北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

小高い丘からの風景

2009-06-04 23:55:20 | Weblog
 


 遠くに見える東京の風景。

 小高い丘の上には心地よい緑が溢れ、風が涼しげにそよぎます。

 風景をよく見ると、右手には皇居が見えて左には最高裁判所、遠くには市ヶ谷の自衛隊駐屯地が見えます。

 こんな風景が見える小高い丘って一体…、実はここは霞ヶ関のど真ん中、合同庁舎三号館の屋上の喫茶室。

 昔私がいた頃は、一歩外へ出ると味気ないコンクリートタイルと自殺防止のネットが張られていたのですが、今では環境に配慮した建物を自ら実験するということで屋上庭園が作られているのです。

 http://www.mlit.go.jp/crd/park/shisaku/gi_kaihatsu/okujyo/index.html 

 屋上庭園を作ると、屋上に降り注ぐ太陽熱を緩和して省エネやヒートアイランド帽子につながるなどという効果があるとも言われます。

 しかし、まあそうした効果のほどは無いよりマシと言った程度で、それよりもここでお茶を飲みながら疲れたからだと心を癒す憩いのひとときを提供してくれる効果の方が大きそうです。

 
    ※    ※    ※    ※

 ここのところ楽しんでいた塩野七生著「海の都の物語」を読み終えました。

 感想をお届けしようと思っているのですが、感動が大きくて簡単には書けないため、後日ゆっくりとお届けします。

 建国以来千年に渡る、海洋都市国家ヴェネツィアの衰亡史。我が国の状況と照らし合わせると、思うところが実に多いのです。 
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【アジアウォッチ】聞いただけで好感度アップ

2009-06-03 23:56:38 | Weblog
 ついでにもう一本。

 衛生や約束を守る心情が貴重な資産であることがよく分かります。日本人はこういう生き方なんでしょうかね。


---------- 【以下引用】 ----------

【中国ブログ】日本に対する「反感」が「好感」に変わった理由   2009/06/02(火) 15:09
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0602&f=national_0602_026.shtml

  このブログは中国人ブロガーが、身近な人間から日本に関する話を聞き、好感を持った理由を綴ったものである。以下はそのブログより。
--------------------------------------------------------------
 日系企業に勤めている友人や、日本に出張に行くことの多い同僚から多くの話を耳にし、最近の私は日本や日本人に対する理解はますます深くなっている。


 以前は日本に対して好感を抱いたことは一度として無く、どちらかと言えば私は反日だった。その原因として、日本が尖閣諸島(中国名:釣魚島)を占拠していること、米国と組んで中国を圧制していること、映画で描かれる日本人男性といえば、身長が低く下品で色情だったからである。さらに周りの大部分の人間が皆、日本が好きではなかったからだ。

 しかし、最近は日本や日本人について多くのことを理解したからであろうか、突然日本に対して一種のあこがれの気持ちが芽生えてきた。おそらく、私の日本に対する理解は自分の身近な人間から聞いた話によってもたらされたものであり、容易に信じることが出来たからであろう。

 日本に頻繁に出張に行く同僚の話によると、日本人は非常に衛生的だという。日本の学校では校舎に入るときには靴を履き替え、教室も毎日掃除するのだという。また、日本の街中も非常に清潔であり、にぎやかな場所であればあるほど、より衛生だと話していた。初めて訪日した際、同僚はその清潔さに震撼したと話していた。

 また、日系企業で働く友人の話では、その企業の代表を務める日本人は非常に真面目であり、家族を日本に残し一人で中国で朝から晩まで奮闘しているのだという。それにひきかえ、彼に使われている立場である中国人たちは全く職責を果たさず、私腹を肥やしてばかりだそうだ。さらにその日本人は契約を重視し、これまでに従業員を解雇したことは一度も無いという。

 以前、日本人の勤勉さに言及した文章を目にしたことがある。中国に進出している国際企業の中で、最も中国の法律を遵守するのは日系企業だという。巨大な負債を残したまま、夜逃げや姿をくらます韓国人とは違うのである。以前は日本人の勤勉さについては半信半疑であったが、現在は疑うべくもなく、日本や日本人に対して好感すら持っている。機会があればぜひ、日本へ赴いて自分の目で見てみたいと思っている。(編集担当:畠山栄)


