北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

覚えておいて良かった

2005-06-17 23:09:57 | Weblog
 今週はずーっと晴れ間が続きそうです。ようやく春先の鼻炎の季節から解放されたようです。いやあ、今年は随分長く悩まされました。

 
 さて今日は、
■覚えておいて良かった… の1本です。

【覚えておいて良かった…】
 私が卒業したのは北大農学部農学科花卉(かき)造園学講座というところだったはず。

 「はず」というのは、卒業後から今日までの大学改革の波が激しくて、大学の講座は再編され、かつての「農学科」はもうないのである。

 花卉造園学講座は今は「生物資源科学科」になってしまい、北大からもう「農学科」の卒業生は出ないのである。

 もっとも教授、助教授の系譜は連綿と続いているので、花卉造園学講座卒業生の後輩学生が出なくなったわけではない。「最近は女子学生が多いんだけど、女子の方が意識が高いんだよね」とは教授の弁。男性陣の奮起が期待されるところである。

 さてそんな講座の卒業生によって「造園エルム会」という会が作られていて、大先輩から連綿と親睦を深めている。例年はこの会は東京で行われているのだが、今年は少し趣向を変えて、敢えて札幌で行おうということになり、今日がその宴会の日。

 市内のホテルの和室をお借りして会合が開かれたが、会場には遠路はるばる東京から大勢の先輩が駆けつけてくださって、総勢40人ほどの会合となった。

 最長老は昭和19年に大学を卒業した方から、一番若くして参加してくれたのは平成12年卒業という幅だったが、驚くべき事は卒業後23年を経過している私が参加者の中で下から二番目に若かったということ。

 要するに私の後輩はわずか一人の例外を除いて全く参加してくれなかったと言うことではないか。
 この会に参加してくださる先輩の顔ぶれも大体決まってしまっていて、なにか一つの組織に帰属しているという意識というものが年々弱まっているのかな、と感じてしまう。

 入会することのメリットだとか、意味が感じられないということではなくて、先人から受け継いでいる歴史の鎖の一個であるという自覚を持っているか否か、ということではないか、と私は思うのだが、もう古い人間になりかけているのだろうか。残念なことである。

 さて下から二番目という事は、こちらからほぼ全員の先輩にお酒を注いで歩かなくてはならない立場。でも大体の先輩は存じ上げているので心強い。
 逆にこういう場で先輩を知らないでいるということは、やはり普段から参加していなければ来づらいのかも知れないなあ、とも思うのである。

 まあ先輩は大事にしないと、私も後輩から大事にされないということで、そう言う意味ではもう大事にしてくれる後輩はいないということなのかも。むーん、やっぱり残念。

    *   *   *   * 

 宴会の締めは、なんと言っても寮歌「都ぞ弥生」を全員で肩を組んで歌うこと。

 都ぞ弥生は北大の校歌ではなくて明治45年度の寮歌なのだが、メロディと歌詞の美しさで北大を代表する歌の一つになっており、老いも若きも会合の最後はこの歌を歌って気持ちを一つにするのである。

 …と、今日の司会の先輩から突然の指名で「小松さん、口上できる?」と訊かれた。口上というのは、この都ぞ弥生を歌う前に朗々と語る一節のことで、正しくは楡陵謳春賦(ゆりょうおうしゅんふ)というのだ。

 「なんとか覚えています」「良かった、じゃやってね」ということで私が口上を述べさせてもらうことにした。その一節とはこんなもの。

  『楡陵謳春賦』
  吾等が三年を契る絢爛のその饗宴はげに過ぎ易し
  然れども見ずや穹北に瞬く星斗永久に曇りなく
  雲とまがふ万朶の桜花久遠に萎えざるを

  寮友よ徒らに明日の運命を嘆かんよりは 楡林に篝火を焚きて
  去りては再び帰らざる 若き日の感激を謳歌はん

  明治四十五年度寮歌
  横山芳介君 作歌
  赤木顕次君 作曲

  都ぞ彌生

  …と述べてから「一番、二番、アインス・ツバイ・ドライ」と声を発して初めて「都ぞ弥生の雲紫に…」と歌い始めるのである。アインス・ツバイ・ドライというのは、ドイツ語で1,2,3という意味。これもまたドイツ語を習ったうれしさを伝える伝統である。

 こうして肩を組んで歌って会合はおしまい。この瞬間は皆22歳の若者である。

 それにしても口上を覚えておいて良かった。誰か言える人がいないと寂しいもんね。
 
  
コメント (2)
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