北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

キーワードは「所有から利用へ」~カー・シェアリングを考える

2005-06-16 23:11:25 | Weblog
 今日も今日とて札幌は朝から快晴。天気の良い6月は紫外線の多い季節。

 紫外線の強い季節は青系の花が綺麗です。南区の滝野公園なんかきれいな季節ですよ~。
 
 さて今日は、
■「所有」から「利用」へ の1本です。

【「所有」から「利用」へ】
 今日はあるまちづくり勉強会で、札幌で「カー・シェアリング」に取り組んでおられる須賀原さんとそのチームにお会いする。

 カー・シェアリングという言葉をご存じだろうか?これは「1台の自動車を複数の会員が共同で利用する自動車の新しい利用形態」なのだ。

 具体的に言えば、利用者は自ら自動車を所有せず、管理団体の会員となり、必要な時にその団体の自動車を借りるという会員制レンタカーのようなものである。

 レンタカーと違うのは、レンタカーが不特定多数に対して営利を目的として車を貸し出すのに対して、カー・シェアリングでは会員である特定多数に対して営利を目的とせずに車を貸し出すというものである。

 須賀原さんのチームでは昨年札幌市内で実証実験も行って、その「有効性が改めて確認できた」とおっしゃり、本格的な実施に向けて意欲満々である。

 須賀原さんの考えるカー・シェアリングの形態では、「徒歩五分程度の範囲内に車をおける環境の整備」と「15分で250円という料金」、さらに「インターネットで無人で車の開いている時間帯を予約する」ということを考えている。

 現実的には、地域として半径300mほどのどこかの駐車場には何台かの車があるという状況を作らなくてはならず、そのためにはある程度の人口密集も必要である。

 しかし大きなマンションなどでは今日、世帯全員が一台以上の車を持つような駐車場を持ちきれないところもあるわけで、必ずしも車を【所有】しなくても【利用】できればよい、という発想で自分の生き方を変えることができさえすれば、そもそも地域に使わずにおいてある車の台数などは大幅に少なくすることができるのである。

 さらに言えば、どうせ持っているのだから【使わなくてはもったいない】という発想からついつい車に乗る生き方をするのか、【使うのにお金がかかるのはもったいない】ということで、少しの距離なら歩いたり自転車を使ったり、都心へは公共交通で行く、という形に意識が向けば、エネルギー消費だって抑えられる。

 そもそも皆が車を使わない生活になれば、ガソリン車の燃費をリッター10kmから12kmにあげるよりも遙かに二酸化炭素削減効果だってあるのである。

 これも私の昨日の考えと根は同じで、【使うものを効率化】する発想から、【そもそも使わない】という発想に切り替えてしまおうというのである。

 須賀原さんの説明を借りると、「カー・シェアリングの車の利用料はクレジットカードで翌月払いを考えています」とのこと。その心は?と尋ねると「携帯電話と同じことですよ。先月使いすぎたなあ、と思えば今月は控えようかと思いませんか?」と答えが返ってきた。

 「車を使うのにお金がかかるんだと思えば、車を使って遠くのショッピングセンターへ買い物に行くよりも、近くの商店街で10円高い卵を歩いて買いに行く人が増えるんです。そうすれば商店街の活性化にだって繋がるんですよ」

 「冬の北海道なら雪かきや車の屋根の雪払いがあるのではありませんか?」
 「私もそれを心配したのですが、実は実験をしてみると会員さんはみんな車を使うときには自分で雪はねを持ってこられるんですよ。それに『みんなの車だからきれいに使おう』という意識も高かったですね」

 この取り組みを阻害する大きな要因の一つは複雑な法体系なのだが、実は札幌市もこの取り組みにいち早く賛同して対応をし、カー・シェアリング特区の認定をこの3月28日に受けている。 

 しかしなんと言っても、これができない最大の要因は車を所有したいという所有欲なのではなかろうか。
 
 「いつかはクラ○ン」なんて言葉や、自慢の車に乗って格好いいところを見せたい、という一人一人の気持ちの総体がこれだけの自動車交通環境の悪化を招いているのではなかろうか。

 「そうは言っても…」という方は、この環境が整ってきたときにはせめてセカンドカーを持つことだけは止めて、カー・シェアリングに切り替えてみてはいかがだろうか。

    *   *   *   * 

 話は農業に変わるけれど、農業の世界でも農地の個人所有ということが土地利用の面でも農業の継続という面でも問題になってきている。

 農家資格がなければ農地の所有もできないし、農家資格を持った農家が農業を行わなくなったときには耕作放棄地が広がるだけ。それでいて変わりに農業をやりたいという意欲のある人はなかなか片手間では農地を使って「農」という行為ができないのだ。

 最近では市民農園などでのレクリエーション利用としての農業はあるが、農地を農家しか使えないという法体系に限界が来ているのも現実なのだろう。

 「農業をやりたい」「やってみたい」という【意志】のある人で「農業技術」という【能力】を持っていても、農家という【資格】がなくては、農業へ参入することはできないのである。

 これまではバブルな都市的利用圧から農地を守る、という意味合いが強かったのだろうが、人口減少という社会条件の変化に対して農地や農業がどのように対応するのかが問題なのだ。

 誰でも良いから農地で農業を善良なる管理者の責任で行ってくれれば良くて、勝手に土地を売ってしまうなどという地域のためにならない土地利用は制限を加えさえできれば良いのではないか。

 ね?ここでもキーワードは「所有から利用」でしょう?

 まあこの体だってご先祖様から80年ばかり借りたものだと思えば、使用期限が来ればお返しをしなくてはならないものなのですがね。

 よそ様からの借り物はプレゼントと思って大事に大事に使いましょう。 

 ちなみに写真はわが愛車、15年目の三菱デリカ。この車には本当に世話になったので、「では自分はカー・シェアリングができるだろうか?」ということで、自問自答をしているのあります、はい。
 
コメント (4)
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