北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

空を青色以外で塗らせるのは難しい

2009-12-28 23:52:56 | Weblog
 今年もいよいよ今日が御用納め。

 今年の暦は半端な週末明けの一日だけが御用納めの出社日。一日くらい休んでしまえばこの週末に帰ることも可能だったのですが、なにしろ二ヶ月前に飛行機の予約を取る身としては、今年の年末がどんな状況になっているかよく分からず、一応御用納めの日の夜に札幌帰省の飛行機を取ったのです。

 北海道の天候が大荒れらしいという不安を抱えながら羽田空港へ。登場する便も、天候により着陸が出来なければ羽田へ引き返す条件付きで、後は天に祈るのみです。

 羽田空港は無料の無線LANサービスが行われているので、早く着いた時はネットブックでインターネットを見ていられます。全く、世の中の公共施設というものはすべからくこうありたい、という最先端の姿ですね。

 さて、ネットを見ていたら日経ビジネスオンラインでマクロスというアニメ映画の河森監督のインタビュー記事が出ていました。

 アニメを作る上での苦労談として、今までと違うものを作らないと世の中に衝撃を与えられない、そのためには「同じものの足し算ではなく違ったものの掛け算」でなくてはならなかった、と言います。

「指示待ち」のスタッフを如何に自らの意志で動けるようにするかにもかなり苦労したと語ります。アニメとは言え、監督ともなると実にいろいろな事を考えるものなんですね。
 

---------- 【ここから引用】 ----------

【日経ビジネスオンライン】空を「青以外」で塗らせるのは意外に難しい
  「マクロス・フロンティア」河森正治監督・3
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090707/199476/?P=3

(前1略 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090626/198722/ )

河森 …それから、個人的な気持ちとして、アニメーション作品がお客さんの好みの細分化に合わせていったことで、ファン同士でも他の人と交流ができなくなってきているんですね。今は、作品の本数はたくさんあるんだけど、ファン同士で「同じアニメを観て語る」ということが、難しくなってきているんです。お互いの趣味について分かり合える領域が本当に狭くなってしまって、わずかな違いで別々のコミュニティに住むことになって、そのニッチな領域から外に出なくなってしまう。

 僕は、それはさみしいなと思うんです。

 今の効率重視からくる閉塞感は、商品の売れ行きだけじゃないと思うんですよね。お客さんのコミュニティさえもバラバラにしている。

 それは、やっぱり目的とか方法が、モノを作って売るためにはこの効率的なやり方はひとつしかない、と思い込んでいるところから来るんだと思うんですよ。

 今の日本人や日本の企業って、個別最適で本当に技術は上がっているし、みんな優秀な人ばかりになっているんだけど、難しいのは、その優秀+優秀が、ハイブリッドな強さにはまったくならないようになっている。

―― 優秀+優秀だけでは、思い込みの枠からは逃れられないと。

河森 同じベクトルの優秀さばかりを集めると、いくら足しても、既存の枠からは離れられないと思うんですよ。

 それって「同種のもの」ばかり足しているということでしょう。そこがつまらないし、閉塞感に繋がっているのだと思います。

異種格闘戦をしてみよう
河森 僕のところにも、優秀なスタッフが集まってきています。でも、同種のものを足すだけではもったいない気がしたので、それぞれのスタッフの持ち味を活かしながらも、才能をぶつけ合わせるみたいなことをしたいと思ったんですね。それは異種格闘戦ですよね。

