日本経済がデフレだ、という認識を政府が明らかにして以来、次々にモノの価格が下がっているというニュースが伝えられるようになりました。
竹中平蔵さんは経済が浮揚しないのは、今の政府で「経済の『予見可能性』が低下している」からと意見を述べられています。まずはこの記事をご覧ください。
---------- 【ここから引用】 ----------
【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 パンとサーカスでは乗り切れぬ 2009.12.10 03:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091210/stt0912100303002-n1.htm
≪子ども手当はばらまき≫
鳩山内閣の“ハネムーン”期間が最終段階に差しかかっている。9月16日の組閣から数え、年末には100日を超えることになる。そのころには予算編成も終了していなければならないから、予算後の政策運営をどのように進めるか、政権としての議論を真剣に深める必要がある。内閣発足後の政治経済状況を総括すると、「高い内閣支持率」の持続と「経済の悪化」(デフレ、株安)という二つの姿が鮮明になる。
内閣発足後ここまでの推移をみるかぎり、政治的にはそれなりに無難な立ち上がりを示したとの評価が可能であり、一方で経済的には大きな問題を抱えながら有効な政策がないという結論になる。
まず政治的な評価から見よう。鳩山内閣は、まさに「パンとサーカス」の政治を成功させた、と言える。古代ローマの統治術に見るように、国民は生活の糧と見せ物に関心を示す。現内閣のパンは「子ども手当」であり、サーカスは「事業仕分け」である。とりわけ事業仕分けに対する国民の評価は、極めて高いようだ。
政策としてみるかぎり、子ども手当はかなり広範な「ばらまき」と言わざるをえない。もし出生率を高めるための政策なら、これから生まれてくる子供にのみ手当を出すべきであり、いまいる子供に手当を出すのは単なる所得移転である。その金額が大きいだけに、ばらまきという評価をせざるをえないのである。しかし今のところ、国民は「パン」に強く反応している。
≪経済「予見可能性」が低下≫
もう一つの事業仕分けはどうか。そもそもこれは、地方自治体の支出のように誰の目にも分かりやすい事業を外部チェックする仕組みであり、国政にはなじみにくいものが多い。むしろ子ども手当のような項目こそ仕分けの対象とすべきなのに、これは対象からはずされていた。事後的に見る限り、財務省が削りたい予算項目を意図的に仕分けの対象とした、という側面は否定できない。しかし、官僚がやり込められるシーン見たさに会場には2万人が詰めかけ、問い合わせは200万件を超えたという。見せ物としては、近年にない大成功となった。
このように鳩山内閣は、パンとサーカスによって政権発足当初の混乱をそれなりに乗り切ったということができる。
しかしこの間、経済の停滞はますます深刻になってきた。麻生政権の放漫な財政運営の短期的効果として、GDP(国内総生産)はここ2四半期プラス成長になっている。ただし、中国や韓国など近隣諸国の高成長と比べると決して高い成長ではない。加えて、株式市場は極めて停滞色を強めている。株価の低迷以上に真に懸念されるのは、株式市場の売買高自体が大幅に低下していることだ。最近の売買高は、1年前のおおむね半分だ。これは、日本経済にこれまで以上に厳しい見方が広がっていることを象徴していよう。
こうした背景にある基本要因は、民主党政権において経済の「予見可能性」が著しく低下したことである。そもそも現政権が経済成長を真剣に考えているのか、財政健全化をまじめに考えているのかどうか、という基本姿勢が見えないのである。民主党自身は、政策プロセスの透明化をうたい文句にしてきたが、現実は時計の針を巻き戻すように大幅に後戻りしている。
≪小さな前進・大きな後退≫
その典型は、予算編成プロセスの不透明化だ。一部に事業仕分けによってプロセスが透明化したという評価が聞かれるが、そもそも概算要求の前段階で「予算の全体像」を公表するという重要なプロセスが今回は割愛された。予算の全体像は、マクロ経済の動きを想定したうえで、また政策の重点項目を確認したうえで、予算の大枠を決めて予算編成の指針とするものだ。このような全体像は、2002年度から公表されるようになったが、政権交代後の民主党政権下では全く議論されていない。
その意味で予算決定プロセスは、森内閣以前に戻ったことになる。だからこそ予算編成作業が混乱しているのである。事業仕分けで個別事業の一部について情報が国民に開示された半面、その基本方向に関するより重要な情報が見えなくなってしまった。小さな前進・大きな後退である。
今後の予見可能性を左右する最も象徴的なイベントは、1月に公表されるであろう“経済財政の中期展望”だ。これは小泉内閣の発足後2002年から作成されるようになったもので、5~10年の中期的な予見可能性を高めるものとなった。民主党政権で果たしてこれが示せるのか。示したとして、説得的なシナリオになっているのか…。明確な成長戦略とデフレ対策を持たない政権にとって、大きな試金石となる。
もしここで十分な対応ができなければ、野放図な財政赤字の拡大による国債市場の大混乱が、いよいよ視野に入ってくる。パンとサーカスだけで、経済はよくならない。(たけなか へいぞう)
---------- 【引用ここまで】 ----------
年末の書類整理をしていて、「イノベーション25」という平成18年安部政権当時のレポートが出てきました。ほんの少し前のものですが、三代も前の首相が作ったレポートなんて隔世の感があります。
