今日は第53回氷雪の門・九人の乙女の碑平和祈念祭が執り行われました。
七十年前の八月十五日に日本は終戦を迎えました。
しかし終戦間際に参戦したソ連軍はその後も樺太各地を襲い、自体は予断を許さない状況になりました。
既に八月十二日には樺太西海岸の真岡からの緊急疎開が始まっていましたが、電話交換業務は女子職員によって行われており、皆がいなくなってしまうと通信が確保できなくなることが予想されました。
そのため真岡郵便局では、電話交換業務の移管が行われるまでは業務を遂行しなければならないとして、残って交換業務を続けてもらえるものを募集し、これに二十名が応じる形になったと言います。
八月二十日になるとソ連軍が真岡に上陸、民間人への攻撃も激しく戦闘に巻き込まれて亡くなった人も多くいました。
そんななか、真岡郵便局も艦砲射撃で被弾するようになり別館の二階に女性のみが孤立するようになり、九人の若き乙女たちが「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」という言葉を残して、壮絶な服毒自殺をとげ職務に殉じたのでした。
稚内公園に立つ本郷新による「氷雪の門」は、カラフトでの物故者たちのための慰霊碑です。
そしてその慰霊碑の横にはこの最後の戦闘に巻き込まれて殉職した九人の乙女の像が建てられています。
今日の平和の祭典では、実行委員会委員長である工藤稚内市長の式辞についで全国樺太連盟の会長ら来賓の挨拶が続き、日本郵便株式会社の北海道支社長、とNTT東日本の北海道事業部長も挨拶を行い、通信の大切さとそれを守り抜いた崇高な使命感に対する安らぎの言葉を述べられました。
かくも悲しい事件ではありますが、われわれはやはりこれを忘れてはならない、伝え続けていかなくてはならないのだと思います。
恨みや怒りを伝えるのではなくあるいは忘れてしまうのではなく、その悲しみを伝え続けることが残された者たちの使命であろうと思います。
今日は樺太の島影が実にくっきりと見える一日でした。
稚内へ来たらどうぞ氷雪の門を訪ねて、今は異国となった樺太の地に思いを寄せていただきたいと思います。