北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

当たり前を当たり前と感じる感性の問題です

2015-06-17 23:21:37 | Weblog

 わが職場で道路事業を担当している若手職員たちと意見交換をしました。

 テーマは「仕事のやりがいや達成感はありますか」というもの。

 道路事業だったらかつては大きな橋やトンネルを作ったりすることに情熱を傾ける職員が多くいたものですが、最近はビッグプロジェクトは少なくなり、地道な仕事ばかりです。

 若手に一人ずつ意見を述べてもらっている中で一人がこう言いました。
「私は何もなく過ごせていることに達成感を感じます」

 その言い方が面白かったので、「どういうこと?」と聞き返すと、「私はスポーツをやっていますが、ケガをしたりして体の一部が動かなくなったりするととても不便や不自由を感じます。つまり当たり前じゃなくなったときの不自由から、当たり前でいることのありがたみを感じるんです」
「なるほど、面白いね」

「私は道路の技術屋ですが、道路なんてそこにあって車が走れることが当たり前で何の不思議も感動もありません。でもひとたびそれが止まることでどれくらい地域が不便になるか、ということも身に染みて知っています。ですから道路が当たり前に走れるように維持管理ができているということを喜びだと思うようになりました」


 なんだかとても達観した言い方ですが、言っていることはまさに正しいことだと思います。ただその若さでそこまで達観できるとは、とも思いますが。


      ◆  


 おりしも夕方からは地域で道路維持を担当してくれている現場監督の方との意見交換会を行いました。

 夏も冬も道路を維持している最前線での苦労話や発注者側への注文や提案などをざっくばらんに聞くことでより良い管理の姿を模索しようという試みです。

 夜には懇親会も行って、昼間の会議では話せないこともお酒の力を借りて語り合いました。

 ある若手の現場監督は、「最初の頃は吹雪になるとパニックになって『どうしたらいいですか!?』って指示をあおいでいましたが、だんだん慣れてくるものですね。この冬などは雪が少なかったこともありますがもっと荒れてくれてもいいのに、とすら思いました(笑)」と酔った勢いで言い放ち、先輩の監督から叱られていました。

「かつては道路は何があっても止めるな、ということが常識だった時代があって、除雪で走り回ってステーションに戻ったらすぐにまた出動なんてことが当たり前にありました。役所の監督さんと電話をしても『ガンバレ!』としか言われず、『こっちはもう死ぬほど頑張っていますから!』と言って電話でブチ切れたこともありました(笑)」

 そうやって現場でパニックになるような経験を積む中でさまざまな事象に対応する力をつけてゆくのでしょう。道路維持は『義理と人情』で守られているということがよくわかります。


 世の中にはシステムに不具合が起きないようにと人々が寝ている間も頑張っている人たちがいることを忘れないで欲しいと思います。

 当たり前が当たり前でいるということは結構大変なことなのです。

 

コメント
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