雨は降らないものの、曇りながら暑い!。窓際の私はまだマシな方で、室内の奥の方で熱を発するOA機器に囲まれた課員は可哀想である。
クールビズで耐えるとしますか。
さて今日は、
■新聞記者さんとの対話 の2本です。
【新聞記者さんとの対話その1】
今日はなぜか新聞記者さんにご縁のある日。
朝一番で某経済系新聞から取材を受けて、「オホーツクエリアで、知床の世界遺産をもう一つ違う切り口で捕らえたいと思っていて、シーニック・バイウェイについて伺いたい」という。
シーニック・バイウェイも15~16年の試行期間を経て本稼働に入り、東オホーツク、大雪・富良野、支笏洞爺ニセコの各ルートが認定を受けた。
東オホーツクはある意味で、推進役がはっきりしているという評価もあって、今後が楽しみである。
この新聞社さんも道東をなんとか盛り上げたいというイメージで、情報を探しているようだ。こういう前向きな記者さんとは今後ともお近づきになって、よりよい地域作りに協力をお願いしたいものである。
そう言えば、シーニック・バイウェイのリソースセンターからメールが来ていた。
「シーニックバイウェイ北海道HPでは、特集記事としてイベントカレンダーなどを掲載しております。ぜひみなさんのHPでご紹介いただけると幸いです」とのこと。
アドレスは、http://www.scenicbyway.jp/ です。是非アクセスしてみてください。
【新聞記者さんとの対話その2】
夕方になって、午前とはまた別の新聞社の記者さんが訪れてくれて、話を聞かせて欲しい、と言う。
何事かと思えば、人づてに「掛川から帰ってきて、変な本を書いた人がいるけど、会ってみたら」と紹介をしてくれた人がいるそうな。
一体どこのどなたかは存じませんがありがとうございます。
この記者さん、すでに私の「掛川奮闘記」を手にしていて、付箋もべたべたと貼って、気になるところをチェックしてある。なかなかあなどれないぞ。
インタビューの内容は、「国の役人と地方自治体の職員という立場の違いをどう感じたか?」といったことに始まって、茶の文化、生涯学習、国の役人としての豊富など多岐にわたった。
インタビューに応じていて改めて感じたのは、「ああ、やはり僕は生涯学習の真実を伝える役割なのではないか」という天命のようなもの。
「生涯学習」という単語はもう榛村市長が提唱して流行らせてから約30年が経過しようとしていて、今日多くの自治体が「我が町も生涯学習の町」として自治体経営をしているところが多い。
しかし多くの自治体では首長ご自身がその真に偉大な意味に気づかずに、ただ文科省的な「死ぬまでなんとなく勉強をしましょう」といったスローガンの一つとしてしか認識していないのが実態である。
* * * *
何度でも言うが、榛村の生涯学習とは「林業と報徳」であり、「向都離村の教育から選択定住社会の実現へ」ということである。
必要なことは、市民が自らの故郷に住むことを子供に奨励せず、「都会へ行くことが善である」という謝った価値観を改めて、「仕方なくではなく、自ら進んで自分の故郷を選んで住む」という価値観に切り替えること。
そして、一度その選択をしたからには、自分が生まれたときよりもよりよい故郷を築いてから死ぬことを誓うこと。よりよい社会にできなければ死ねない、という思いを持つこと。
そのためには、自分の地域をよく知り誇りに思い、社会から皆が貪るのではなく、よりよくするためになにがしかのものを一人一人が持ち寄るような自立した市民による自立した社会を作らなくてはならない、というのが理想なのである。
誠に残念なことに、榛村前市長はその理論を正しく理解、あるいは発展させながら実践活動として取り組めるような、ご自身のめがねにかなった人材をとうとう作れなかったのだと思う。
もとより私とてその任ではないのだが、この理念はやはり30年後の今日なお光り輝く高邁な理想に満ちていると信じるに足るものだ。
そう勝手に私自身が思っていて、掛川市民の多くがやはりそのことに気づいていないことに警鐘をならしたいと思ったのが「掛川奮闘記」なる拙著を著そうと思った最大の動機である。
榛村前市長に「生涯学習を達成するとはどういう事か?」と問答をふっかけたときに間髪を入れず「ゼロ歳から百歳までの動機付けですよ」と答えが返ってきたときに、これを誰か他の人に聞かせたかった。
自らが動機を持つこと、そして行政はそれを手助けして成功体験を積み上げさせることに努力すること。それが生涯学習をベースにした行政なのだ。
幸か不幸か、私はこの哲学にリアルタイムで触れることのできた最後の助役となってしまった。
今まさに、このことを伝えずにはいられないという思いが自分自身の深いところを静かに流れているのである。
「教養と良質の情報がないから、地方都市は馬鹿にされるんですよ」という言葉の重みを受け止めて、教養の醸成と情報獲得につとめなくてはなるまい。
地方都市が生きて行くと言うことはそういうこと。誰かが言い続けなくてはならないことのように思うのだ。
* * * *
明日~明後日は北見で「ふるさと銀河線」の交通問題を語る幹事会、委員会に出席してきます。