http://www.cao.go.jp/innovation/index.html
イノベーションとは「技術革新」と訳されますが、経済学ではシュンペーターという人が、「イノベーションによって経済の新しい局面が開かれて大きく経済発展する」という意味でよく使われます。
たとえば内燃機関の発明とか、通信技術の発明、最近ではインターネットなんかもそうでしょう。そういう技術革新が起こることで自動車による流通革命が起き、通信によって遠くの人と意思疎通が図られるようになり、さらにインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入る社会になり、ネットによる新しいビジネスも次々に誕生しています。
そういう意味で安部政権のときに考えられたのは、次の時代の日本にとって大きな課題を解決するのはイノベーションであり、それを各省を挙げて推進するという決意表明でした。
これからの日本の課題として挙げられたのは①人口減少と高齢化の進展、②情報化社会とグローバル化の爆発的な進展、③資源・エネルギー、環境、テロ、感染症などの地球の持続可能性を脅かす課題、といったもので、こうしたことに日本は国を挙げて率先して貢献するという意思を表したものでもあるのです。
当時の安部総理の所信表明演説では『成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術などの分野ごとに、2025年までを視野に入れた、長期の戦略指針「イノベーション25」を取りまとめ、実行します』と述べられていて、こうした新しい技術革新によって新しい経済の流れが誕生して、経済を活性化させるという強い願いが込められていました。
上記の竹中さんの記事では、「経済予見可能性が低下した」という言い方をしていますが、日本経済がこうしたら、こうなって、ああなって、モノやサービスの売り買いが盛んになって経済が盛り返すだろう、という予想が今はしにくくなっているという主張がなされています。
今の日本に求められているのは、こうやったらみな自分のお金を使って新しい製品は技術を買うようになる欲しくなるという期待感を国民に抱かせることで、そうした経済ビジョンを見せてくれないことにだんだんイライラが募っているような気がします。
あくまでも補正予算は急場をしのぐだけのことですから、当面みなが注目するのは来年度予算に見せる国の姿勢ということになるでしょう。もっとも、そうした姿勢を見せ続けたことで予算が膨らんできたということでもあるので、新政権ならではの切り口を期待したいのですがどんなものでしょう。
そういうビジョンなり国の経営思想があれば、目先の効率性だけで科学技術のための経費を削減するとは言わないと思うはずで、本予算での成り行きが注目されます。
日本は常に前に向かって時代を切り開いてナンボの国なんです。
竹中平蔵さんは経済が浮揚しないのは、今の政府で「経済の『予見可能性』が低下している」からと意見を述べられています。まずはこの記事をご覧ください。
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【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 パンとサーカスでは乗り切れぬ 2009.12.10 03:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091210/stt0912100303002-n1.htm
≪子ども手当はばらまき≫
鳩山内閣の“ハネムーン”期間が最終段階に差しかかっている。9月16日の組閣から数え、年末には100日を超えることになる。そのころには予算編成も終了していなければならないから、予算後の政策運営をどのように進めるか、政権としての議論を真剣に深める必要がある。内閣発足後の政治経済状況を総括すると、「高い内閣支持率」の持続と「経済の悪化」(デフレ、株安)という二つの姿が鮮明になる。
内閣発足後ここまでの推移をみるかぎり、政治的にはそれなりに無難な立ち上がりを示したとの評価が可能であり、一方で経済的には大きな問題を抱えながら有効な政策がないという結論になる。
まず政治的な評価から見よう。鳩山内閣は、まさに「パンとサーカス」の政治を成功させた、と言える。古代ローマの統治術に見るように、国民は生活の糧と見せ物に関心を示す。現内閣のパンは「子ども手当」であり、サーカスは「事業仕分け」である。とりわけ事業仕分けに対する国民の評価は、極めて高いようだ。
政策としてみるかぎり、子ども手当はかなり広範な「ばらまき」と言わざるをえない。もし出生率を高めるための政策なら、これから生まれてくる子供にのみ手当を出すべきであり、いまいる子供に手当を出すのは単なる所得移転である。その金額が大きいだけに、ばらまきという評価をせざるをえないのである。しかし今のところ、国民は「パン」に強く反応している。
≪経済「予見可能性」が低下≫
もう一つの事業仕分けはどうか。そもそもこれは、地方自治体の支出のように誰の目にも分かりやすい事業を外部チェックする仕組みであり、国政にはなじみにくいものが多い。むしろ子ども手当のような項目こそ仕分けの対象とすべきなのに、これは対象からはずされていた。事後的に見る限り、財務省が削りたい予算項目を意図的に仕分けの対象とした、という側面は否定できない。しかし、官僚がやり込められるシーン見たさに会場には2万人が詰めかけ、問い合わせは200万件を超えたという。見せ物としては、近年にない大成功となった。
このように鳩山内閣は、パンとサーカスによって政権発足当初の混乱をそれなりに乗り切ったということができる。