---------- 【引用ここまで】 ----------

 このブログ主は一度も日本に来たことがないのに、同僚の話を聞いただけで日本に対する認識が変わる思いがしているのですね。

 日本のことを知らないままに、観念で反日や嫌日の意識が醸成されているということも分かるというものです。

 自分が相手を嫌っているから相手も自分を嫌っているだろう、と思いこみ、実際に訪ねてみると全くそうではない観念と現実の矛盾を見てしまうと、目からウロコが落ちる思いなのでしょうね。

 なかには例外もありますが、日本人が約束や契約を守ろうとする意識はそれが国際的信用につながる大きな資産です。

>巨大な負債を残したまま、夜逃げや姿をくらます…ゴホ、ゴホン。

 ま、少なくともそういうことは悪評になるほどには一般的ではないと言うことで。

 それにしても話を聞いただけでこの好感度アップ!このままいくと、日本では瓦も全部金だってさ、となりそう。マルコ・ポーロか!
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【アジアウォッチ】靴を揃えること

2009-06-03 23:42:16 | Weblog
 言われてみれば確かにやっている行動ですが、それがそんなにすごいことだとは思ってもいません。

 自分の靴を脱ぐ時に揃えることは当たり前として、そう言えば他人の靴も並べたかなあ。
 


---------- 【以下引用】 ----------

 


【中国ブログ】日本人の「靴を揃えて脱ぐ」習慣から思うこと 2009/06/02(火) 10:22
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0602&f=national_0602_018.shtml

  このブログは中国人ブロガーが日本を訪れて実感した感想を綴ったものである。以下はそのブログより。
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 日本滞在中、食事をするために日本食レストランに入った時のことだ。私たちは入り口で靴を脱いだのだが、私たちの後から日本人の婦人がやって来て、私たちが脱いだ靴を全て揃えているのを見かけた。私はこの女性のことを店員だと思っていたのだが、実は彼女も私たちと同じ客であった。

 私はあの女性がどのような人なのかは分からないが、日本という国にはこの女性のような人がたくさんいることは分かっている。他人の靴を揃えるという行動は簡単かもしれないが、その行動の裏にある意義は簡単という言葉で片付けられるものではなく、一朝一夕に出来るようになるものでもない。

 そして、これこそが日本人と中国人の距離でもある。日本人にとって、身の回りのものは整理・整頓されていなければならないのである。日本では幼稚園の頃から、教室に入る際には靴を履き替え、脱いだ靴は揃えることを教えるのである。日本人と中国人は幼稚園の頃から差がつき始めるのだ。

 「物を探す」という行動に人生の約3割もの時間を費やすと言われている。我々は幼少の頃から「使ったら使ったまま」、片付ける習慣が無いため、社会人となってからも度々「物を探す」という煩わしさに遭遇する。

 しかし、旅行に行く際に必要となるスーツケースを例に取れば、右側ポケットは航空チケット、左側はノート、重要な書類は内側など、物を入れる場所や片付ける場所を常に決めていれば効率的だと日本人が教えてくれたのだった。(編集担当:畠山栄)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 トイレでトイレ用サンダルを揃えて向きを揃えておくなんてことは私もよくします。

 こういう誰も見ていないところでよかれと思うことをすることを「陰徳を積む」と言って、日本人の好む良き習慣ですね。

 誰も見ていないところで落書きや物を盗むなどの悪いことをするのはこの正反対なわけで、単なる犯罪以上に道徳的観点からもいけないことだ、と思われるわけです。

 かつてイタリアの遺跡に落書きをしたことがばれて、日本の女子大生がつるし上げられて涙の謝罪に訪れたということがありましたが、現地での反応は「なにもそこまでしなくても…」というものだったとか。

 日本では「イタリアの人は寛容だ~!」とほっとしていましたが、世界の標準からすると日本人の道徳観はちょっとずれているのかもしれませんが、それをまた吊し上げるような報道の価値観もずれているのかも。

 相場観がどの辺にあるか、ですが、日本人は正論に傾きやすいですからねえ。

 まあ子供には日本でのそうした価値観は継承して欲しいものですが、それにしても、毎回のようにちょっとした振る舞いに感動されても…、うーむ。

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掛川探訪記

2009-06-02 23:45:45 | Weblog
 今日は一日、営業で心の故郷掛川市を訪問しました。

 掛川はこの4月に市長選を行い、現職が破れ新人候補が当選をしたところです。さぞ職員はショックも大きかろうと思いましたが、「それはそれ、これはこれ」と割り切ったかたちで職務を行っているのが印象的でした。あまり暗さはありません。