明日の夜は書き込みはないかも知れませんが、あしからず。
クールビズで耐えるとしますか。
さて今日は、
■新聞記者さんとの対話 の2本です。
【新聞記者さんとの対話その1】
今日はなぜか新聞記者さんにご縁のある日。
朝一番で某経済系新聞から取材を受けて、「オホーツクエリアで、知床の世界遺産をもう一つ違う切り口で捕らえたいと思っていて、シーニック・バイウェイについて伺いたい」という。
シーニック・バイウェイも15~16年の試行期間を経て本稼働に入り、東オホーツク、大雪・富良野、支笏洞爺ニセコの各ルートが認定を受けた。
東オホーツクはある意味で、推進役がはっきりしているという評価もあって、今後が楽しみである。
この新聞社さんも道東をなんとか盛り上げたいというイメージで、情報を探しているようだ。こういう前向きな記者さんとは今後ともお近づきになって、よりよい地域作りに協力をお願いしたいものである。
そう言えば、シーニック・バイウェイのリソースセンターからメールが来ていた。
「シーニックバイウェイ北海道HPでは、特集記事としてイベントカレンダーなどを掲載しております。ぜひみなさんのHPでご紹介いただけると幸いです」とのこと。
アドレスは、http://www.scenicbyway.jp/ です。是非アクセスしてみてください。
【新聞記者さんとの対話その2】
夕方になって、午前とはまた別の新聞社の記者さんが訪れてくれて、話を聞かせて欲しい、と言う。
何事かと思えば、人づてに「掛川から帰ってきて、変な本を書いた人がいるけど、会ってみたら」と紹介をしてくれた人がいるそうな。
一体どこのどなたかは存じませんがありがとうございます。
この記者さん、すでに私の「掛川奮闘記」を手にしていて、付箋もべたべたと貼って、気になるところをチェックしてある。なかなかあなどれないぞ。
インタビューの内容は、「国の役人と地方自治体の職員という立場の違いをどう感じたか?」といったことに始まって、茶の文化、生涯学習、国の役人としての豊富など多岐にわたった。
インタビューに応じていて改めて感じたのは、「ああ、やはり僕は生涯学習の真実を伝える役割なのではないか」という天命のようなもの。
「生涯学習」という単語はもう榛村市長が提唱して流行らせてから約30年が経過しようとしていて、今日多くの自治体が「我が町も生涯学習の町」として自治体経営をしているところが多い。
しかし多くの自治体では首長ご自身がその真に偉大な意味に気づかずに、ただ文科省的な「死ぬまでなんとなく勉強をしましょう」といったスローガンの一つとしてしか認識していないのが実態である。
* * * *
何度でも言うが、榛村の生涯学習とは「林業と報徳」であり、「向都離村の教育から選択定住社会の実現へ」ということである。
必要なことは、市民が自らの故郷に住むことを子供に奨励せず、「都会へ行くことが善である」という謝った価値観を改めて、「仕方なくではなく、自ら進んで自分の故郷を選んで住む」という価値観に切り替えること。
そして、一度その選択をしたからには、自分が生まれたときよりもよりよい故郷を築いてから死ぬことを誓うこと。よりよい社会にできなければ死ねない、という思いを持つこと。
そのためには、自分の地域をよく知り誇りに思い、社会から皆が貪るのではなく、よりよくするためになにがしかのものを一人一人が持ち寄るような自立した市民による自立した社会を作らなくてはならない、というのが理想なのである。
誠に残念なことに、榛村前市長はその理論を正しく理解、あるいは発展させながら実践活動として取り組めるような、ご自身のめがねにかなった人材をとうとう作れなかったのだと思う。
もとより私とてその任ではないのだが、この理念はやはり30年後の今日なお光り輝く高邁な理想に満ちていると信じるに足るものだ。
そう勝手に私自身が思っていて、掛川市民の多くがやはりそのことに気づいていないことに警鐘をならしたいと思ったのが「掛川奮闘記」なる拙著を著そうと思った最大の動機である。
榛村前市長に「生涯学習を達成するとはどういう事か?」と問答をふっかけたときに間髪を入れず「ゼロ歳から百歳までの動機付けですよ」と答えが返ってきたときに、これを誰か他の人に聞かせたかった。
自らが動機を持つこと、そして行政はそれを手助けして成功体験を積み上げさせることに努力すること。それが生涯学習をベースにした行政なのだ。
幸か不幸か、私はこの哲学にリアルタイムで触れることのできた最後の助役となってしまった。
今まさに、このことを伝えずにはいられないという思いが自分自身の深いところを静かに流れているのである。
「教養と良質の情報がないから、地方都市は馬鹿にされるんですよ」という言葉の重みを受け止めて、教養の醸成と情報獲得につとめなくてはなるまい。
地方都市が生きて行くと言うことはそういうこと。誰かが言い続けなくてはならないことのように思うのだ。
* * * *
明日~明後日は北見で「ふるさと銀河線」の交通問題を語る幹事会、委員会に出席してきます。
明日の夜は書き込みはないかも知れませんが、あしからず。