かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京奈近その16 三井寺(園城寺)

2010年04月04日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


京奈近の旅も三日目。初めて、京都でレンタカーを借り、滋賀方向(近江)に行くことにした。滋賀県のお寺には行ったことがなく、初めてのお寺ばかりだ。これも、五木さんの百寺巡礼の影響が大きい。本書によると、滋賀県のお寺の数は、人口一人当たりにすると全国一なのだそうだ。人口が少ないということもあるかもしれないが、仏教信仰の厚い地域であることは間違いないだろう。

生憎の冷たい雨の日だったが、レンタカーでの移動で、そのダメージは、最小限だった。

最初に訪れたのが、三井寺。これは、大門。元々15世紀に湖南市常楽寺に建立されたが、伏見城に移され、その後徳川家康が三井寺に寄進したという。重文。中の仁王像は、運慶の作とされる。
三井寺は、大きなお寺だが、仏像は非公開のものが多く、建物を中心に見ることになった。



まっすぐ登ると、金堂が見えてくるが、その左手前に有名な三井寺の晩鐘がある。江戸初期のもので重文。日本三名鐘の一つと言われる。わが子を思う盲目の蛇の物語は有名だ。悲しい物語だ。



金堂は、国宝。秀吉の正室である北政所により再建されたもの。桃山時代を代表する建築の一つだ。



その裏に、閼伽井屋がある。御井の霊泉と呼ばれ、三井寺の名の由来となったものという。



その奥に霊鐘堂があった。中に弁慶の引き摺り鐘がある。弁慶が、引き摺って三井寺から持ち去ったが、いのう(去のう)と鳴ったので、怒って鐘を谷に突き落としてしまったという。



隣に、弁慶の汁鍋まであった。ホンマかいな?



その奥には、一切経蔵があったが、その中には、八角輪蔵がある。お経の箱が多く納められているのが見える。この構造は、チベットのマニ車を思い起こさせる。三井寺は、密教寺院だ。



この三重塔は、室町時代のもので、重文。やはり秀吉が伏見城に移したものを、家康が三井寺に寄進したという。京都、滋賀には、旧伏見城のものが各所で見られる。



金堂がある中心部からちょっと離れたところに観音堂を中心とした一帯がある。その上の見晴らし台に上ると、観音堂と大津市、琵琶湖が一望に出来る。天気のいい日は、さぞかしすばらしい景色だろう。



珍しい石碑があった。大津そろばん碑だ。姿がユニーク。

すばらしいお寺だったが、天気が悪く、有名な仏様も見られなかったので、何かのご開帳の時にもう一度訪れてみたい。京都からもすぐ行ける。
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