北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

最後の富士会議~ビジョンを持って前に進め

2009-06-13 23:59:04 | Weblog
 いよいよ伊豆天城での富士会議の始まり。(提供は「世界に価値あるイノベーション」を提供する●BM社)

 この会は、全国から50数名の50歳以下のメンバーが集まって、一つのテーマで意見交換をするというもので、普段は会えない各界の有志の話が聞けるのですばらしいのです。今回のテーマは「変える勇気、守る勇気」と題して、やや閉塞感漂う日本社会の有り様を考えるということになりました。

 最初にプレゼンターとして毎回いろいろな方に講演をお願いしているのですが、今回は前東大総長にして「知の構造化」などの提言をし、現在は三菱総研理事長となられた小宮山宏さん。会の慣例により、敢えて『先生』とはお呼びしないことにします。


    ※    ※    ※    ※

 小宮山さんの講演のテーマは「課題先進国」ということで、社会の変化をどう認識して、それに対応した社会にどのように変化して行くべきか、というお話でした。

「最初に、いつも言い続けている言葉を贈ります。それは『本質を捕らえる知』、『先頭を走る勇気』、『他者を感じる力』ということの三つで、これらを行うためには勇気が必要だろうということです」

「今日はビジョンについて語りたいと思います。先の夢がないと社会は前に進みません。アメリカ大統領選でヒラリーは「オバマには経験がない」と言いました。それに対してオバマはこう言いました『言葉が持つ、人を鼓舞する力を軽んじては行けない』と。人間はつい目先を見てしまい、小さいことにしか目がいかない。そんなときに広げる力になるのは大いなる原理なんです。大きなビジョンを持ちたいと思います」

 小宮山さんは穏やかな学者という印象からかけ離れて、とっても面白いアジテーターでした。

    ※    ※    ※    ※

 まずは経済の今後の見通しから。

「21世紀の新しい需要とは何だろうか?社会に新しい状況が生まれたらそれに対して需要が発生するものです。そしてこれから生まれる新しい社会の状況とは三つのことがあるでしょう、つまり
 ①爆発する知識 … 1000~10000倍に20世紀の知識は増えた
 ②有限の地球  … エネルギー不足、環境、パンデミックもそうもしれませんだ
 ③高齢化する社会… 高齢化は確実に来る未来、人口予測は簡単

 このうち、②の有限の地球について少し話をしましょう。今後の未来に何が起こるかと言えば、
 ① 人工物の飽和
 ② 地球温暖化の進行
 ③ 資源の欠乏  ということになるでしょう。この現実をまず理解して欲しいのです」


「人工物の飽和というのは、先進国では人口がもう増えないから、モノが売れなくなるのは当然です。自動車だって国内では10年に一度の買い換え需要しかなくなるんです。日本には自動車が6000万台あるけれど、10年に一度買い換えるのでは、年間に600万台しか売れなくなるのです。しかしそうなると、車の材料ももう大部分がリサイクルでつくれるようになります。車のために必要な鉄は車のスクラップを再利用すればいいんです。触媒のためのインジウムなど希少金属だって、車に使われている形で国内にあるわけで、これらを再利用すればもう輸入する必要だってなくなっちゃう。日本ではこれが2050年頃までにそうなるだろうと考えています。つまり循環型社会に変わることで、日本は原料資源をそれほど輸入しなくて済む国になるんです」

 資源輸入国の宿命を背負っていると思われた日本ですが、循環社会を形成すれば原料輸入が少なくて済むというのは…なるほど~。




    ※    ※    ※    ※

「そんな日本だけれど、やはりエネルギーと食料だけは輸入しなくてはなりません。しかしそのエネルギーだって、省エネ効率をさらにあげるような世界最先端の技術が日々生まれているのです。ニーズがあれば技術革新(=イノベーション)が起こって、新しい社会が到来するするんです」

「例えば家の省エネをもっと進めることだってできるのになぜしないのか。世界の住宅で一枚ガラスが標準なんて日本くらいなものですよ。世界は二重ガラスの窓が当たり前、ヨーロッパでは三重ガラスだってある。そうして一度暖めれば火を消しても暖かい住宅や、一度冷やせばエアコンを止めても良いくらいの保温性を持った家にすれば、エネルギー消費が押さえられるし、なにしろ家計の燃料費が少なくて済むんです」

