北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人という字を刻んだ息子 ~ 月刊致知メルマガより

2009-06-28 23:58:33 | Weblog
 私はいくつも登録した先からメルマガを送ってもらっていますが、それらの中には感動的な話題も盛りだくさんです。

 今日はそんな中から月刊『致知』のメルマガをご紹介しましょう。

 「人間力とはなにか」、「立派な人間とは何か」という問いに一言で答えを出すことは出来ません。これらの問いには、人を感動させる物語を読むことで自分自身が答えを探し出さなくてはいけないのだと思います。
 
 今回は「人という字を刻んだ息子」です。



---------- 【ここから引用】 ----------


■◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
     人間力・仕事力が確実にアップする致知出版社メルマガ

~月刊『致知』おかげさまで創刊31周年~
          http://www.chichi.co.jp/

                     2009/6/28
                     発行 (株) 致知出版社
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇■

当メルマガでは、月刊『致知』の誌面に紹介された記事を中心に、
人間力・仕事力アップに役立つ内容をご紹介していきます。

毎月第2・第4日曜日は、
『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介いたします。

明日から始まる一週間の活力源にしてください!!


※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。
http://www.meigetsudo.co.jp/


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■「致知随想」ベストセレクション <その3>
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  「人という字を刻んだ息子」


        秋丸由美子(あきまる・ゆみこ=明月堂教育室長)


…………………………………………………………………………………………………

■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、
結婚して間もなくの頃でした。

「あと10年の命と思ってください」

という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。

主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、
営業部長として会社を支えていました。
その面倒見のよさで人々から親しまれ、
たくさんの仕事をこなしていましたが、
無理をして命を落としては、元も子もありません。

私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして
細く長く生きようね」と言いました。
しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。

この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。
10年という限られた期間、
人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、
専業主婦として歩むのをやめ、
会社の事業に積極的に関わっていきました。

30年前といえば、九州の菓子業界全体が
沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。
暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが
一般的な業界の意識でした。

明月堂も創業時からの主商品であるカステラで
そこそこの利益を上げていましたが、
このままでは将来どうなるか分からないという思いは
常に心のどこかにありました。

そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、
商品を見て回ることにしました。
そして愕然としました。
商品にしろ包装紙のデザインにしろ、
九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。

あるお洒落なパッケージに感動し、
うちにも取り入れられないかと
デザイナーの先生にお願いに行った時のことです。

「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」

と簡単に断られてしまいました。

相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。
私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。
それは、いかに商品が立派でも、
菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれないということでした。
人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。


■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以来、菓子屋を訪問する際には、
売れ筋の商品ばかり見るのではなく、
オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。
しかし、同業者が突然訪ねていって、
胸襟を開いてくれることはまずありません。
行くところ行くところ門前払いの扱いでした。

忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に飛び込んだ時のことです。
そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。

誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。

いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。
全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、
それまで学んだことを商品開発に生かせないかと
社長や製造部門に提案しました。

そして全社挙げて開発に取り組み、
苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。
まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、
やがて当社の主力商品となり、いまでは
博多を代表する菓子として定着するまでになっています。

「天の時、地の利、人の和」といいますが、
様々な人の知恵と協力のおかげで
ヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、
世の中の不思議を感ぜずにはいられません。


■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人は
その後も元気で働き続け、私も一安心していました。
しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。
手術で一命は取り留めたものの、
容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。

知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。
私の肝臓では適合しないと分かった時、
名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。
手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。

私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、
長男はまったく躊躇する様子もなく

「僕は大丈夫です。父を助けてください」

と受け入れたのです。
この言葉を聞いて、私は大泣きしました。

手術前、長男はじっと天井を眺めていました。
自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする
息子の心に思いを馳せながら、
私は戦場に子どもを送り出すような、
やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。

そして幸いにも手術は成功しました。
長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、
それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。

