私の知人がある企画を提案して調整をしていたのですが、どうもあまり評価が高くなくて、ボツになりかけるということがありました。
いろいろ評価が低い理由を探ってみると、それを決める人たちがその企画に馴染みがないようなのでした。
一応外部の方の意見も聞いてみてはいるようですが、意見を求められた人たちにもどうやらあまり馴染みがないみたい。
私はその案に賛成だったのですが、「どうも評価が低いみたいです」と聞かされると、「最初の提案がダメだとしたら、次の第二案を出してそちらの方向を探ってみますか…」と気弱になってしまいました。
しかも第二案は事前の検討でも最初の案よりも劣ると思っているので、これが通るかどうか評価の程がよく分かりません。
そこで、第二案ならちょっとわかると思われる知人に電話で訊いてみることにしました。
「あ、もしもし、Aさん?…実は、(第一案は伝えずに)こういう企画(第二案)を考えているんだけど、Aさんだったらどう評価しますかね」
すると知人は、「そんな企画を出すのですか?まあ悪くはないけれど、それだったら○○(第一案)という企画が良いのじゃないですか?僕ならそっちを採用するけどなあ」という驚くべき反応。
「ええ!?やっぱりそう思いますか?実は決める人たちがその企画に馴染みがないために評判が芳しくないんですよ」
「ふーん、でも小松さんも第一案がイチオシでそれなりの理由があるわけでしょう?そのあたりを再度ダメ元で打ち返してみたらどうですか?第一案に詳しくて、それをちゃんと評価できる人を紹介するというのも手かも知れないし…」
「ああ、そうか、そうですよね。何も意見を言わずに引っ込めることはないですよね。わかりました、ありがとう」
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私自身、第一案をハナから諦めてしまって別提案に心が傾きかけていたのですが、何も言っていない相手から「第一案が良いのじゃないの?」と言われるとは思いませんでした。
こういう不思議な偶然を、最近は偶然と思わないようになりました。何か知らない力が働いているのではないか?
そうならばその流れに逆らわずに、行けるところまで流れに乗ってみる方が良いのではないか。そうしてみるとその過程で思わぬところに事態が転がって行くということが多いもの。
今回の偶然、行く末はどうでしょうか。
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偶然の成り行きで思い出したのですが、かつて掛川でスローライフイベントを仕掛けようとしていたころに、当時の榛村市長さんから、イベントが成功する時の機運について教えてもらったことを思い出しました。
「まずはとにかくボッチ(核)になるいくらかのお金が必要なんですが、そのお金があることで絶対何かが出来る、ということになれば『じゃあ手伝うよ』という人が偶然に出てくることがあります。そういう人が現れれば『じゃあこの制度が使えてお金がもらえるのじゃありませんか』という人が現れる。それが人づてに伝わると『じゃあこのイベントはお宅に合わせてやりましょうか』となり、『面白そうなので記事にしましょう』というマスコミが登場する、という風な上昇気流のようなものを感じることがあるんです。そういう盛り上がるような予感というか勘所が分かるようになると、次の仕掛けが上手になりますよ」
榛村さんはそういう風に教えてくれましたが、最初のお金の用意は必要だとして、そのお金だけで終わるのか、それが核になってどんどんいろいろなところへ広がって行くのかで、イベントの効果は大きく変わってくることでしょう。
イベントの効果を上げるためには、人・モノ・金・情報を上手く使って上昇気流を生むことが大切、ということは覚えておいて良さそうです。
掛川のスローライフ月間なんて、まさにそうでした。リアルにそれを感じることができたのも私の財産になっています。