「例えば200万円で太陽電池パネルを設置したとして、200万円の投資でも電気を売ったり省エネで電気代が安くなることで年間20万円が浮きます。すると10年で元が取れるじゃないですか。そうした投資を国が国債を発行することで設置を進めることができないか、という考えで提唱しているのが『自立国債』というわけ」



「絶対儲かるのになんでやらないのかな~(笑)儲かることをやれば結果として世界の環境に寄与貢献出来るんだからねえ。今日、こんなことができるのは日本くらいなんですよ」

「かつて公害で汚かった川崎や水俣を見てごらんなさい。今日こんなにきれいな都市になりました。日本はちゃんとしたことをやっているのであって、近現代の歴史はそれを物語っているじゃないですか、歴史を勉強しなくちゃ」

 そのうえで、

「日本は自分の課題を解決出来れば世界のモデルになれる時代になったんです。これからの社会は明るいビジョンを作って前に進むことです。きっと誰かがついてきますよ」


 ビジョンを作って前に進め、それが知の本質だ!というお話は心に染みました。

 小宮山さんの著書「課題先進国」も読まなくては。

    ※    ※    ※    ※

 今年も楽しい語らいの富士会議ですが、私は今年で卒業となります。何とも寂しいのですが仕方がありません。後輩に席を譲って、これを糧に前に進まなくては。

 

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伊豆天城会議

2009-06-12 23:11:10 | Weblog


 毎年この時期に恒例の伊豆天城での会合に参加しています。今日は現地からのレポートです。

 本当は明日の土日の一泊二日なのですが、遠い人や世話人のために前泊も受け入れてくれていて、今日は私も前泊です。

 明日朝でも来ようと思えば来れるのに会えて前泊をしたのは、道内から後輩を推薦して新しいメンバーに加えてもらったため。彼を会合にスムースに紹介するためには一緒にいた法が良いと思いました。

 後輩とは道北のある町の町長なのですが、人口わずか2000人足らずの町のリーダーとして、町の経営の現実を訴えるのには彼以上の適任はいないと考えたのです。

 一般には町長という役職ともなるともう年寄りが多いのですが、異例の若さで地元で町長をしてくれているので、50歳以下限定のこの会議にも誘えたというわけ。

 この会議は各界をこれから支えるであろう多士済々が集まっていますが、中央に偏りすぎると理屈や理念での思いが先行しがちなところがあります。そんなときには地方の現実という現場感覚が一番刺激になるものです。

 理屈やあるべき論をいかに語ったところで、現実はそんな理想通りにはなっていないし、理想になど到底近づくことはできません。そんな現実を前にして理屈は何ができるというのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

「農業が町の産業の中心ですが、案外新規就農者もいます。それを補助金など行政の支援で支えて農業の道を導いています。しかしそれが成功するのは現実には非常に難しいことです」
「農業経営を成功させるためには何がポイントになるのですか?」

「経営の哲学でしょうね。新規就農には牛や牛舎、草のための牧草地、トラクターなどで8千万円の初期投資がかかります。それを農協を始めとしてお金を貸すシステムが出来上がっています。しかしサラリーマンならば月々の収支が明らかになって、節約をしたり家計のコントロールも可能ですが、酪農となると一年間の収支がどかんと出てくるので、何にお金がかかっているのか分かりづらいシステムになっています」
「なるほど」


「そのため何千万円も借金をしていると、さらに少しくらいの借金なんど何でもないような気がして麻痺してしまいがちなのです。そこで節約や投資に対してしっかりとした理念を持っている人は次第に成功しますが、まあいいやと思ってしまう人は大抵失敗するというわけです。成功するのは本当に一握りの人たちでしかないんです」
「それは厳しいですね」

    ※    ※    ※    ※

「最近の課題は何ですか?」
「地元の高校の廃止問題が浮上しています。地元の高校が廃止されると一番近い高校は約80キロ離れた隣町に行かなくてはなりません。80キロというのは、東京から小田原の距離とほぼ同じです。関東にはこの間にいくつ高校がありますかね」


