今日の札幌は日中の最高気温が30℃を超えて、東京より早い夏日を観測。おいおい、ちょっと早すぎるんじゃないの?
さて今日は、
■防災の心得「携帯を使えないものか?」 の1本です。
【防災の心得「携帯を使えないものか?」】
知人と意見交換をしていて、「防災の意識として何が必要か?」という議論になった。
私が兼ねてから考えていた事は、組織的に携帯電話と毛板電話のメールを防災のためのツールに組み込めないのか、という問題であった。
災害時の初動体制としては、職場としてまず職員及びその家族の安否の確認を行う事としていて、その次には動ける職員は非常参集マニュアルに従って職場、または一番近い事務所等の出先施設に集合する事となっている。
その際の職員への通信手段はいまだに家庭用電話のリレー形式による連絡網が用いられていて、これが防災訓練などでも使われる。
電話という便利なものが出始めたときならいざ知らず、今日もっと便利な携帯電話というものが、若い職員ならばほぼ一人に一台普及していながら、それを使うということには体制が組まれていないのだ。
一部の職員には防災用の携帯電話が貸与されているが、多くの職員はもちろん自腹で携帯電話を所有しているだろう。そのうえ、若い人ほど連絡には携帯メールを利用しているので、通信手段の認知は十分に確保されているだろう。
メールの良さは、①一斉送信が可能なため、連絡網のようなリレーのための時間がいらない、②発信した時刻や発信内容が記録として残るので、後々の報告や管理記録作成の手間が必要なく、業務に専念できる、といったことで、通信記録が残る事だけでも通信の世界は進化している事を実感せずにはいられない。
最近の携帯電話にはカメラが着いているものも多く、これなどは上手に活用すれば災害現場の記録などとしても有効で、多様な機能がごく手近な携帯機器一個に集約している事で、多くの能力を発揮できる事だろう。
言いたい事は一つ。昨年までに決まっていた事柄を今年もそのまま墨守するのではなく、科学技術や社会環境の発展や変化に伴って、新たに使える技術として取り入れるという心構えに不足はないのだろうか、という問題意識である。
昔のやり方が守旧的で悪で、新しいものが善と決めつける事も危険な事で、従来型と携帯による新しいものとを並行的に使う実験をしてみて、その上で検証をするのでもかまいはしない。
常に進取の気質を保つマインドを持って事に当たるべきではなかろうか、という意識である。
いくつか、そういう思いが簡単にいかない要素があるとすれば、まず組織が巨大であるという現実的な規模の問題である。そして次には、私的な携帯を使う事による公的な費用負担の問題であろうか。
しかし、できない理由を並べ立てることよりも、どういう有効な初動体制、あるいは二重に安全が働くようなフェイルセーフのシステムを作る事ができるか、という事の方が重要だろう。
* * * *
しかし実は最大の問題で盲点だったのは、「携帯をもっていない、使えない人はどうする?」ということであった。
そもそも防災時に枢要なポジションとなるような職員は、日頃からの防災意識と行動によって、いざというときにどういう準備と心構えが必要か、と言う事は徹底をしているはずだが、新しい技術と機械について行くという一点において、「それだけはどうも苦手」という人もいそうである。
これもまた司司にいる職員の心構えの問題なのかも知れないが…。

自分の周りにはそう言う事はありませんか?
さて今日は、
■防災の心得「携帯を使えないものか?」 の1本です。
【防災の心得「携帯を使えないものか?」】
知人と意見交換をしていて、「防災の意識として何が必要か?」という議論になった。
私が兼ねてから考えていた事は、組織的に携帯電話と毛板電話のメールを防災のためのツールに組み込めないのか、という問題であった。
災害時の初動体制としては、職場としてまず職員及びその家族の安否の確認を行う事としていて、その次には動ける職員は非常参集マニュアルに従って職場、または一番近い事務所等の出先施設に集合する事となっている。
その際の職員への通信手段はいまだに家庭用電話のリレー形式による連絡網が用いられていて、これが防災訓練などでも使われる。
電話という便利なものが出始めたときならいざ知らず、今日もっと便利な携帯電話というものが、若い職員ならばほぼ一人に一台普及していながら、それを使うということには体制が組まれていないのだ。
一部の職員には防災用の携帯電話が貸与されているが、多くの職員はもちろん自腹で携帯電話を所有しているだろう。そのうえ、若い人ほど連絡には携帯メールを利用しているので、通信手段の認知は十分に確保されているだろう。
メールの良さは、①一斉送信が可能なため、連絡網のようなリレーのための時間がいらない、②発信した時刻や発信内容が記録として残るので、後々の報告や管理記録作成の手間が必要なく、業務に専念できる、といったことで、通信記録が残る事だけでも通信の世界は進化している事を実感せずにはいられない。
最近の携帯電話にはカメラが着いているものも多く、これなどは上手に活用すれば災害現場の記録などとしても有効で、多様な機能がごく手近な携帯機器一個に集約している事で、多くの能力を発揮できる事だろう。
言いたい事は一つ。昨年までに決まっていた事柄を今年もそのまま墨守するのではなく、科学技術や社会環境の発展や変化に伴って、新たに使える技術として取り入れるという心構えに不足はないのだろうか、という問題意識である。
昔のやり方が守旧的で悪で、新しいものが善と決めつける事も危険な事で、従来型と携帯による新しいものとを並行的に使う実験をしてみて、その上で検証をするのでもかまいはしない。
常に進取の気質を保つマインドを持って事に当たるべきではなかろうか、という意識である。
いくつか、そういう思いが簡単にいかない要素があるとすれば、まず組織が巨大であるという現実的な規模の問題である。そして次には、私的な携帯を使う事による公的な費用負担の問題であろうか。
しかし、できない理由を並べ立てることよりも、どういう有効な初動体制、あるいは二重に安全が働くようなフェイルセーフのシステムを作る事ができるか、という事の方が重要だろう。
* * * *
しかし実は最大の問題で盲点だったのは、「携帯をもっていない、使えない人はどうする?」ということであった。
そもそも防災時に枢要なポジションとなるような職員は、日頃からの防災意識と行動によって、いざというときにどういう準備と心構えが必要か、と言う事は徹底をしているはずだが、新しい技術と機械について行くという一点において、「それだけはどうも苦手」という人もいそうである。
これもまた司司にいる職員の心構えの問題なのかも知れないが…。


自分の周りにはそう言う事はありませんか?
