北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

山本七平著「日本人の人生観」を読む

2005-06-20 23:41:47 | Weblog
 今日の札幌はどんよりした曇り空。涼しいので助かりますが。さて、ネタが苦しいときは読んだ本の紹介で切り抜けましょう。
  
 今日は、
■山本七平「日本人の人生観」を読む の1本です。

【山本七平「日本人の人生観」を読む】
 山本七平(1921~1971年)は、私の好きな評論家、文芸家の一人であり、人が気づいていながら表現できない社会の真実を教えてくれる人である。

 彼の膨大な著作の中から、講談社学術文庫278番 山本七平著「日本人の人生観」(お値段は税込み640円)である。

 本の中身としては、タイトルの「日本人の人生観」のほか、「さまよえる日本人」、「日本人の宗教意識」、「文化としての元号考察」の全部で4編の小論からなっている。

 その中でも日本人の人生観についての彼の評論が面白い。

 彼は一時フィリピンにいて、そこのてんでにばらばらな米作りのやり方を見て、その後に日本に帰ってきたときに、その一糸乱れず整然として穂の高さまでが一応に芝生のようにそろっている様を見て、「なにか強力な統制が働いているように見えた」というのである。

 そのことを彼は、日本人の先祖が連綿と自然を相手にした米作農業を中心に行ってきたからではないか、と結論づけている。

 そしてその秩序に従っている限り自分は安全で、自然にそのように対応することが生きていく上での前提条件になっていったのではないかと考えるのである。

 このような伝統があるために日本が近代化しても、様々な外部的環境に対して一瞬にして反応し、その反応が非常に敏感なのである。

 人間は環境の変化に敏感に対応して生きていると、個人的には非常に楽な生き方なはずだ、という。

 ただこの欠点は、非常に楽な変わりに将来が予測できないこと。というのは、環境が変わらない限り自分の方が変化しないので、非常に受動的な生き方になるのである。

 同時に環境への変化というのは、一見、大変化のように見えても順応の基本にある考え方は、それによって自己の本質的な物を変えまいとしているわけだから、釈迦を固定化するのである。

 簡単に言えば、これは四季の環境の変化に対応して服装を替えて順応しているようなもので、変わっているのは服だけで内なる肉体を不変化の状態に保っている都考えれば、これは変化していないわけである。

    *   *   *   * 

 …とまあ、山本七平氏の見立てる日本人の人生観とはだいたいそんなもの。

 日本人は歴史の節目にその過去を抹殺して平気なので、ほんの少し前に先人がどう考えたかと言うことが非常に分かりづらくなっている、とも言う。

 トサフィストという耳慣れない単語が登場するが、これは本の欄外に自分の見解や注解を書き込んでいった人たちのことだそうだ。

 本文は決していじらずに、その時点での見解を書き込んだら、次の人がまたそれに見解と注を加えて行く…。それを民族の歴史として繰り返して行って行くと、どの時代にどういう考え方が広まり、あるいは思想がどう振れたかということが簡単に分かってくるものである。

 ヨーロッパも中国もそうしたことを冷徹に行ってきた民族であるのに、我が日本人はそう言うものには本来動かしてはいけない「軸」であるはずの本文に墨を塗って消し去ることで、本質を見もせず考えもせずにその場しのぎで対応をしてきたので、振り返ったときにどういう変遷があったのかと言うことが極めて分かりづらくなっているということなのだそうだ。

    *   *   *   * 

 先の大戦が国を挙げてどういう考えで行われたのかももう国民の中には分からなくなっているのが実際のところだろう。

 多くの事件や事故に対して、社会全体が感情に押し流されてしまうのではなく、どこかで誰かが冷徹な目で見ているということが大事なように思われる。

 自分を中心に、そして今現在を基準にして考える性向の危険性をこの本は示してくれる。

 是非ご一読をお薦めしますよ。   
コメント
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