北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

研究所の未来

2013-11-08 22:22:04 | Weblog

 

 ある研究機関主催の講演会を聴きました。

 講師は著名な大学の名誉教授でしたが、寒冷地における土木技術の研究に対する期待が語られて、温かい眼差しの中にも厳しい環境になるだろうという将来を見据えたアドバイスが込められていました。

 研究所で研究をする、と聞くと、なにやら部屋にこもって計算やデータ整理をして論文を書くばかり、というイメージがありますが、昨今の研究所、研究者を巡ってはまずその存続を巡ってとても厳しい状況が続いています。

 その背景は、国の予算、とくに学術研究や基礎研究など一見して成果が見えにくい分野のものは、福祉予算の増大に伴って予算が後回しになってしまうという危惧です。

 大学も国の研究機関も、相次いで独立行政法人化されたのは、まずコストを下げ、自由度を増すという、合理化を目指す国家意思への一つの答えではありましたが、それで後は全てOKということでもありません。

 不断にコストを下げる努力は続け、さらに成果についてもはっきりと説明する事ができなければ、組織の存続はおぼつかない、という厳しい状況はいつまでも続くのです。

 
     ◆     


 講師の先生は研究の成果を上げる前提として、文化、宗教、考え方など多様な思考をするためにも、グローバルな人材をそろえよ、と訴えます。

 そこに多様な回答を示してイノベーションを起こすためには多様な環境がなくては無理なのだ、と。

 アメリカは壮大な移民国家であるために、国家そのものが多様になっていてそうしたイノベーションの素地ができあがっているのに対して、どうしても日本では同質性が求められてしまう。

 打たれても出る杭になるような異質な人材をいかに組み込めるかもカギになる。

 我々自身がグローバルになれるのが一番ですが、そのためにも外国人留学生や海外交流の機会を増やしたり、やはりまずは多様性に身を置く事を意識すべきだと言います。

 例えば、海外の小国の小さな村で国際会議が行われる場合など、他国から来る研究者はそんな小さな村でも歴史や文化などを実によく知っているのに対して、日本人は全くそれらに疎い、ということがよくあるのだそう。

 今や大学では、博士論文は海外での大会で必ず発表をさせるというくらいになりつつあるのです。


 そしてさらに、海外での研究会合には常に同じ人間を出せ、とも。
毎回同じ人の顔を見るから顔なじみにもなるし、やがてその人が国を代表する研究者として認知されて行く。

 それを、持ち回りで順番に参加しているようでは知り合いというネットワークができあがらないのです。

 
    ◆     


 そしてさらに、グローバルであるためには海外の情報に対してアンテナを高く張っておくことが大切であり、同時に自分たちの情報を積極的に発信していなくてはならない。

 発信とはすなわち英語による発信なのですが、「論文全部を逐一英訳して発信することはいらない。しかしせめてアブストラクト(概要)くらいは短い英文で常に添えて欲しい。それに引っかかれば、興味がある人は論文を訳す作業に入ることができる。しかしその日本語だけではその引っかかりに至る可能性が著しく低い」とも。

 年かさが増したベテランになると、大切なことは研究をすることではなく、「次なる研究のテーマ」を求める視点なのだ。

 それが見つかれば研究は若手が大いにやるだろう。テーマ、シーズを見つけるには幅の広い知識や人間性、柔軟な考え方など大きな人間力が必要なのです。


     ◆   

  
 カナダやフィンランドでは、国家を挙げて研究組織の統合が行われつつあるそうです。

 そのような動きに抗って行くためには、分野が遠いところとは差別化を、近いところだったらそこには負けない、という強い姿勢が大切です。

 外部研究費の獲得など、つねに独立してもやっていけるようなところまで常に考えておいたほうがよい、とさえ言われました。

 
 実に暖かくも厳しいご指摘の数々。

 「グローバル化、差別化、発信、自立…」というのは、研究所に限らず、我々自身の日頃のありようとしても参考になりました。


 厳しさに耐えて行きましょう。
  

コメント
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