には、昨日も紹介した広大な公園が広がる。何故、街の真ん中にこんな公園が作れたのかを聞くと、元競馬場だったそうだ。



コンベンションセンターもある。



市民用のプール(水遊び場?)もある。



勿論モスクもある。



今回は、行かなかったが、ツインタワーが出来る前は、街一番の展望台だったKLタワーも見える。

ということで、あまりにも贅沢な、市民の憩の場になっているのであった。



近くには、まだ建設中のマンションがたくさんある。これは、日本のゼネコンが建設中だが、全室プール付き(バス付きではない)ということで、億ションらしい。当然、庶民が買えるわけもなく、中東のお金持ち目当てのマンションだ。
イスラム教の国マレーシアと、中東の(気持ち的な)距離は、とっても近い。
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マレーシアその1 ペトロナスツインタワー

2008年09月24日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



マレーシアの首都クアラルンプール(通称KL)の、一番有名な(少なくとも一番目立つ)建物は、ペトロナスツインタワーだろう。
ペトロナスは、マレーシア最大、というよりも世界有数の石油会社。ツインタワーのかなりの部分が、ペトロナス社の本社に使用されている。
高さ452m。一時期世界一だったが、今は、たぶん台北の101か、ドュバイに建設中のものが世界一だろう。でも、とてつのない規模のビルであることには、変わりない。
最上階に上るのは、一日仕事(朝から行列して整理券をもらえても、すぐには上れない)で、断念したが、途中までは上る機会があった。



ちょうど、二つのタワーをつなぐ、空中廊下の近くだったが、流石に、この廊下を歩いたら、恐いだろう。この二つのタワーは、韓国と日本の建設会社が別々に造ったが、高さが微妙に違い、この空中廊下をつなげる時は、たいへんだったと聞いたことがあるが、本当なのだろうか。



単に高いだけでなく、圧倒的な存在感がある。デザインを良く見ると、三角柱と円柱を組み合わせたデザインであり、イスラム教のタワーそのものであることがわかる。インドがムスリム化した時の記念であるクトゥブ・ミナルのタワーもこのデザインだった。そしてスティールをむき出しにすることで、現代的なイメージも併せ持たせたのだろう。



ちょうど夕方に、真っ白な半月が上ってきて、ツーショット(右上に見えるかな)。そういえば、KLにお邪魔した時は、ラマダン(断食)が始まったところで、昼間は(イスラム教徒は、子供や、妊婦を除いて)誰も飲み食いしない。陽が落ちるのを、それこそみんな心待ちにしているのだ(陽が沈んでいる間は、飲み食いができる(もちろんアルコールは、飲まないが))。



ということで、陽が暮れると、涼しくなるせいもあるが、俄然街は、元気になる。ツインタワーの前の公園の噴水は、見事である。夜のみ、噴水ショーが行われている。



ツインタワーのライトアップも見事である。流石、資源を有し、養うべき人口もそう多くないマレーシアだけあって、この辺には、たっぷりお金をかけることができるようだ。

今回のKLは、天気にも恵まれ、きれいな写真も結構とれたので、my homepage のマレーシア編で使っている写真を差し替えるか悩んでいるところである。再編集を悩む前に、まずは、とり合えず完成させろという声も聞こえてきそうだが。

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特別展 スリランカ

2008年09月23日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan



今日は、秋分の日。上野に行ってきた。スリランカ展を見に。
スリランカについては、my homepage のスリランカの頁をご覧いだたきたいが、南インドの国々で、唯一仏教が主流の国だ。内戦がなかなか終結しないが、これは、宗教戦争というより、1000年来の、シンハラ人が主流のスリランカに対する、南インドのタミル人の勢力争いだ。



スリランカには一度しか行けてないが、結構印象深い国だ。この展覧会では、それぞれの時代の出土物を、丁寧に展示してくれている。小物が多く、大きいもの(石作りのもの)は、ほとんどレプリカなのは残念だが、芸術性の高さには、目を見張る。特に、古めのものがいい。仏教の源流のイメージを残しつつ、ヒンドゥ教の影響も受け、独特の文化を生み出した。



今回の展覧会が催されている表慶館は、リノベ以来始めて入ったが、いい感じになっていた。



入口では、ムーンストーンのレプリカが迎えてくれる。



このワタダーゲの復元模型も興味深かった。

後は、見てのお楽しみだが、スリランカ、仏教芸術に興味のある方は、必見だろう。
スリランカに行った時も、博物館系には全然行けなかったので、新鮮な驚きを体験できた。
スリランカについての情報は、不足気味なので、スリランカを知る貴重な機会だと思う。
ズームイン朝で、英語を教えてくれた、ウィッキーさんが、宣伝部長を務めている。