 次から次へと出てくる小さな町の現実に、自分だったら何ができるだろうかと思ったものの、答えは簡単には出てきません。

 明日はさらにたくさんのメンバーと意見交換ができることでしょう。

 楽しみな二日間の始まりです。  

 
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無宗教者のジョーク

2009-06-11 23:41:22 | Weblog
 昨日は、旭川での打ち合わせを終えた後に釧路へ移動。一日10時間も移動していました。ふー。

 さて、海外も含めたいろいろなネタを提供してくれる「らばQ」に無宗教者を揶揄するネタがありました。

 日本では宗教を訊ねるのはタブーに近いものを感じますが、西洋では血液型を訊くのと同じ感覚だとも。ほんとかなあ。


---------- 【ここから引用】 ----------

らばQ 「ジョークでわかる無宗教の温度差 」
  http://labaq.com/archives/50826081.html




 日本で血液型を聞かれるのと同じように、欧米では宗教を聞かれることが多いです。

 これは宗教によって食事の制限や禁止事項など、会社や学校で差別されることのないよう考慮する意味もあります。

 日本は仏教や神道の人が多いですが、キリスト教やイスラム教のように毎週教会へ行くとか、毎日お祈りするなどの習慣がなく、宗教に触れる時間は極めて少ないと思います。そういう理由もあってか、無神論者を名乗る人が大半を占め、仏教徒であっても教会式の結婚を平気で行えるわけです。

 日本では「無宗教」であることは、悪いイメージどころか、安全で普通の人と思われます。そして近年ではカルト宗教の活動犯罪が一層目立つようになり、「敬虔な宗教家で信仰心がある」方が、変な目で見られがちです。

 ところが欧米に行くとまた文化がちがうので、「無宗教」は世間であまり受け入れられていません。英語でいう「Atheist」(無神論)は、まだまだ市民権を得ていないように思います。

 それを知らずに日本人が宗教を聞かれたときに、堂々と「無宗教です。」というわけです。

 宗教に関することはデリケートな問題なので、相手はいちいちびっくりする反応は出さないし、仏教でもイスラム教でも自分と違えば知ったこっちゃないというのが本当のところでしょうが、多分に相手の心に小さく「無神論者」と刻印されることでしょう。

 宗教を「持つ」と「持たない」の違いは、絶対に従う存在があるとか、日々の生活のルールがあるというのが一般的ですが、その一つに死んだときの弔い方というのがあります。

 火葬なのか土葬なのか、体はどちらに向けるのかなどです。日本は無宗教でも普通に仏教式のお葬式が行われますが、欧米で無宗教と言った途端、人によっては「弔わないの?」「死体は捨てるの?」みたいなイメージを持たれるのだと想像すれば、なぜ「無宗教」のイメージが好ましく思われないか理解できるかと思います。

 そんな「無宗教」のイメージを揶揄するジョークを見つけましたので、ご紹介します。

【無宗教ジョーク】
 あるクラスの授業で、小さな生徒を受け持つ若い女性の先生が、自分は無神論者だと述べました。

 彼女は次に、クラスの中で無神論者がいたら手をあげなさいと言いました。小さな子供たちなので、無神論者というのが何のことかわからず、大半の子供らは先生の真似をして自分もと、嬉しそうに手をどんどんあげていきました。

 ところが、一人だけあげない子供がいて、名前はルーシーと言いました。ルーシーはほかに混ざって手をあげなかったので、先生はルーシーにどうしてほかの子と違うほうがいいのかを尋ねました。

ルーシーは「だって私は無神論者じゃないからです」と答えました。

先生は「じゃぁ何なの?」

ルーシー「キリスト教です」

 先生はちょっと不満気にキリスト教である理由を尋ねました。

 ルーシーは「キリストを信仰するように育てられたからです。それに私の母親はキリスト教で、父もキリスト教で、だから私もキリスト教です」と答えました。

 先生はちょっと怒って、「それは理由にはならないわ」と大きな声で言いました。

「じゃぁ、あなたの母親が間抜けで、父親も間抜けなら、あなたは一体何なの?」と尋ねました。

 するとルーシーは答えました。「そうしたら私は無神論者になると思います」

 basicjokes.com: An Atheist より

 最近では無宗教家を名乗る人も増えてはきましたが、まだまだこういうジョークがたくさん出ているところが、日本と違うなと感じます。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 先生の両親は「間抜けだった」というオチ。無宗教と言うことは間抜けに近い価値観があるのでしょうね。

 日本人は訊かれた時のために、自分たちの宗教観念を答えられるようにしておくことが大切ですね。

 まあ「『八百万の神』と言われるくらいの多神教である日本人の気持ちは、一神教の人たちには永遠に分からないでしょうね」くらいで煙に巻くというのも手かも知れませんが、「え~、興味深い~、詳しく教えて」と言われて言葉に詰まるようでは情けないですぞ。
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旭川のまちなか

