物事深く考えろ、とはよく言われますが、これはそのやり方を学んで訓練して初めて出来るようになる、学習の成果です。
では具体的にどうすればよいのか、ということになると、案外誰も教えてくれないものですが、さすがはネット社会。いろいろな人がその人なりの切り口を教えてくれています。
まずは「ちきりん」さんのお話をどうぞ。
---------- 【ここから引用】 ----------
【[ちきりん,Chikirinの日記】 物事を“深く考える”ための簡単な方法
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0911/02/news003.html
「よく考えろ」とか「考えが浅い。もっと深く考えて」と、言われたことがある人は少なくないですよね。でも、考えを深めるための具体的な方法を教えてもらったことはありますか? 学校の先生や会社の上司は、号令のように「もっと考えろ!」とは言うものの、「こういう風に考えれば思考が深まるよ」という具体的な「How?」は示さない場合が多いですよね。
すると「もう1回よく考えろ」と言われても、やみくもに時間をかけてウンウンうなるしかなく、考えが深まらなかったりする。 こーしろ、あーしろという人は、その方法論も一緒に教えてほしいと思います。
【物事を“深く考える”ための簡単な方法】
ちきりんの記憶でも大半の人はただ単に「考えろ!」と言うだけだったのですが、何人か具体的に方法論を教えてくれた人がいます。
そのうちの1つの方法が「他人の意見を聞いたら、何か考える前に『それは違うと思います』と言え」という方法です。何か失礼な方法論ですが、これホント役立ちます。
相手が説得力のある人とか、エライ人とか、マスコミだとしますよね。すると、「相手の権威に影響されて、何となく正しい気がしてしまう」ので、「考える前に『違う』と言え」というのです。
「言う」ということも大事、思っているだけではダメです。言うと、「なぜ違うと思うのですか?」と相手から反論される。すると、「ええっと、あのですね……」と説明しなくてはいけなくなる。「なぜ違うと思うのか」を突き詰めざるをえなくなるので、考えることができるわけです。
誰かの意見に「ああ、本当にそうだなあ」とか「説得力あるなあ」と素直に感心していたら、思考が停止してしまいます。だから「違う!」と、まず言えと。そういう方法論を教えてもらったのが十数年前。これはかなり役立っています。
例えば、「日本の未来は暗い」という論調はよく聞きますよね。でも、「いや、そんなことはないです。日本の未来はバラ色です」と言ってみる。すると「何が明るいのだ? 人口も減るんだぞ。未来が明るいはずがない。」と言われる。でも、とりあえず考える前に「いや、人口が減っても未来はバラ色です」と言い返してしまうのです。
そうしたら……、「本当に人口の多少と未来の明るさは関係しているのか?」と考える必要が出てきます。そして、多くの人が住みやすい国のお手本のように語る北欧諸国は、イラクやイランより、もちろん中国やインドより、圧倒的に人口の少ない国だということに思い至りますよね。
また、「そもそも明るい未来とは何なのか?」ということを明確にしないと反論できないことにも気がつきます。そして「明るい未来」の定義こそが、この議論の根底にあることにも思い至ります。
というように、とりあえず「違う」と言ってみる。そうしたら思考が進むかも?
そんじゃーね。
---------- 【引用ここまで】 ----------
物事を論理的に考えるための方法というのはいくつか持っておいたほうが良いですね。
この「ちきりん」さんの、「まず反対に考えてみる」というのはディベートのような手法で、相手の主張とは正反対を論じることで自分の主張の強みや弱みがわかるというものです。
以前にも書いたのですが、論理でケンカをする場合は次の三点を念頭に置くと良いです。私は忘れないようにこの三つを手帳に書き留めています。それは、
①相手の主張が事実か、その根拠は何かを確かめる
②相手の主張の論理構成(ロジック)は正しいのか
③現場感覚と一致しているか、机上の空論なのではないか
・・・というものです。
①については、私も人の話を聞いていると知らなかった情報をぽんぽん渡されて、「ほほ~、なるほど~」と感心することが多いものです。しかしいつでもその根拠は何なのか、ということを意識して聞いて、そのときにわからなくても家に帰ってから調べる癖をつけたいものです。
案外、数字の読み方を間違っていたり、わざと間違いを装った解釈を述べる例もあるのですから。
②のロジックは、早口で聞いているとだまされる事だって多いものです。どこかに論者が思い込んでいてロジックが飛んでいるところはないか、ロジックが破綻しているところはないか、と考えてみると、①のそもそも前提となる事実はあっているのかと組み合わせると、主張が破綻している場合もあったりします。
そして③では、事実の把握も良くて論理も正しい、しかし自分の現場感覚と合わない結論になるということがしばしばあります。自分の現場感覚とは個人の経験で狭い世界の特殊なことなのかもしれない、という危うさもあるのですが、一方でそこには理屈どおりには行かない生々しい事実と事情があるものです。
現場を知っているということは立派な根拠なのだと思うことです。
さて、人の話をこんな切り口で聞く訓練をしていたら、きっと物事を深く考えられるようになると思います。
こういうものの見方の切り口ってこれだけではなくたくさんありますから、見つけたときは手帳に書き込んでおいてはいかがですか。
