霞が関のある官僚の方と会った時に、「最近の若者のコミュニケーション能力に不安があるんです」と嘆いていました。
どういうことかと訊ねると、「本省では、課長補佐クラスが一番活躍してもらいたい世代なんですが、ここに上がってくる前には地方の事務所などを経験してもらうことになっています。その地方生活では、その地域を味わってもらうことは大切なんですが、次は東京で活躍するんだよと言うことをしっかりと伝えて鍛えておいて欲しいのです」
「地方の生活って、時がゆったり流れて楽チンに思えますね」
「はい、しかし次の段階で求められる能力、特に"コミュニケーション能力"の部分に期待はずれなことがままあるんです」
「コミュニケーション能力といいますと?」
「本省の課長補佐というのは、国会議員や他の省庁の職員、また地方自治体やあるときは業界などとも意見交換をしたり、こちらの考え方を伝えたり説明したりすることが多いでしょう。とにかく相手といるその瞬間に相手のことを理解して、こちらのことを上手に伝えるコミュニケーション能力が大変重要になります。ところがこれが育っていない人が結構いるんです」
「それも鍛えたり練習したりすれば、ある程度は身に着くのでしょうね」
「はい、だから今は同じ地域にいる先輩の職員に対して、『ちゃんと目をかけてしっかりと指導してあげてほしい』と号令を発しています。人を育てるのに気を使う時代になりました」
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人材育成というのは、口で言うほど簡単ではありません。
いつも言うように、"意志と能力"の両方が備わっていないといけなくて、それを口頭や態度で伝えるのは至難の業です。
意志はやる気とか覚悟のようなもので、自分自身の精神的な部分をしっかりともつことですし、能力とは言語能力とか記憶力とか相手の言う内容を理解する力とか、空気を読む力、さらに言えばだれからも好かれる力、などということまでを能力と呼んでよいでしょう。
"相手に好かれる能力"と言いますが、"好かれる"にも二通りあります。
一つは"愛される=loved"ということ、そしてもう一つは"尊敬される=respected"ということです。
そして"愛される"というのは、恋愛の片思いの多くが成就しないことを見てもわかるように困難を極めます。
しかしもう一つの"尊敬される"という方ならば、努力一つでなんとかなりそうですが、尊敬の前段には信頼が必要です。
相手に対して関心を持ち、人の嫌がることを率先してやり、誠実に努力する頑張り屋さんで、気が穏やかで誰にも優しいというような模範的な態度が身についているならば、きっと人は自分を信頼してくれて、それが続くときにいつかきっと尊敬してくれる人は現れるでしょう。
人は、他人から信頼されようと思って、嘘をつかず誠実に過ごそうとします。
実はコミュニケーション能力と言われると言葉の力の問題だと思われがちですが、その前段には会った瞬間に好かれたり信用されたりする能力を持っていることの方が大事なのではないかと思います。
「人間を50年もやっていたら、パッと見て良い人かそうでないかくらい分かるようになるものです。またそうでなくてはいかん」と言う人がいました。
分かるような気がします。
コミュニケーション能力も大事ですが、それを支える人間力を鍛えましょう。