2009-06-10 23:10:08 | Weblog
 

 出張で旭川へ来ました。市役所とちょっとした打ち合わせです。

 旭川は道内老舗デパートの丸井今井が撤退を表明していて、中心市街地の空洞化にさらに拍車がかかるのではないかと心配をされています。私の所属する組織としてもなんとかしたい地方都市の課題です。

 丸井さんの場合、今後これだけの商業床がどうなるのか、なにかに利用されて雇用やにぎわいの創出に貢献してくれるのかはまちなかの活性化に大きな影響を与えることでしょう。

 しかしながら、商業床をテナントに貸すという販売形態は、郊外の巨大ショッピングセンターの浸食を受けて防戦一方です。市民の足が公共交通から自家用車に変わっていったことで中心市街地の魅力が薄れ、それと同時に大きな駐車場を用意する郊外型ショッピングセンターの方が行きやすくなり魅力が増したのです。

 ショッピングセンターは郊外の安い土地に立地することで少ない資本で大面積商業床を構えることができ、大面積の分品揃えも豊富になりました。利用者の目はいつもシビアで、魅力のある方に足が向くのは当然と言えるでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 中心市街地の衰退問題は話題のなり始めた初期の頃は中心商店街の衰退の話と同じ事で、各自の商業の問題に行政が口を出すことははばかられる雰囲気がありました。民間事業者個人の商才の問題ではないか、そんなことに税金を出して良いのか、という考え方です。

 しかし個々の商売の集積が失われることで中心市街地のにぎわいや集客力求心力が低下してくると、次第にそれは社会的な損失であるという認識も高まってきました。

 国も地元の自治体や商業者たちが資金を出すのであれば一定の支援をするという方策も充実してきました。

 郊外型ショッピングセンターが日本中で建設されて、ほぼ一巡をしたあたりの頃に、よく「ショッピングセンターはいついなくなるかわからない。まちなかの方を大切にした方がよい」という中心市街地擁護論がよく聞かれました。

 事実、儲からなくなったショッピングセンターの中にはそうした振る舞いをするところもありました。

 しかし皮肉なことに現実は、まちなかのデパートの方が先に撤退をせざるを得ないという事実に直面をしているというわけです。

    ※    ※    ※    ※

 旭川は市内中心部にあまりマンションがありません。いわゆる都心居住よりも郊外居住の方が魅力があるのです。

 まちなかには現在生鮮三品(肉、魚、野菜)を売るようなスーパーはあるデパートの地下に一軒しかありません。まちなかに住んでも日常の食材すら買えないのではやはり魅力に欠けます。

 マンションや賃貸住宅などを増やすと同時にそうしたスーパーマーケットを充実させるということを同時並行的に行わなければ、純粋商業地域からの変革は難しそうです。

 旭川にはそうした方向性を打ち出したビジョンがあるのかどうかもあまりはっきりしません。市役所と市民が思いを一つにするような工夫がありそうでないようです。頑張って欲しいのですが。

    ※    ※    ※    ※

 旭川駅の近くに市の観光情報センターがあって、そこでは無料で貸し自転車を貸してくれるのでした。無料ということはビジネスにはなっていないということでしょう。市内を巡る観光もないのかな。

 なんとかしたいもんです、まったく。

 
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人類の進化の果て

2009-06-09 23:33:13 | Weblog
 人類が誕生したのは約400万年前なのだそう。

 どこまでが猿でどこからが人間なのかは分かりませんが、今の人類からこれ
からはどのように進化するのでしょうか。

 写真サイトflickrに、これからの人類の遠い未来を予感させる画像がありまし
た。

 

  http://www.flickr.com/photos/31364755@N08/2941917183/

 日本人はいったいどこまで進化するのやら。すごいことになりそう。

 アメリカ人の進化にはこんな画像もありました。こちらの方がわかりやすいで
すね。


 

  http://www.flickr.com/photos/31364755@N08/2942764456/

 ついでに、「おい、ついてくんな、ヴォケェ」ということで。

 

 http://www.flickr.com/photos/31364755@N08/2941890855/sizes/o/
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「海の都の物語」を読む(その2)

