始まる前はあまり盛り上がらなさそうに感じていた平昌オリンピックでしたが、冬季オリンピックでは最多のメダルが取れて、ずいぶん盛り上がる結果になりました。
金を期待されて取った羽生選手や女子団体パシュートなどはもちろんですが、金を期待されながら取れなかった種目や、期間中最後に熱戦が続いた女子カーリングなど、テレビにかじりつく競技も多くありました。
結果的にメダルにはつながらなかったとしても、入賞した選手の数でもこれまでで一番多かったとのことなので、精一杯のパフォーマンスを繰り広げた選手一堂に心から拍手を送りたいと思います。
しかしオリンピック選手の年齢を見ていると、レジェンド葛西選手はまあ例外として、小平奈緒選手の31歳というのもかなり年齢が上に感じます。
フィギュアスケートなどでは十代後半から二十代前半の選手たちが活躍していますし、概ね20代の選手たちがしのぎを削って競い合うのがスポーツの最前線と言えそうです。
そうなると心配なのが、アスリートとしてのピークを過ぎた後の人生の過ごし方です。
人生百年時代と言われるときに、あまりに早く成功を収めてしまったことがそれからの人生の重しになったり、逆に若い日々をスポーツに捧げたことで、その後の生き方が定まらなくなるといったことのないことを願います。
小平奈緒選手が、卒業時の就職が白紙になり、結果的に松本市にある相澤病院が採用してくれて、その結果練習に専念できる環境を得たことが、今回の金メダルという快挙につながったことは、もういろいろなところで語られています。
金メダル級の選手ですら、就職先に困ったり、生活と競技のバランスに苦しむことが多いのというのが日本の社会の現実。
スポンサーがついて、生活に困らずに世界を股にかけて競技に集中できる選手などというのはほんの一握りの人たちだけの話です。
頂点が高みを目指すためには、各種目でのプレイヤーが多くいるという、裾野が広いことが大切になります。
オリンピックでのメダル級の活躍をした選手は勿論、アスリートとして苦しい練習を積んでいるような人たちが、スポーツに専念できるような経済環境もしっかり与えられるような社会に日本はなれるでしょうか。
日本は、ロシアや中国のように、国威発揚のために国家ぐるみで超スーパーエリートを養成できるようなことにはならないでしょう。
であればこそ、企業や自治体などが、そうした人材を育てるメリットを見出したり、あるいは税制面でのメリットなどを発揮して、社会全体がアスリートに対するリスペクトの機運と、経済面での支援を両立するような社会になってほしいものです。
世界的アスリートが単なるタレントや芸能人にしかなれないというのではあまりに寂しいと思います。
人生百年時代における、若すぎる成功を、またその陰に隠れた陽の当たらない苦労を、社会の財産として考えられるでしょうか。
東京2020に向けての日本の課題の一つかもしれません。