今日は、絶好のお花見日和だったが、関係なく、久し振りにゴルフに行ってきた。ちょっと肌寒かったけど、これくらいの気温の方が、集中力が持続できるような気がする。
当麻寺から、一転、桜井の方に足を延ばしてみた。大量の粉々になった青銅鏡が見つかった桜井茶臼山古墳に行ってみたかったからだ。ただ、駅前の地図に明確な行き方の表示はなく、ずいぶん遠回りしてしまった。敷地も柵で覆われたいた。
立派な石碑はあったが。初期ヤマト政権の重要な古墳であることは間違いない。
桜井から、奈良方向に行くと、巻向駅がある。寄ってみた。
ここの箸墓古墳をみるためだ。遠くからでも、このように確認できる。相当大きい。
巨大な前方後円墳だが、その造られた時期が、卑弥呼の時代と重なることがわかってきて、この古墳こそが卑弥呼の墓ではないかという説も出てきているのだ。
その近くに同時期に造られたホケノ山古墳がある。日が暮れてきたので、見にくいが、韓国で見られる古墳らしい姿をしているようだ。ここからも、近年大量の発掘があった。この辺りは、初期ヤマト政権の中心地であったことは間違いない。
電車のタイミングが悪く(この辺りは、時間帯によっては一時間に一本しか来ない)、遅くなってしまったので、初めてビスタカーを使ってみた。特急料金がかかるが湘南ライナーと思えばよい。
京都ではせんとくんが迎えてくれた。
当麻寺から、一転、桜井の方に足を延ばしてみた。大量の粉々になった青銅鏡が見つかった桜井茶臼山古墳に行ってみたかったからだ。ただ、駅前の地図に明確な行き方の表示はなく、ずいぶん遠回りしてしまった。敷地も柵で覆われたいた。
立派な石碑はあったが。初期ヤマト政権の重要な古墳であることは間違いない。
桜井から、奈良方向に行くと、巻向駅がある。寄ってみた。
ここの箸墓古墳をみるためだ。遠くからでも、このように確認できる。相当大きい。
巨大な前方後円墳だが、その造られた時期が、卑弥呼の時代と重なることがわかってきて、この古墳こそが卑弥呼の墓ではないかという説も出てきているのだ。
その近くに同時期に造られたホケノ山古墳がある。日が暮れてきたので、見にくいが、韓国で見られる古墳らしい姿をしているようだ。ここからも、近年大量の発掘があった。この辺りは、初期ヤマト政権の中心地であったことは間違いない。
電車のタイミングが悪く(この辺りは、時間帯によっては一時間に一本しか来ない)、遅くなってしまったので、初めてビスタカーを使ってみた。特急料金がかかるが湘南ライナーと思えばよい。
京都ではせんとくんが迎えてくれた。