2009-06-08 23:52:20 | Weblog


  東地中海を中心に時代を駆けめぐったヴェネツィアは、航海術はもちろん、外交術でも他国の追随を許さない高度な技を駆使しました。

 幾つもの国の中心都市には今で言う大使館をおき、そこから得られる情報で的確な外交判断を行っていたのです。

 16世紀初頭にヴェネツィアはその歴史で最大の国外領土をもつ立場になっていました。これを面白く思わない国は多かったのですが、巧みにそれらを団結させないような外交を繰り返していました。

 そしてそのようなときに、ヴェネツィア最大の外交ミスを起こします。ヴェネツィアの振る舞いを侵略的だとして、ドイツの神聖ローマ帝国、フランス王、スペイン王、そして法王庁などヨーロッパ全土を敵に回すという失態を演じたのです。

 同時代人のマキャベリはこう批評しています。
 「現実主義者が誤りを犯すのは、往々にして相手も自分たちと同じように考えると思いこみ、それゆえに馬鹿な真似はしないにちがいない、と判断した時である。ヴェネツィアはこの度の戦いで、彼らが八百年もの間築き上げてきたものを全て失った」と。

    ※    ※    ※    ※

 読めば読むほど、日本に似ているなあ、と思います。

 ヴェネツィアは契約という約束を愚直なほど守るので有名でした。これもまた日本みたい。

 ブルクハルトは『イタリア・ルネサンスの文化』のなかでこう述べています。「ヴェネツィア共和国ほど遠国に住む自国民に対して、道徳的な力を及ぼした国家はなかった」と。

 そして都市国家の時代が終わり、大君主制による国家群の台頭を迎え始めた17世紀になり、ヴェネツィアはしばしば力と量の支配する外交と軍事の世界において、持たぬ者の悲哀を味わうことになります。

 やがてフランス革命後のナポレオンに降伏することで海洋都市国家としての歴史を終えたヴェネツィア。

 「強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツィア共和国はもはや、そのような立場にないことを認めるしかありません」
 16世紀のヴェネツィアの外交官フランチェスコ・ソランツォは帰任後の報告の中でこう述べています。

 日本がそうした国になってはなりません。物語として面白い歴史は、今を生きる我々にとっての貴重な教科書であるはずです。

    ※    ※    ※    ※

 箱根にある箱根ガラスの森美術館には、内陸に領土を得たヴェネツィアの手工業黄金期のガラス美術工芸品が数多く展示されていますよ。

 「ヴェニスを見てから死ね」と言われます。生きているうちに一度は行ってみたいものです。
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麻生総理の演説に出くわす

2009-06-07 16:10:29 | Weblog
 


 井の頭公園へでも行こうと吉祥寺駅に来てみたら、なんと麻生総理が来て演説をするというので駅前は黒山の人だかり。

 一度生で聞いてみようと待っていたけれど、通路で立ち止まる人がいたりして押すな押すなの状態でした。会場が狭いよな。

 待つこと15分でいよいよ麻生総理の登場、会場からは拍手と歓声が沸いておりました。

 総理のつかみは昨夜はサッカーワールドカップ予選。
「最初見ていて、今日は安心かな、と思ったら途中からなんだか危なっかしくなっちゃって、結局1時に終わるまで見ちゃった。で、昨日の戦い方が実に日本らしかったと思ったわけ」

「ちょっと前は中田英寿みたいなスーパースターがいてチームを引っ張っていたんだけれど、ディフェンスの闘利王が最前線まで攻めに行くかと思えば、フォーワードが一気に守りまで戻る。本当に全員で戦ってもぎ取った勝利だった」

「今の日本も同じ。誰かスーパースターが引っ張っているんじゃないんです。政治もこの不景気やこれからの課題に、国民の皆さんも一緒に全員で戦っているんです」

 そこから先は経済、北朝鮮、ソマリア沖の海賊対策、消費者庁問題などについて、よどみなく30分ほど演説をされました。

 麻生さんって、「です、ます」調ではなく、「…だ」で終わるような話し方が多いのだけど、それがあんまり嫌みじゃないんですな。

 政治家の演説を聴いたのは久しぶりのような気がしますが、いよいよ選挙も近いことだし、論点を明確にして我々もこの国の行く末を考えなくてはね。

    ※    ※    ※    ※

 ちょうど無線LANの接続お試しのために持っていたノートを抱えてマク●ドナルドへ飛び込んで記事を打ってみています。

 やっと安定的に接続ができるようになり、機動性が向上しました。 
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「海の都の物語」を読む(その1)