では具体的にどうすればよいのか、ということになると、案外誰も教えてくれないものですが、さすがはネット社会。いろいろな人がその人なりの切り口を教えてくれています。
まずは「ちきりん」さんのお話をどうぞ。
---------- 【ここから引用】 ----------
【[ちきりん,Chikirinの日記】 物事を“深く考える”ための簡単な方法
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0911/02/news003.html
「よく考えろ」とか「考えが浅い。もっと深く考えて」と、言われたことがある人は少なくないですよね。でも、考えを深めるための具体的な方法を教えてもらったことはありますか? 学校の先生や会社の上司は、号令のように「もっと考えろ!」とは言うものの、「こういう風に考えれば思考が深まるよ」という具体的な「How?」は示さない場合が多いですよね。
すると「もう1回よく考えろ」と言われても、やみくもに時間をかけてウンウンうなるしかなく、考えが深まらなかったりする。 こーしろ、あーしろという人は、その方法論も一緒に教えてほしいと思います。
【物事を“深く考える”ための簡単な方法】
ちきりんの記憶でも大半の人はただ単に「考えろ!」と言うだけだったのですが、何人か具体的に方法論を教えてくれた人がいます。
そのうちの1つの方法が「他人の意見を聞いたら、何か考える前に『それは違うと思います』と言え」という方法です。何か失礼な方法論ですが、これホント役立ちます。
相手が説得力のある人とか、エライ人とか、マスコミだとしますよね。すると、「相手の権威に影響されて、何となく正しい気がしてしまう」ので、「考える前に『違う』と言え」というのです。
「言う」ということも大事、思っているだけではダメです。言うと、「なぜ違うと思うのですか?」と相手から反論される。すると、「ええっと、あのですね……」と説明しなくてはいけなくなる。「なぜ違うと思うのか」を突き詰めざるをえなくなるので、考えることができるわけです。
誰かの意見に「ああ、本当にそうだなあ」とか「説得力あるなあ」と素直に感心していたら、思考が停止してしまいます。だから「違う!」と、まず言えと。そういう方法論を教えてもらったのが十数年前。これはかなり役立っています。
例えば、「日本の未来は暗い」という論調はよく聞きますよね。でも、「いや、そんなことはないです。日本の未来はバラ色です」と言ってみる。すると「何が明るいのだ? 人口も減るんだぞ。未来が明るいはずがない。」と言われる。でも、とりあえず考える前に「いや、人口が減っても未来はバラ色です」と言い返してしまうのです。
そうしたら……、「本当に人口の多少と未来の明るさは関係しているのか?」と考える必要が出てきます。そして、多くの人が住みやすい国のお手本のように語る北欧諸国は、イラクやイランより、もちろん中国やインドより、圧倒的に人口の少ない国だということに思い至りますよね。
また、「そもそも明るい未来とは何なのか?」ということを明確にしないと反論できないことにも気がつきます。そして「明るい未来」の定義こそが、この議論の根底にあることにも思い至ります。
というように、とりあえず「違う」と言ってみる。そうしたら思考が進むかも?
そんじゃーね。
---------- 【引用ここまで】 ----------
物事を論理的に考えるための方法というのはいくつか持っておいたほうが良いですね。
この「ちきりん」さんの、「まず反対に考えてみる」というのはディベートのような手法で、相手の主張とは正反対を論じることで自分の主張の強みや弱みがわかるというものです。
以前にも書いたのですが、論理でケンカをする場合は次の三点を念頭に置くと良いです。私は忘れないようにこの三つを手帳に書き留めています。それは、
①相手の主張が事実か、その根拠は何かを確かめる
②相手の主張の論理構成(ロジック)は正しいのか
③現場感覚と一致しているか、机上の空論なのではないか
・・・というものです。
①については、私も人の話を聞いていると知らなかった情報をぽんぽん渡されて、「ほほ~、なるほど~」と感心することが多いものです。しかしいつでもその根拠は何なのか、ということを意識して聞いて、そのときにわからなくても家に帰ってから調べる癖をつけたいものです。
案外、数字の読み方を間違っていたり、わざと間違いを装った解釈を述べる例もあるのですから。
②のロジックは、早口で聞いているとだまされる事だって多いものです。どこかに論者が思い込んでいてロジックが飛んでいるところはないか、ロジックが破綻しているところはないか、と考えてみると、①のそもそも前提となる事実はあっているのかと組み合わせると、主張が破綻している場合もあったりします。
そして③では、事実の把握も良くて論理も正しい、しかし自分の現場感覚と合わない結論になるということがしばしばあります。自分の現場感覚とは個人の経験で狭い世界の特殊なことなのかもしれない、という危うさもあるのですが、一方でそこには理屈どおりには行かない生々しい事実と事情があるものです。
現場を知っているということは立派な根拠なのだと思うことです。
さて、人の話をこんな切り口で聞く訓練をしていたら、きっと物事を深く考えられるようになると思います。
こういうものの見方の切り口ってこれだけではなくたくさんありますから、見つけたときは手帳に書き込んでおいてはいかがですか。