市内の金融機関から依頼を受けて、「二宮尊徳と報徳思想」についてミニ講演をしてきました。
日本社会のこの現代、多くの町でまちづくりや地域経営がうまくいかないという話をよく聞きます。
全国を見渡せばたくさんの成功事例やまちづくりのためのマニュアルがあるのにうまくいかないそのわけは、まちづくりは結局人が行っているもので、その人を動かすのはやはり人による職人芸だからです。
動かなくてはならない人には心があって、その心が荒れているのか覚悟を決めているのか、ということでパフォーマンスは全く変わります。
二宮尊徳さんはこう言いました。「心の荒蕪が一番恐ろしい」と。
心が整っていれば、山林や畑が荒れていても恐れる必要はありません。その人の心を変えることが最も難しいことなのです。
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もう一つうまくいかない理由は、私たち自身の生き方のお手本になるような優れた人が見当たらないということです。
その人のまねをしていれば、真っ当に生きることができる、そんなお手本が身近にいるでしょうか。
昭和十年代に日本中の学校で、PTAや親が学校に二宮尊徳の幼少時代、幼名金次郎の銅像を寄付することが流行りました。
それは、明治時代の最後に明治天皇が岡崎雪聲(せっせい)という芸術家が作った二宮金次郎の負薪読書像をお買い上げになったことで注目をされた、ということもあるのでしょうが、その一方でやはり親たちが、子供たちにこうあってほしいというロールモデルを二宮金次郎に見たからにほかなりません。
養父に養われて、日中は山へ柴や薪を拾いに行き働かなければならなかった幼い金次郎がそれでも学問をしたくてしたくてたまらず、懐に大学という本を偲ばせて道すがらそれを読んでいたその姿に多くの親が共感したからです。
「直接教えを受けることはできないけれど、ある人を尊敬して模範として慕いその人に学ぶこと」を『私淑(ししゅく)する』と言います。
今日私たちは他人の生き方を尊敬し、慕い、それにあやかって真似をしたいと思うようなことがあるでしょうか。そんなことの対象になる人が思い浮かぶでしょうか。
そんな素晴らしい人生を生きた人のことを『偉人』と言います。その生きざまを著した書物を『偉人伝』と言います。
私が子供の時は『偉人伝』と呼ばれる本が割と身近にあって、何気なく読んだものですが、読書離れと共に、読むべき本が爆発的に増えたことで選択肢が増えすぎて子供でも大人でも、真に読んでおくべき本が分からなくなってしまいました。
時間のフィルターを超えて現代に生きる古典、そのなかでも偉人伝を読んでみてはいかがでしょうか。
そしてその中でも、偉大なリーダーシップを発揮して飢饉に打ちひしがれて人々の心が荒れ果てた町をいくつも立て直した二宮尊徳の生き方を学ぶことは、混迷する現代の夜に一つの灯火をみることに違いありません。
聞いていただいた皆さん、ありがとうございました。