2009-06-07 12:43:00 | 本の感想
 古代ローマの文人ホラティウスはこう言いました。「面白くてためになるのが良書である」と。

 そのような賞賛に恥じない文芸作品が塩野七生著「海の都の物語~ヴェネツィア共和国の一千年」です。

 この本は、イタリア半島の東のつけ根に位置する海洋都市国家ヴェネツィアの建国以来千年に渡る衰亡史。

 

 ヴェネツィアは古くは5世紀の昔に、アッチラという国から逃げるように干潟の沼地の中の島に移住を始めたのがそもそもの始まり。その後一時東ローマ帝国の属国になったものの、西暦800年頃から本格的な歴史上の活躍は始まります。

 干潟に苦労して住み、農業のための土地をもたない都市づくりをするしかなかったヴェネツィア人の生き方は、海洋国家として貿易を仲介することに焦点をおきました。

 イタリア半島の東側のアドリア海を拠点に、南のイオニア海、ギリシャ、クレタ島、キプロス島などの陸地沿いにいくつもの拠点港を中継しながら、エジプトやパレスチナ、そして東洋などとの間に定期航路を開設し、貿易によって豊かな経済を実現したのです。

 著者は、そのようなヴェネツィアの、土地に由来する豊かな資源が少ないにも関わらず、行く代も続く市民の献身と努力、軍事力、外交力でその後一千年にもわたって中世を縦横に駆けめぐった歴史に限りない愛情を注いでいるのです。

 それはその姿が、同じく資源の少ない海洋国家である日本とだぶっているからなのではないでしょうか。

 ヴェネツィアの歴史を学ぶことは、同じく東洋の海洋国家という一面を持つ日本にとって生き方の上で非常に参考になることばかりなのです。

    ※    ※    ※    ※

 この本には、<第一話 ヴェネツィア誕生>に始まり、<第二話 海へ!>以下全部で14のテーマによる物語が描かれています。

 この中で印象的なことは、推定人口わずか15万人ほどの都市国家であるヴェネツィアが、他の国や都市国家と互して、堂々と渡り合う中で自らの地位を拡げかつ守っていった努力の姿です。

 ヴェネツィアが活躍した一千年の間に、イタリア半島には似たような海洋都市国家がやはり登場しました。なかでも当初登場したのは、ピサ、アマルフィ、ジェノヴァ、そしてヴェネツィアの4つでした。これらの都市国家の国旗はいま四つが合わさってイタリア海軍の軍旗となっています。

 そしてもっとも熾烈な攻防戦を戦ったのがジェノヴァでした。ジェノヴァ人の性格を一言で言うと個人主義で、ヴェネツィアのそれは共同主義。この両者の決闘は15世紀を中心に120年続きます。

 ちなみに、ジェノヴァ対ヴェネツィアの戦いで、ジェノヴァの捕虜になったヴェネツィア人のなかに、シナから帰ってきたばかりのマルコ・ポーロがいました。記録好きなヴェネツィア人らしく、彼はジェノヴァの牢屋の中で旅行記を書くことになります。

    ※    ※    ※    ※

 120年続いたジェノヴァとの戦いは、最後はジェノヴァが土俵に上がってこないような形でヴェネツィアの勝利に終わります。

 著者は「全ての国家は、必ず一度は全盛時代を迎える。しかし、全盛時代を何度も野津国家は珍しい。なぜなら、一度の全盛は自動的に起こるが、それを何度も繰り返すのは、意識的な努力の結果だからである」と書いています。

 個人の力では劣っても、社会を組織する力で上回ったヴェネツィアの姿は、「三人寄ると龍になる」日本人に重なって見えるのです。  

 
 
 
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【外からの目】日本に長く居すぎた外国人

2009-06-06 14:03:33 | Weblog
 外国生まれの外人さんでも日本に長くいるとふとしたときに、日本人的な考え方をしていたり日本人の動作をしたときにふと我に返って「おれも日本が長いなあ」と思うことがあるようです。

 これを読んでいてつい吹いてしまいました。ぷぷぷー


---------- 【以下引用】 ----------
らばQ 《外国人が日本に長く居すぎてしまった」と実感するのはこんなとき》
 http://labaq.com/archives/50779932.html

 


日本にはたくさんの外国人たちが住んでいます。彼らは自分の国と比べることができるため、日本の長所も短所もよく知り尽くしており、褒める言葉や批判を的確に表現したりします。

