北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日本人は冷たい?

2009-12-08 23:34:25 | Weblog
 日本人は優しいのか冷たいのか?身内ならば優しくて他人には冷たいでしょうか?

 私はそんなに冷たくはないと思うのですが、外国の基準から見るとそこにもまたお国柄の違いが見えてきそうです。


---------- 【ここから引用】 ----------
【中国ブログ】日本人の集団行動は「合理的」でも「冷たい」? 2009/11/18(水) 13:14
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1118&f=national_1118_026.shtm

 日本人との交流を通して、日本人の集団意識の強さを語る外国人は多い。日本に留学経験を持つ中国人ブロガー「日本語学院留学天地(ハンドルネーム)」氏もこのほど、当時の授業や日本人とのやり取り、地震の際の振る舞いから、日本人に根付く集団意識の深さや、そこから生まれる合理的思考についての実感や有益性などをつづっている。

 同氏は留学時の授業を振り返り、「家族、会社、親戚(しんせき)、友だち」を大事な順番に並べる作業で、中国人学生が「家族、親戚、友だち、会社」と並べたのに対し、日本人学生の並べ方は「会社、家族、友だち、親戚」だったと紹介。同氏はこの時、「中国人は“身内本位”で、日本人は“集団中心主義”的」だと感じたと告白している。

 同氏はまた、この作業を通じて、日本人が集団の利益のために個人の利益を犠牲にし、個人の意見を公にしないのは、集団で自身の存在が浮かないようにするためだと気づいたといい、「それを“謙虚”とするのが正しいとは思えないが」などと皮肉を交えながらも、日本人の集団意識の強さや徹底ぶりを実感したと伝えた。

 一方、同氏は日本人の集団主義から来る「他人の迷惑になるな」との教えには「冷たさ」を感じるとも語り、他人に迷惑をかけないことだけでなく、他人から迷惑をかけられないようにも気を配り、その結果「兄弟は結婚したら他人だ」、「友人間の金銭の貸し借りはご法度」などの話にまで発展する、と驚きを示した。

 しかし同氏は、日本人に感じる「冷たさ」は、合理的判断に基づくものだとも言及、地震を例に挙げ、日本人は、知人ががれきに埋まっていても、自身ではなくレスキュー隊員など専門家を介して助けようとすると紹介、何が何でも自身で助けようとする中国人との違いを示した。

 同氏は、地震の際の振る舞いの違いから、地震の恐ろしさや、自分の限界を知る日本人が専門家による救援活動を求めるのは合理的で自然、と語る一方、中国人が問題に直面した時、いかに感情的に対処しているかがよく分かるとして、「中国人は日本人のように、自身の責任や義務、立ち居地をよくわきまえた上で、方法を検討する姿勢を身につけるべき」との持論を展開した。

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 日本人の「集団主義」に相対して、中国人が「個人主義」だと語られることも多い。しかし、広大な面積と莫大(ばくだい)な人口を抱え、周囲を多くの異民族に囲まれた中国において、人々の競争は歴史的、地理的宿命を背負っており、他者よりもいかに優位に立つかが生存にかかわる、とする危機感は、四方を海に囲まれた日本では想像を絶する過酷さがある。中国人の「個人主義」は、そうした危機感が形を変え、今なおあらゆる場面に根付いているとも言える。(編集担当:金田知子)

---------- 【引用ここまで】 ----------

「『家族、会社、親戚(しんせき)、友だち』を大事な順番に並べる作業で、中国人学生が『家族、親戚、友だち、会社』と並べたのに対し、日本人学生の並べ方は『会社、家族、友だち、親戚』だったと紹介」というのは面白いですね。

 自分が何によって自分であるかということの順番として、企業に働く人たちは一番目に「自分がここの会社で働いて給料をもらっているから自分でいられるのだ」と思っているのでしょう。

 最近でこそそれほどでもなくなりましたが、たとえ家族のためであっても、有給休暇を取ることに対していくばくかの後ろめたさを感じるというのはそういう心根の証でしょう。

 今振り返ってみると、多分その根元は、世の中の男は職場と仕事のことだけを考えていれば楽だったのだと思います。それ以外のことなど奥さんや親や他の誰かがやってくれていたということもあったのでしょう。

 今はそうした他の誰かの役割が小さくなった分、やはり自分自身がこれまでの雑事と思われたこともやらなくてはならなくなり、その「あたりまえ」の度合いが上昇してきたのではないかと。これも世の中の変化の一つかも知れませんし、いずれグローバルな社会に触れることで中国もそうなってゆくのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 ある経済格差に関する本を読んでいた時に、「日本では『小さい政府を目指す』と言いますが、『小さい政府』が成立するためには『大きな共同体』がなくてはなりません。それがあったからこそ戦後の日本は福祉国家でなくてもやれたのです」という一節がありました。

 これまであたりまえだった共同体が小さくなっている今、やはり真剣な国民的な議論を通じて何をどう補完して行かなくてはならないかの共通理解を進めておかなくてはならないでしょう。

 日本人は優しいのか冷たいのか。まあどちらでもないのでしょうけれど。

コメント
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