 かつてよく利用した地域の豪商の家は、国指定文化財として修復が終わり、地元のNPOが管理を受託していました。地域活動の拠点を市民の力で管理をするという姿はかつての生涯学習を誇った掛川のあり方が花開いたようで嬉しいことです。

 また、かつて手をつけていた公園整備もそれなりに進んでいます。子供用の大型遊具が整備されていて、「利用されるのだろうか」と心配された公園には家族連れが訪れて憩いのひとときを過ごしていました。計画をした時の思いはより良い形で着実に果たされています。

  


 その一方で、市町村を越えた市立病院の統合問題という新しい課題も発生していて、「目の前の問題を片づければすぐに次の課題が出てくるもの。自治体経営に休みはない」ということを思い知らされます。

 今夜もまたたくさん昔の仲間が集まってくれました。飲めば最後はいつもぐだぐだ。これだけは昔と同じです。違いはみんな少しずつ歳を取っているということでしょうか。

 歳を取ることは成長なのか老化なのか。

 気持ちだけは青春ですが。

 
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30人31脚の感じ方

2009-06-01 23:11:53 | Weblog
 「30人31脚」って昔よく見た番組でした。子どもたちが必死にチームをまとめあげて記録を出す姿に涙した方も多いことでしょう。

 外国の目から見ると、それだけでも日本人の団結心に驚くようですよ。


---------- 【以下引用】 ----------





 【中国ブログ】「30人31脚」に垣間見た日本の集団教育 2009/06/01(月) 17:19
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0601&f=national_0601_024.shtml

  このブログは日本のテレビ番組における企画、小学生たちによる「30人31脚」をみた中国人ブロガーが、日本の集団教育について綴ったものである。以下はそのブログより。

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  教育における根本的な事とは一体何だろうか?中国の現在の小学生たちはなぜ、ソニーや任天堂で遊んでばかりなのだろうか?


 日本の小学生による30人31脚という番組を見た。全国決勝大会において、走り終えた小学生たちの目から流れる感激の涙を見て、私も感動してしまった。大会で勝とうが負けようが、子供たちは「集団による力」や「集団意識の重要性」を学び取ることが出来ただろう。私はこの日本の子供たちを通じて、日本民族の団結を感じ取ることが出来た。小学生がこのように足並みをそろえることは容易なことではないだろう。

 私が思うところでは、中国の小中学校では上記のような活動、教育が欠けているのだ。想像できないかもしれないが、中国の小学校低学年の子供のうち、約20%が自分で自分のお尻を拭くことができないといわれている。また、これら日本の子供たちよりも裕福な家庭環境の中国の子供たちですら、一度として他人との協力を考えたこともなければ、心から「ありがとう」と言ったことも一度としてないだろう。

 もしも、一部の生徒たちが30人31脚のような大会を開催しようと提案しても、多くの学校では安全面の問題を理由に拒絶することだろう。問題が発生した場合、家長たちが発狂したかの面持ちで賠償を要求することが目に見えているからである。これこそが中国における集合教育の失敗例である。

 中国は集団教育を最重視していたのではなかったか?いや、中国はこれまで、教育のなかで本当の意味での集団意識を教えたことは一度もなかったのだ。大人たちは子供を成績でトップを取らせることのみに主眼を置き、他人や友人、親戚、同僚の子供などと比較する。中国の子供たちは常に他人と比較され続けて成長していくのである。中国は集団教育が欠乏しているのではなく、全く存在しないと言っても過言ではない。

 台湾の作家、柏楊氏はかつて、「中国人は一人であれば龍のようで、日本人は一人であれば豚のようだ。しかし、日本人は三人揃えば龍になり、中国人は三人揃えば豚になる」といったことがある。これは行き過ぎた喩えだとは思うが、あながち間違っていないのかもしれない。(編集担当:畠山栄)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 中国の個人主義から見れば、30人31脚も日本人の団体主義の極みに見えるのかも知れません。

 このブログ主も、この番組を見て感動しているですから、チームが一丸となることのすばらしさは理解出来ているわけですが、中国の教育ではこれは無理だろうと諦めてしまっています。

 中国には集団教育がないと言われると、北京オリンピックなどの時に見られたあの狂信的とも言える愛国的活動はどう醸成されるのか不思議な気もします。一人一人の個人の中に愛国は刻まれていると言うことでしょうか。

 『日本人は三人揃えば龍になり…』というのは、毛利元就の故事で知られる「三本の矢」にも通じそうです。○○しなさい、というよりも、心に触れる物語を語り続けることの教育効果を感じます。  
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