日本人だからこそ知らない日本の変なところや、外国人だからこそわかる日本の特徴を上手く捉えたジョークがよく彼らの間を行き来しますが、15年くらい前に日本在住のアメリカ人が作ったジョークで

日本に長くいすぎた…と実感するとき というのが出回っていました。

外国人(欧米人)の間でウケて亜流などが色々出回ったこのジョーク、日本人には不思議に思えたり、笑い所が難しいものもあるかもしれません。違う角度から日本を知ることのできる、いいジョークだと思いますので、説明を付け加えながら紹介したいと思います。
外国人が…
日本に長く居すぎた…と実感するとき

1.山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり、電車に飛び乗り、ドアが閉まらないように手で押さえ、その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が、少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき
(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日遅れる。)

2.ビルディングのような単語がいったい何音節あるかと思い悩むとき
(英語ではBuildingが「Build+ing」の2音節であるのに対して、日本語は「ビ・ル・ディ・ン・グ」の5音節であることから)

3.自動販売機で、何のためらいもなく紙幣を入れるとき
(海外の自動販売機はお釣りがきっちり出てくる可能性は10分の1以下で、壊れている可能性は何十倍もあることから勇気がいる)

4.外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき

5.初めてのスキーで、新品のロシニョールの高性能なスキー板を持ち、エアロダイナミックスなスキーウェアとそれに色のマッチしたゴーグルを装着して登場し、雪かきをしながら転げ落ちていくとき

6.選挙車のスピーカーから騒音・爆音をたれ流されても、「ショーガナイ」と思うとき
(欧米ではあれほどの騒音は違法なところが大半)

7.テレビ番組で一番いいのはコマーシャルだなと思うとき

8.抹茶アイスも悪くないなと思うようになったとき

9.信号の色のことで青か緑か揉めはじめ、あれは青だと思い始めるとき
(日本人は青と緑の区別がつかないと思っている人もいる)

10.写真撮影のときにピースサインをしてるとき
(日本人だけが老若男女でやけに好むポーズ)

11.ガソリンスタンドで車から降りもせず、集団で押し寄せてくる店員がフロントガラスを拭いているのを、当然のことのようにただ待っているとき

12.自分の国に帰ってから、みんなと飲みに行って、全員のビールを注ぎ始めるとき
(ビールを注いであげるなんてことはない)

13.家が10平方メートルでも広いと思うとき
(ほっとけ)

14.会社の窓の外の景色が「一面コンクリートだらけ!」の代わりに、「意外と緑もある」とか思いはじめるとき

15.鳥は なく "cry"ものだと思うとき
(英語では鳥は うたう "sing")

16.電話中にお辞儀している自分に気付くとき

17.自分の国に帰って、喫茶店で「アメリカン・コーヒー」を注文してしまうとき

18.母国の両親と電話中に父親に「どうしてぶつぶつと文句でこちらの話しをさえぎるのかね」と言われるとき
(日本人は相手の話しが終る前に話し始めることで有名)

19.母親と電話でしゃべっていると、「ゲンキってどういう意味?」と聞かれるとき
(電話でゲンキと返事する癖がついてしまっている)

20.トラックがバックするときに、童謡を流していてもおかしいと思わないとき

21.ビアガーデンが屋上にあっても不思議に思わなくなるとき
(海外ではガーデンと呼ぶくらいなので本当の庭でやります)

22.バドワイザーを飲んでいると外国人受けがいいんじゃないかと思うとき
(外国のビールも飲んでるよーと嬉しそうに強調しにくる日本人が多いらしい)

23.英文学専攻がバカ女を形容するときのオブラートに包んだ言い方だと思うとき
(英文学というと欧米ではシェークスピアなどの古典にも強く才女のイメージであるが、こちらで英文学科というとシェークスピアの一節も言える女が居ないらしい)

