今は愛知県に住んでいる高校時代の同級生がバイク旅行で稚内へ来るというので、出迎えて一杯やりました。
彼に会うのは高校の同窓会以来で数年ぶり。お互いに歳を取ったなあ、と笑いつつも、彼は今まさにバイクにはまっていると言います。
「バイクなんて、子供に手がかからなくなって目覚めたのかい?」
「うん、小さいバイクには乗っていたんだけど、まさに子供に手がかからなくなって400ccに乗り換えたんだ。終活かな(笑)」
「終活なんて、まだ人生を終えるのは早いだろう(笑)」
「でも車の旅ならもっと歳を取ってもできるだろうけど、バイクに乗るには年齢的な限界がありそうだ。やりたいことをやれるうちにやっておこうと思ってね」
趣味でも社会活動でも、自分の人生の意義を見出すなにかを今のうちに見つけておくことは大切なことですね。
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いろいろな話をしているうちに若い時の恋人同士の連絡をどうしていたか、という話題になりました。
今なら携帯電話やスマホがあって、いつでもメールやLINEで連絡を取り合うことが可能ですが、我々がお付き合いをしていた頃なんてそんなものはありませんでした。
彼は「僕は就職したての頃には会社の寮に入っていたんだ。こちらから電話するときは寮内の公衆電話で電話をしたけれど、向こうから連絡が来たときは寮長か誰かが電話を取って、それを三台ある内線につないで、呼び出されたやつがそこで電話をしていたんだ。ところがその電話がいつも満席(笑)。
今思っても一体どうやって連絡を取り合っていたのかなあ」
私の家でも家に電話がついたのは高校生か大学生になってから。今みたいにいつでもどこでも好きな相手と連絡が取れるということは、「やろうと思うとやれること」が増えたという意味で豊かな時代と言えるかもしれません。
しかし、かつては「やろうとしても出来ないこと」があるためにそれをどうしようか、という工夫に知恵をこらした時代でした。
暑い夏を涼しくできないならば、涼を楽しむために風鈴を下げたり金魚を飼ったりする。そういう工夫の中に面白みや粋や文化が誕生する素地があったように思えます。
「結局連絡を取る最後の手段は手紙だったよな(笑)」
科学技術が日々不可能を可能にしている昨今。不可能に美学を求める様な生き方は古いでしょうか。
今日のオレンジ通りは南稚内神社のお祭りで、普段にはない大盛況。こんなに賑やかな通りの風景は初めてみました。そんななか久しぶりに友達と会えて楽しいひと時。これも神様の御利益かな。