北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

僕が親父の子供なんだなと思った時

2013-11-23 23:41:30 | Weblog

 

 娘が孫を連れて、私の親の実家へ遊びに行ったのだそう。

『曾孫を見せる』という名目ですが、仏壇を拝む練習もできるし美味しいものにもありつけるというので役得も多少はあるみたい。

 私よりも実家を訪ねているかもしれないくらいで、両親の様子を訊くと、「石狩(実家のあるところ)では、ひいお爺ちゃん(つまり私の父)がずっとY(孫の名前)の相手をしてくれていたよ」とのこと。

「そうかい、Yの方は曾爺ちゃんに慣れたかい」
「うん、すっかり慣れていて、今日は自分から抱っこしてほしくて歩いて行ったよ」

「そうなんだ、すごいね」
「曾爺ちゃんもお父さんと同じで、机の上のもので"研究"させてくれるからね。文房具とかを自由に触らせてくれてたよ。なんだかお父さんと似てたよ」

「え?どういうところが?」
「うーん、なんでも興味を引くようなものは触らせてあげようっていう感じかなあ」

「ふーん」


   ◆   


 娘が孫を連れて私の家に来るときは、背の届くところにあるものは片付けて、差し障りのないような物を置くようにしているのです。

 ところが、私の机のところに来たときは私は孫を抱きかかえて、膝の上に座らせて、釣りの道具やら文房具やらパソコンのキーボードやマウスなどを割と自由に触らせて遊ばせます。

 机の上には子供には不思議な道具類がたくさん並んでいるので、私はそれを"研究"と称していて、「おー、Yちゃん、今日も研究するかい?」と言って手に触らせているのです。

 訳も分からず触りまくるのでときどきはひっちゃかめっちゃかになるのですが、物を落としたら膝から降ろして拾わせるということを繰り返しやってみたり、とにかくいろいろな経験ができるようにと心がけながら相手をしています。

 それが実家の父の所へ連れて行ったら、父も全く同じように曾孫の相手をしていたというのを聞いて、とても不思議に思いました。

 別に二人で示し合わせて遊んでいるわけではないのですが、多分同じような思考を巡らせているのでしょうか。

 親子と言えば親子だし、DNAに組み込まれていると言えばそうなのかもしれません。

「あなたもお義父さんにそうやって育てられたことをどこかで覚えているんじゃないの?」と妻は笑いますが、そんな幼児の時の記憶などありません。

 まあ親子だけに価値観が同じようなところにあるといってしまえばそれまでですが、なんとも面白いことです。

 妻には、「おやじを見ていなよ。僕はきっとああいう風になるから」と言ってあります。

 似ているのは顔だけじゃなかったんですね(笑)

 私は親父の子供なんだと思って、ちょっとほのぼの。

コメント
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