夜に弟から電話が来ました。
「あれ、兄さん、今日は実家に来ないの?」
「いや、もう夕方に立ち寄ったんだよ」
「あ、そうなのか。今日も行くと言ってたから来ると思ってたのに」
「あれ?僕が2時間前に行ったことを親父は何も言っていなかった?『さっき兄が来たよ』とかさ」
「全然(笑)」
「ありゃー、覚えてないのか…」
「うん、仕方ないよ。わかったあとはこっちでやっておくよ」
「すまんな」
白内障手術で母が入院して家に残された父ですが、私と弟の二人で夕方から夜にかけてそれぞれ実家を訪ねて変わった様子がないかどうかを見守っています。
しかしこんな会話になるように父の記憶がときどき怪しい感じになるようです。
もっとも面と向かって話をしている分にはあまり変な感じはしないのです。
今日訪ねてみると食卓の上にエビ天やフライドポテトなどのパックが上がっていました。
「これはどうしたの?買ってきたの?」
「いや、隣の奥さんが『差し入れです』ってもってきたのさ。だから食べるものには困らないんだけどね」
尋ねたことにはちゃんと答えてくれているのですが、少し時間が経つとそうした短期記憶が残りにくくなっているようです。
自分自身が病気で入院したことがない、ということが自慢なのですが、その話を訪ねる度に繰り返し繰り返し話すようにもなっています。
「母さんは明日戻ってくるから、あと一晩だ」ということは理解しているようですが、それ以外の関心ごとの範囲も狭くなっていることを感じます。
心の老化は、物事に関心が薄れて行動に起こすこともおっくうになるということなのでしょう。
肉体とともに心や精神の老化を防いだり、少しでも遅らせる努力が必要なのですね。
明日の母の帰宅が待ち遠しいです。