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シンガポールその7 チキンライス

2008年09月22日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



シンガポール最終回は、チキンライス。海南チキンライスといえば、シンガポールの屋台料理の定番。3ドルぐらいで、食べられるのだが、このチキンライスは、オーチャード通りに面するメリタス・マンダリンホテルのチャーターボックスの名物料理の高級チキンライス。駐在時代は、この屋台相場の6倍以上の価格におののいて、数回しか行かなかったが、今回久し振りに行ってみた。値段も上がっていたが、一番びっくりしたのは、一階にあったチャーターボックスが、昔高級レストランだった、トップ・オブ・ザMの場所(最上階)に移転していたことだ。
ここは、元々眺めのいい回転型展望レストランだったが、料理のコンセプトが中途半端で、人気イマイチの店だった。それがチャーターボックスに変身していたのだ。レストランの回転は止まっていたが。



これは、ダウンタウン方向(南側)を見下ろしたところ。シンガポールの中心部がほとんど網羅されている。



これは、北側(山側)だが、遠くに、マレーシアのジョホールバル(右奥)が見えた。左奥の山が、シンガポール最高峰の山だが、ダウンタウンの高層ビル群の高さよりずっと低い。

ということで、オーチャード通り近辺で、ランチを取ることになったら(特に天気のいい日は)、ここをお勧めする。



デザートでは、大好きなSAGO (右)を頼んだが、量たっぷりで、ちょっとくどかったな。蛙の卵のように見えると言って嫌う人もいるが、おいしいよ。ちなみに赤い徳利のように見えるのは、アイスコーヒー用の、ガムシロップと、ミルク入れなので、念のため。どちらも使わないのだが。昼から、ビールは飲むが、流石に日本酒は飲まない。



銀座通りと姉妹関係にあるオーチャード通りは(規模では負けるが、濃縮度では勝つか?)、F1レースの宣伝一色だった。開催まで、一週間を切った。今頃どうなっているだろう。


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伊豆下田に行ってきた

2008年09月21日 | Other Eastern Japan



今週末は、伊豆に行っていた。台風と秋雨前線の合間を縫って、伊豆下田に行ってきた。

まず行ったのは、下田開国博物館。手作り感あふれる博物館だが、下田の祭りの話から始まって、ペリー、ハリス、唐人お吉(この辺までは説明不要)、吉田松陰(下田で、ペリーの船に乗り込もうとして失敗し、結局死罪になった)、下岡蓮杖(れんじょう)(日本の商業写真の開祖)、プチャーチン(ロシアのペリーに当たる人)など、わかりやすい展示が続く。下田が、横浜開港の前、欧米露に対する最前線であったことがわかる。
展示を見ると、ペリー前にも多くの欧米露の船が東伊豆に押し寄せていたが、門前払いで済ませていたので、ペリーのように、歴史に名を残さなかったということらしい。そのため、東伊豆には、6つのお台場があったという。北は富戸、南は、この下田近辺。ペリーの大艦隊が来て、問題先送りができなくなったということだろう。



吉田松陰は、この下田港に停泊するペリーの船に乗り込むべくいかだで乗り出したが、失敗し、結局死罪となった。博物館に近いここは、捕まって、まず連れてこられた場所だ。



宝福寺には、唐人お吉のお墓がある。評判の芸妓だったが、その美貌ゆえに、ハリスに奉公することとなり、恋人と引き裂かれ、日本人からも毛嫌いされ、ハリスの死後、小料理屋を開業したが、それも失敗。身を持ち崩し、結局、自ら命を絶った。弔うお寺が無く、この宝福寺のみが、受け入れたという。



昭和5年までのお墓は、このようなみすぼらしいものだったが、この開国前夜の悲劇は、多くの芝居に取り入れられ、杉村春子さんらにより、少し立派なお墓が建てられた。





宝福寺は、当時脱藩していた坂本龍馬を許すよう、勝海宗が、土佐藩主山内容堂に直談判した寺としても、有名だ。勝が、この盃で、飲めない酒を飲み干したことにより、山内は、坂本の脱藩を許し、それから、坂本龍馬の最後の活躍が始まる。談判した部屋も、その時の盃も、展示されている。



下田が有名なのは、何といっても、ぺリーが最初に上陸したことによる。ここが上陸地点。



下田は、今も当時の面影を残す、のどかな港だ。



ここが唐人お吉がやっていた小料理屋。ここも当時の面影を残す。



ここは、玉泉寺。アメリカ最初の領事館がここだ!ハリスがここで、アメリカ代表として駐在した。日本最初の牛の屠殺場なども残る。

ということで、下田は、横浜よりちょっと前に、西欧文明にちょっぴり触れた街だった。ふらり散歩するには、打ってつけの町である。

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