しかしこの間、経済の停滞はますます深刻になってきた。麻生政権の放漫な財政運営の短期的効果として、GDP(国内総生産)はここ2四半期プラス成長になっている。ただし、中国や韓国など近隣諸国の高成長と比べると決して高い成長ではない。加えて、株式市場は極めて停滞色を強めている。株価の低迷以上に真に懸念されるのは、株式市場の売買高自体が大幅に低下していることだ。最近の売買高は、1年前のおおむね半分だ。これは、日本経済にこれまで以上に厳しい見方が広がっていることを象徴していよう。
こうした背景にある基本要因は、民主党政権において経済の「予見可能性」が著しく低下したことである。そもそも現政権が経済成長を真剣に考えているのか、財政健全化をまじめに考えているのかどうか、という基本姿勢が見えないのである。民主党自身は、政策プロセスの透明化をうたい文句にしてきたが、現実は時計の針を巻き戻すように大幅に後戻りしている。
≪小さな前進・大きな後退≫
その典型は、予算編成プロセスの不透明化だ。一部に事業仕分けによってプロセスが透明化したという評価が聞かれるが、そもそも概算要求の前段階で「予算の全体像」を公表するという重要なプロセスが今回は割愛された。予算の全体像は、マクロ経済の動きを想定したうえで、また政策の重点項目を確認したうえで、予算の大枠を決めて予算編成の指針とするものだ。このような全体像は、2002年度から公表されるようになったが、政権交代後の民主党政権下では全く議論されていない。
その意味で予算決定プロセスは、森内閣以前に戻ったことになる。だからこそ予算編成作業が混乱しているのである。事業仕分けで個別事業の一部について情報が国民に開示された半面、その基本方向に関するより重要な情報が見えなくなってしまった。小さな前進・大きな後退である。
今後の予見可能性を左右する最も象徴的なイベントは、1月に公表されるであろう“経済財政の中期展望”だ。これは小泉内閣の発足後2002年から作成されるようになったもので、5~10年の中期的な予見可能性を高めるものとなった。民主党政権で果たしてこれが示せるのか。示したとして、説得的なシナリオになっているのか…。明確な成長戦略とデフレ対策を持たない政権にとって、大きな試金石となる。
もしここで十分な対応ができなければ、野放図な財政赤字の拡大による国債市場の大混乱が、いよいよ視野に入ってくる。パンとサーカスだけで、経済はよくならない。(たけなか へいぞう)
---------- 【引用ここまで】 ----------
年末の書類整理をしていて、「イノベーション25」という平成18年安部政権当時のレポートが出てきました。ほんの少し前のものですが、三代も前の首相が作ったレポートなんて隔世の感があります。
http://www.cao.go.jp/innovation/index.html
イノベーションとは「技術革新」と訳されますが、経済学ではシュンペーターという人が、「イノベーションによって経済の新しい局面が開かれて大きく経済発展する」という意味でよく使われます。
たとえば内燃機関の発明とか、通信技術の発明、最近ではインターネットなんかもそうでしょう。そういう技術革新が起こることで自動車による流通革命が起き、通信によって遠くの人と意思疎通が図られるようになり、さらにインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入る社会になり、ネットによる新しいビジネスも次々に誕生しています。
そういう意味で安部政権のときに考えられたのは、次の時代の日本にとって大きな課題を解決するのはイノベーションであり、それを各省を挙げて推進するという決意表明でした。
これからの日本の課題として挙げられたのは①人口減少と高齢化の進展、②情報化社会とグローバル化の爆発的な進展、③資源・エネルギー、環境、テロ、感染症などの地球の持続可能性を脅かす課題、といったもので、こうしたことに日本は国を挙げて率先して貢献するという意思を表したものでもあるのです。
当時の安部総理の所信表明演説では『成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術などの分野ごとに、2025年までを視野に入れた、長期の戦略指針「イノベーション25」を取りまとめ、実行します』と述べられていて、こうした新しい技術革新によって新しい経済の流れが誕生して、経済を活性化させるという強い願いが込められていました。
上記の竹中さんの記事では、「経済予見可能性が低下した」という言い方をしていますが、日本経済がこうしたら、こうなって、ああなって、モノやサービスの売り買いが盛んになって経済が盛り返すだろう、という予想が今はしにくくなっているという主張がなされています。
今の日本に求められているのは、こうやったらみな自分のお金を使って新しい製品は技術を買うようになる欲しくなるという期待感を国民に抱かせることで、そうした経済ビジョンを見せてくれないことにだんだんイライラが募っているような気がします。
あくまでも補正予算は急場をしのぐだけのことですから、当面みなが注目するのは来年度予算に見せる国の姿勢ということになるでしょう。もっとも、そうした姿勢を見せ続けたことで予算が膨らんできたということでもあるので、新政権ならではの切り口を期待したいのですがどんなものでしょう。
そういうビジョンなり国の経営思想があれば、目先の効率性だけで科学技術のための経費を削減するとは言わないと思うはずで、本予算での成り行きが注目されます。
日本は常に前に向かって時代を切り開いてナンボの国なんです。