長男がお世話になっている
神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、
手術痕を見ながら

「この人という字に人が寄ってくるよ。
 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。
 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。
 この傷は君の勲章だぞ」

とおっしゃいました。
この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。

お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、
私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。
と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。


         『致知』2007年5月号「致知随想」より


◇「明月堂」のホームページ
http://www.meigetsudo.co.jp/

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   ※このエッセイを「音声」でお聴きになりたい方はこちらから
      http://www.voiceblog.jp/chichi/m200711.html


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    ▼『致知』が届けば、まずこのページから読む!
      というファンも多い「致知随想」コーナー。
      毎号、味わい深い6本の記事を紹介しております。


  『致知』最新8月号(7月1日発行)では……

  ・中島興世氏 (北海道恵庭市長)
  ・佐藤久男氏 (経営者らの自殺相談に応じる)
・鈴木則子氏 (筆跡心理学の第一人者)
    ・中嶋田玉美氏(カナダに合気道を普及)
    ・西川嘉廣氏 (琵琶湖の水質保全に尽力)
    ・徳力啓三氏 (息子・健介が教えてくれたこと)

    の記事がご覧になれます。


      月刊『致知』の定期購読はこちらからどうぞ
     ⇒ http://www.chichi.co.jp/mosikomi.html


---------- 【引用ここまで】 ----------


 人間力は感動によって育まれるのです。誠実な生き方には必ず支援者が現れるということを信じたいものですね。

 人間いい歳になってくれば、もうどうでも良い書物を読んでいる暇など無くなってきます。

 私も真に品性を磨くために時間を使って読むべき書物はなにかを考えるようになりました。もちろんまだその途上ですが。
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掛川の文化財竹の丸

2009-06-28 23:44:29 | Weblog
 掛川市には竹の丸と呼ばれる、近代豪商の家があります。

 ここには明治時代に掛川で葛布問屋を営んでいた松本家が建てた本宅があります。

 昭和11年に松本家が東京へ転居するに当たっては、この家屋敷を掛川市に寄贈されました。市ではその後職員の厚生施設などとして活用してきましたが、平成19年から今年の春にかけては耐震補強も含めた修復工事を行い、昭和初期の頃を彷彿とさせる松本家の姿が復元整備されたのです。

 この建物の管理について、市では指定管理者を募集したのですが、ここに私も関わってきたNPO法人スローライフ掛川が応募を行い、見事に選定委員会からも好評を得て指定管理者となることができたのでした。

 選定委員会に出席していた人の話を聞くと、全部で4者あった応募団体のなかでもスローライフ掛川の考え方は群を抜いていたとのこと。

 単に施設を管理することだけにとどまらず、これまで行ってきた市民活動や、市民活動拠点としての意義やこれからの豊富は委員会メンバーからも絶賛されたのだそう。

 生涯学習運動の帰結として始まったスローライフ活動を実践しようと、5年前に設立して以来市民の有志の手で行ってきたまちづくり活動はダテではないのです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、そんな形で始まった松本家住宅、通称竹の丸の管理ですが、今日は近隣に住む住民の皆さんへのご挨拶を兼ねて、手打ち蕎麦の振る舞いをしたいということで、わが掛川蕎麦研究会に依頼があり、それを受けて蕎麦打ちをすることになったのです。

 


 私も手弁当で駆けつけて、蕎麦打ち指導…というよりは自分自身も楽しんじゃっているのです。なんと言っても1.5kg(15人前)くらいの玉をいくつも打てるので、とても良い練習になるわけ。

 茶そばや更科蕎麦だって打ってしまいます。普通の蕎麦打ち愛好会ではなかなかやらないのではないでしょうか。

 
 復元を果たして、新しくなった市民活動拠点「竹の丸」。この建物は近代豪商の住宅様式を今に伝える貴重な建造物であるとして、平成17年に国登録有形文化財にも指定されました。

 掛川へお越しの際は一度お訪ねください。   

 
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