松岡正剛先生の「誰も知らない世界と日本のまちがい~自由と国家と資本主義」(春秋社 1,800円+税)を読みました。
この本は松岡正剛さん(以下「セイゴオ先生」と書きましょう)が以前上梓した「17歳のための世界と日本の見方」を受けて、その次に続く時代からの世界の歴史を分かりやすく書いた歴史のセイゴオ流解説書です。
セイゴオ先生は最初に「編集工学」ということを言い始めた方で、文学、芸術、歴史、文化、科学などジャンルを超えたあらゆる情報を横串に差して、情報の世界を縦横無尽に駆けめぐる知的タフガイです。
「千夜千冊」という突拍子もない書評活動も行い、多くの一流人たちとの交流を通じて、独特な日本文化観をもち、今では塾なども開きながら独特な活動を展開しています。
昔読んだ本の印象では、「難しいことを知っているのだけれどそれを優しくは書かない人」という印象だったのですが、今回のこの「誰も知らない世界と日本の…」では、細かいことをはしょりながら、大きな歴史の流れを実に分かりやすく語ってくれています。
時には当時の時代人の書物からちょっとしたエピソードも紹介してくれていて、読みやすい本になりました。
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今回のこの本の主題は、自由と国家と資本主義を巡る誤解を解き、大国と経済システムの歴史を紐解き、現在のグローバル経済はやっぱりおかしいと思う、という警鐘です。
変えようのない過去の歴史の帰結として現在があるものの、その歴史とは実は時代ごとの大国の思惑やエゴ、それに対する反駁が複雑に絡み合っていること、また時に現れた思想的な流行が世界を覆い、それがまた新しい歴史を作り上げる要素になったことなどが流れるように描かれています。
さんざんそうした歴史のひだを紹介しながら、どうやらセイゴオ先生がこの本で言いたかった一番のことは「資本主義は一つではない」ということのようです。
いくつもの資本主義については、この本の中でもミシェル・アルベールの「三つの資本主義」と言い、ハムデン・ターナーは「七つの資本主義」を唱えました。
またブルーノ・アマーブルは「市場ベース型」、「社会民主主義型」、「大陸欧州型」、「地中海型」、「アジア型」という「五つの資本主義」と言っています。
そのうえでセイゴオ先生は「…ここまで資本主義を分類していって、会計制度だけグローバルスタンダードにしておいて、その運用は地域柄やお国柄を発揮しているんだったらもうそれは文化人類学の分野なのではないか」
「…そしてもし仮にそのように分類出来るのだというなら、その中の優秀な資本主義システムを他国に押しつけては行けません。なぜなら文化は他国に押しつけるものではないから」と言っています。
アメリカ型の資本主義だけがグローバルスタンダードではないし、逆に日本型の資本主義とは何か、という視点も欠けているのではありますまいか。
セイゴオ先生は、情報を編集することでその流れに棹を差したいと考えているようです。
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日本文化を見つめているセイゴオ先生、日本の米作りは直接種を田んぼに蒔くのではなく、一度苗代で苗を作ってからそれを田んぼに植えるという農法に興味を持っています。
それはある意味日本らしい、「直接」を嫌って間接的に事をなす典型なのではないか、というのです。
これもまた西洋農法が入ってきたところで、長年培ってきた日本の農村文化なのではないか。だとするとそれに由来した農村経済もグローバル化させることはおかしいし、日本型資本主義も世界中のそれとは違ってよろしいし、違っていいんだということを堂々と言おうよ、ということでもあります。
まあ尻馬に乗ってくっついていたアメリカ型のリスクすらお金に換えてしまうと言うハイエナみたいな経済とはやはり日本は肌合いが合わないのかも知れません。
そんなことに気づかせてくれるこの本は、大人の教養書として読みやすい、お薦めの一冊です。