教誨師 著:堀川 惠子
ある教誨師をしていた浄土真宗の僧侶から、
その仕事について聞き取ったルポというのか
実録系の本でありました
死刑囚の話し相手になる、というと語弊があるのですが
その心によりそう仕事を教誨と呼ぶのだそうで
門外不出というほどでもないですが、
決して、外にその話をしてはいけないとされる
実に不思議な職業のお話でありました
こんな世界があるんだな、そう思わされるわけである
取り扱う話題からして大変デリケートなので、
おいそれと、よかった、悪かったなんて、
この本から教誨についてあれこれいうことは
絶対にできないし、そういう本ではないのでありますが
やはり死刑囚に対してのこの内容というのは、
なかなか、とてつもなく考えさせられるところでありました
本の内容に、これはまったく出てこないし
そういうことを意図する本でないと
固くしてんだろうと思うんだが、やっぱりどうしてと、
この教誨という仕事の深刻さ、そして、
その真摯さというものに触れるこそに
そこまでして、寄り添うということがはたして
どうなんだろうかと、哲学めくのでありました
被害者からすると、ここに救いが生まれるということも
一種、違和感を覚えるのではないかなんて
思ったりするのであります
しかし、教誨することによって、
ようやっと罪と向き合うといえばいいのか、
そういう心を手に入れる死刑囚もいるようで
そうなってくると、一つの何かを得ているようにも
思わなくもないけども、なんだろうか
どうなんだろうか、この仕事は人間社会に
どうしてもあるべきもののようにも思うし、
そうではないのかもしれないと
ゆれてしまうのでありました
本では、死刑囚のやりとりに加えて、
そこで起こるというか感じる内容、
この仕事により救われる死刑に携わる人たちなんかも見えて
とてつもない重たさをはらむわけですが
ここに教誨を行う僧侶の生き方もまた
仏教における一つの修行というか
役割でもあるのかもしれないと
深く考えさせられつつ
凄いことを知ったようにも思う
そんなことを書いておこうと
とりあえずメモっておくのであります
凄いというのとも違う、感動はない、
なんといえばいいか、考える、考えている
そう自分に言い聞かせるようであります
ある教誨師をしていた浄土真宗の僧侶から、
その仕事について聞き取ったルポというのか
実録系の本でありました
死刑囚の話し相手になる、というと語弊があるのですが
その心によりそう仕事を教誨と呼ぶのだそうで
門外不出というほどでもないですが、
決して、外にその話をしてはいけないとされる
実に不思議な職業のお話でありました
こんな世界があるんだな、そう思わされるわけである
取り扱う話題からして大変デリケートなので、
おいそれと、よかった、悪かったなんて、
この本から教誨についてあれこれいうことは
絶対にできないし、そういう本ではないのでありますが
やはり死刑囚に対してのこの内容というのは、
なかなか、とてつもなく考えさせられるところでありました
本の内容に、これはまったく出てこないし
そういうことを意図する本でないと
固くしてんだろうと思うんだが、やっぱりどうしてと、
この教誨という仕事の深刻さ、そして、
その真摯さというものに触れるこそに
そこまでして、寄り添うということがはたして
どうなんだろうかと、哲学めくのでありました
被害者からすると、ここに救いが生まれるということも
一種、違和感を覚えるのではないかなんて
思ったりするのであります
しかし、教誨することによって、
ようやっと罪と向き合うといえばいいのか、
そういう心を手に入れる死刑囚もいるようで
そうなってくると、一つの何かを得ているようにも
思わなくもないけども、なんだろうか
どうなんだろうか、この仕事は人間社会に
どうしてもあるべきもののようにも思うし、
そうではないのかもしれないと
ゆれてしまうのでありました
本では、死刑囚のやりとりに加えて、
そこで起こるというか感じる内容、
この仕事により救われる死刑に携わる人たちなんかも見えて
とてつもない重たさをはらむわけですが
ここに教誨を行う僧侶の生き方もまた
仏教における一つの修行というか
役割でもあるのかもしれないと
深く考えさせられつつ
凄いことを知ったようにも思う
そんなことを書いておこうと
とりあえずメモっておくのであります
凄いというのとも違う、感動はない、
なんといえばいいか、考える、考えている
そう自分に言い聞かせるようであります