 もともと、「マクロス」の「歌と戦闘」というのは、お話自体が異種格闘戦になるわけですけれども。

―― 河森監督が作られた初代「マクロス」も、歌で戦争を解決するという、相当「思い込みの枠」を外した作品でしたね。その頃から意識されていたのですか。

河森 そう考えると、昔から既存のものと同じことはしたくないという性分だったのかもしれないですね。

 戦闘機や人型ロボットと戦艦の戦いというのはアニメでいくらでもあるでしょう。

―― はい。

河森 あれはアニメでいえば、昔ながらの“足し算”のモチーフなんですよね。食い合わせが良いモノ同士をプラスすることで最初っからまとまっている、という。

 でも、武器対武器みたいな同種の戦闘って、それだけでは広がりがないんですよ。あるところまでで止まってしまう。

―― ニッチになってしまうと。

河森 そう。だから異種格闘戦にして、「歌」と「武器」で、「え、この両者じゃどっちももはや戦いようがないんだけど」みたいな形にして(笑)。


 (…中略…)


河森 例えば戦闘シーンがある、そこに壮大なオーケストラがかかるというのは“足し算”ですよね。なじみが最初からいいもの。でも、壮大な戦闘シーンに、アイドルの女の子が歌うラブソングがかかるというのは、もはや“掛け算”にしかならないんですよ。もちろんハズせば論外になっちゃいますけどね(笑)。足し算というのは同種だから足し算として成立しているのであって、種類が違うともう掛け算をするしかないわけですよね。

【異質なもの同士を掛け合わせることで、未知のものが生まれていく】
河森 何か新しいことをやろうと思ったら、足し算じゃなくて、掛け算がいいと思うんですよ。

 何かと何かを混ぜるときに、すごく異質な組み合わせをやってみるというのが1つの手ですね。「歌」と「武器」を掛け合わせるとか、本来成り立たないはずのものを合わせることで、化学反応が起きて、その両者ではない新しいものが生まれていく、僕はそこが好きなんですね。

 水と油を足して、ドレッシングになるのか、化学反応を起こして別なものになるのかというのが勝負どころで、化学反応レベルまでいければかなりのエネルギーが出るし、核融合までいけるともっとすごい爆発力を生むという感じなんですよね。どれほど違うものを掛け合わせられるかだと思うんですよ。

―― 違うものを掛け合わせる=思い込みの枠を外した状態だということですね。

河森 そうですね。思い込みという、ある均一な価値観からはみ出していることが大事だし、はみ出しているものが1個じゃつまらないので、はみ出したものが大量に、多様なはみ出し方をしながら集まると面白いという。

 人間以外の生物だと、そういう複合的なメカニズムがうまく機能しているんですよね。単一機能ということはほとんどなくて、1つのものが何種類もの機能を持っていたりする。生物の皮膚は、防御装置でもあると同時にセンサーでもある、という具合に。

 「1つのものが1個の機能、可能性しかない」というのが現代社会の問題点だとしたらば、自然の生物は多機能で、1つのものがいろいろな役目をするんですね。

―― 私たち人間は、一番多機能なはずですが、それを忘れてしまうのはなぜだと思いますか。

河森 「単一機能」だったり、「単一の可能性しか世の中で許されてない」という思い込みが増えちゃったのだと思うんですよ。

 他の生物と違って、脳で考える存在である人間になると、とたんに「これはダメ、あれはムダ」というふうに選別を始めてどんどん単一化していく。その思い込みの枠が、近代文明が行き着いた果ての弊害なんじゃないかな。

 (…以下略…)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 タイトルの「空を青以外で塗らせるのは意外に難しい」というのは、スタッフ達に「自由にアイディアを出してみてよ」と言った時に、みんな空を青く塗ってきた時の監督の言葉です。

 空は黄色だって赤だって良いのに、どうして空は青だと思うんだろう?何かの常識や超えられない枠を自分に設定してしまっているのでしょう。

 常識の枠の中で創作をしようと思うと、足し算になってしまって常識的なものしかできなくなってしまう。だから常識を越える発想をして異質なもの同士を組み合わせることが掛け算になると言う発想なのでしょう。

 今年は政権交代も起こり、これまでの常識ではない新しい社会作りの時になったとも言えるでしょう。

 常識を超えた社会づくりとはどういうことか、年末年始の間にゆっくり考えてみるとしましょうか。
コメント
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