北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「海の都の物語」を読む(その2)

2009-06-08 23:52:20 | Weblog


  東地中海を中心に時代を駆けめぐったヴェネツィアは、航海術はもちろん、外交術でも他国の追随を許さない高度な技を駆使しました。

 幾つもの国の中心都市には今で言う大使館をおき、そこから得られる情報で的確な外交判断を行っていたのです。

 16世紀初頭にヴェネツィアはその歴史で最大の国外領土をもつ立場になっていました。これを面白く思わない国は多かったのですが、巧みにそれらを団結させないような外交を繰り返していました。

 そしてそのようなときに、ヴェネツィア最大の外交ミスを起こします。ヴェネツィアの振る舞いを侵略的だとして、ドイツの神聖ローマ帝国、フランス王、スペイン王、そして法王庁などヨーロッパ全土を敵に回すという失態を演じたのです。

 同時代人のマキャベリはこう批評しています。
 「現実主義者が誤りを犯すのは、往々にして相手も自分たちと同じように考えると思いこみ、それゆえに馬鹿な真似はしないにちがいない、と判断した時である。ヴェネツィアはこの度の戦いで、彼らが八百年もの間築き上げてきたものを全て失った」と。

    ※    ※    ※    ※

 読めば読むほど、日本に似ているなあ、と思います。

 ヴェネツィアは契約という約束を愚直なほど守るので有名でした。これもまた日本みたい。

 ブルクハルトは『イタリア・ルネサンスの文化』のなかでこう述べています。「ヴェネツィア共和国ほど遠国に住む自国民に対して、道徳的な力を及ぼした国家はなかった」と。

 そして都市国家の時代が終わり、大君主制による国家群の台頭を迎え始めた17世紀になり、ヴェネツィアはしばしば力と量の支配する外交と軍事の世界において、持たぬ者の悲哀を味わうことになります。

 やがてフランス革命後のナポレオンに降伏することで海洋都市国家としての歴史を終えたヴェネツィア。

 「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
 16世紀のヴェネツィアの外交官フランチェスコ・ソランツォは帰任後の報告の中でこう述べています。

 日本がそうした国になってはなりません。物語として面白い歴史は、今を生きる我々にとっての貴重な教科書であるはずです。

    ※    ※    ※    ※

 箱根にある箱根ガラスの森美術館には、内陸に領土を得たヴェネツィアの手工業黄金期のガラス美術工芸品が数多く展示されていますよ。

 「ヴェニスを見てから死ね」と言われます。生きているうちに一度は行ってみたいものです。
コメント (2)
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