自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学 著:しんめいP
だいぶ軽いノリの哲学入門書
いや入門ですらない個人解釈で東洋哲学をこう感じたから今生きてると
日記めいた本でありました
自己啓発書のさらにライト版みたいな感じであっという間に読めたのでした
あんまり見たことないんだがまとめサイトと呼ばれるのが
こんな感じじゃないかと思ったりしたのだった
特に意味があるとも思えない挿絵がいっぱいで、
かつ、それがフリー素材と生成AIで作っているというあたり
今っぽいのはこういうノリかと思うと同時に
本でこれを読まされるのわと、まさに、描かれていたフェイクに騙されているようにも
思ったりしたのである、本は高尚というかちゃんとしてほしいというフェイクにだ
そこに気づかせるため、わざと画像選んでいるところまで仕組まれてんだったら
大したもんだなとも思うが、それは詭弁とか詐術というやつじゃないかとも感じるのである
さて、扱っていたのは、仏陀、龍樹、老子、荘子、達磨大師、親鸞聖人、空海さんと
仏教をバックボーンにしながら、だんだんと新しくなってきていた
その流れの分岐点にいる人たちでありまして
このざっくりとした説明でも、なんとなくわかったようなそうでもないようなと
気分よく読ませてくれるのでよかったと思うのである
特に龍樹とか知らないと思いつつ読んだのだが、
「空」の提唱者というのは大変な功績だなと感心して読んだのだが
タイトルの通り「自分とか、ないから。」という感じから、仏陀の教えというか悟りが始まり
その解釈をめぐって、あれこれしていた仏教をいったん綺麗にして
次の大乗仏教へといざなうという仕事はすさまじいなとも思ったところ
また、こういう人たちを経て達磨さんとかが中国に渡り、
さらにそこから日本にきてだいぶカスタマイズされてしまったと
まぁそんなあたりで、密教のあたりとかは、確かに空海さんが適任ではあるが
空海さんが開いたわけでもないしなと思うが、
大きく流れていく仏教の根底思想みたいなのが
わかるような気分、いや、「すべてが一つ」の思想というのへの反証をつぶしていく感じが
よくよく理解できて楽しかったのである
まぁ、この仏教の流れが根底にあるが、
そこではない中国独自ともいえる思想の老荘も扱っているわけだけども
こちらも根幹は似ているとしていて、
でも、仏教が破滅的にロックな感じだが、老荘は前向きでよろしいというのも
解釈として面白いなと感じるところ
個人的に老子は好きなので、こういう解釈もいいなと思いつつ
ともかく、こだわらないことでこだわりから脱却できるということやら、
言葉遊びのようで、何かが生じる時には相手が必要で、そして相手もまた自分が必要だから
全部ひとつで、全部繋がっているというのは
気持ちいい感覚だなと思ったのでありました
本人が、なかなかいい加減な人だったようにも読めることしか書いてなかったんだが
これもまた、ダメであろうとした親鸞を目指しているという感じなんだろうかと
読もうと思えば、どうとでも読めるような感じで
楽しく終えたのである
でも、ネットテキストっぽさが残って、これが本(書物)かと思ってしまうのは
私が悟ってないからだろうかとも思うのである
だいぶ軽いノリの哲学入門書
いや入門ですらない個人解釈で東洋哲学をこう感じたから今生きてると
日記めいた本でありました
自己啓発書のさらにライト版みたいな感じであっという間に読めたのでした
あんまり見たことないんだがまとめサイトと呼ばれるのが
こんな感じじゃないかと思ったりしたのだった
特に意味があるとも思えない挿絵がいっぱいで、
かつ、それがフリー素材と生成AIで作っているというあたり
今っぽいのはこういうノリかと思うと同時に
本でこれを読まされるのわと、まさに、描かれていたフェイクに騙されているようにも
思ったりしたのである、本は高尚というかちゃんとしてほしいというフェイクにだ
そこに気づかせるため、わざと画像選んでいるところまで仕組まれてんだったら
大したもんだなとも思うが、それは詭弁とか詐術というやつじゃないかとも感じるのである
さて、扱っていたのは、仏陀、龍樹、老子、荘子、達磨大師、親鸞聖人、空海さんと
仏教をバックボーンにしながら、だんだんと新しくなってきていた
その流れの分岐点にいる人たちでありまして
このざっくりとした説明でも、なんとなくわかったようなそうでもないようなと
気分よく読ませてくれるのでよかったと思うのである
特に龍樹とか知らないと思いつつ読んだのだが、
「空」の提唱者というのは大変な功績だなと感心して読んだのだが
タイトルの通り「自分とか、ないから。」という感じから、仏陀の教えというか悟りが始まり
その解釈をめぐって、あれこれしていた仏教をいったん綺麗にして
次の大乗仏教へといざなうという仕事はすさまじいなとも思ったところ
また、こういう人たちを経て達磨さんとかが中国に渡り、
さらにそこから日本にきてだいぶカスタマイズされてしまったと
まぁそんなあたりで、密教のあたりとかは、確かに空海さんが適任ではあるが
空海さんが開いたわけでもないしなと思うが、
大きく流れていく仏教の根底思想みたいなのが
わかるような気分、いや、「すべてが一つ」の思想というのへの反証をつぶしていく感じが
よくよく理解できて楽しかったのである
まぁ、この仏教の流れが根底にあるが、
そこではない中国独自ともいえる思想の老荘も扱っているわけだけども
こちらも根幹は似ているとしていて、
でも、仏教が破滅的にロックな感じだが、老荘は前向きでよろしいというのも
解釈として面白いなと感じるところ
個人的に老子は好きなので、こういう解釈もいいなと思いつつ
ともかく、こだわらないことでこだわりから脱却できるということやら、
言葉遊びのようで、何かが生じる時には相手が必要で、そして相手もまた自分が必要だから
全部ひとつで、全部繋がっているというのは
気持ちいい感覚だなと思ったのでありました
本人が、なかなかいい加減な人だったようにも読めることしか書いてなかったんだが
これもまた、ダメであろうとした親鸞を目指しているという感じなんだろうかと
読もうと思えば、どうとでも読めるような感じで
楽しく終えたのである
でも、ネットテキストっぽさが残って、これが本(書物)かと思ってしまうのは
私が悟ってないからだろうかとも思うのである