24.納豆の美しい食べ方をマスターしたとき

25.缶コーヒーがおいしいと思い始めるとき

26.車の最初のオプションがTVセットでも不思議に思わないとき

27.夏に半そでを着始める日付が決まってると思うとき

28.赤の反対は白なんだと思うとき

29.高級なウィスキーのボトルを安っぽいバーテンダー相手にキープして帰っても心配しなくなるとき

30.デザートだのフルーツだの独創的過ぎるものが、ランチのサンドイッチに入っていても別段驚かないとき

31.大事な年を平成や昭和の年号で覚え始めるとき

32.握手とお辞儀を同時にする芸術をマスターしたとき

33.人の家の玄関に頭だけ入れて留守かどうか確かめても大丈夫だと思うとき

34.医者から処方箋をもらうとき「これが白い錠剤、こちらが青い錠剤、これはピンクの粉末剤」と言う説明でもなんら不満に思わないとき

35.バーモントカレーという存在のコンセプトに疑問を抱かなくなったとき

36.どうでもよい商品に4重の包装紙が当たり前だと思うようになったとき

37.電車の同じ車両に外人数人で乗車すると調和がくずれるために落ち着かない気分になるとき

38.外国人の友人に必ず「日本滞在年数」を尋ねて種類分けし始めるとき

39.田んぼに囲まれた全く何もないとてつもないへんぴな場所で、飲み物の自販機を見つけても驚かず、電源がどこからきているのかも不思議に思わず、そのぽつんとした自販機がコーラを買ったあとにお礼を言ってくれることにも何も思わなくなったとき
(海外で人気のない場所の自販機は盗難にあって当然)

40.米の銘柄によって味が違うとか思い始めるとき

41.JRやタクシー会社に27本ほど寄付したあとでも、まだ玄関には透明傘が溢れかえってるとき

42.同方向に走る2車線道路では、左側は駐車場だと思うとき

43.ジューシーな最高の豚カツに一番合うのは、味もない千切りになった生のキャベツの山だと思い始めるとき

44.10月に半そでを着ている外人に向かって「寒くないの?」と聞き始めるとき

45.「ノー」を伝えるとき、鼻の上で手を左右に振るとき

46.店でクリスマスソングを聞いてもセンチメンタルな気分にならないとき

47.趣味は「ドライブ」と言い始めるとき

48.濡れた傘には店の入り口で配布しているコンドームが必要だと思うとき

49.12月の日曜日は全て忘年会の二日酔いの回復のために用意されていると思うとき

50.クリスマスイブにケーキを買い始めるようになったとき
(欧米ではケーキではなくクリスマス・プディングが主流)

51.吐くまで飲むのを楽しむとき

52.胸の谷間を見て、うわっとか思うとき

53.お昼の弁当は昨日の残りで、器がハローキティでも普通と思うとき

54.ビール1缶の値段が1ケースの値段と同じことがあっても不思議に思わないとき(初めて知らない飲み屋に行くとショックを受けるのだと思われます)

55.一つの会話につき3回ずつ謝罪している自分に気付くとき

56.どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき

57.片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき

58.買い物している間の30分間、車のエンジンをつけっぱなしにし始めるとき

59.外人の知り合いにまで血液型を聞き出すとき

60.「英語」と「英会話」の細かい差を見出すとき

61.自国に帰ったときにタクシーのドアが開くまで待ってしまうとき

62.阪神タイガースの試合チケットを買って六甲おろしの練習をするとき

63.外人だけが集まるパーティで、誰かが乾杯を言うのを待ってしまうとき

64.本屋に雑誌を読むために行き、読むだけ読んだら棚に戻しても疑問に思わないとき
(海外の本屋は買うところで、立ち読みし放題ということがないのが普通)

65.1個だけの袋詰めされたジャガイモを買い始めたとき

66.旅行のスーツケースの半分をお土産のスペースに使い始めるとき

67.外人がいっぱいのバーに行って危険を感じるとき

68.単語にアンダーラインを引くのに定規を出すとき

69.日本の何もかもがノーマルに思えるとき


Will's Home page:You've Been In Japan Too Long When...
ThinRope.net:You know you've been in Japan too long when...
gadling.com: 33 Reasons Why You've Been in Japan Too Long
より抜粋、意訳、改変、その他記憶より


---------- 【引用ここまで】 ----------

 私が吹いたのは、【8.抹茶アイスも悪くないな】や【35.バーモントカレーという存在のコンセプトに疑問を抱かなくなったとき】、【43.豚カツには、千切りキャベツ】、【56.どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき】、【57.片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき】
【67.外人がいっぱいのバーに行って危険を感じるとき】などでした。


 ここまで自然だと思えたらもう外人じゃありません、あなたは立派な日本人です(爆笑) 

 
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実は知ったかぶりだったりして

2009-06-05 23:45:04 | Weblog
 二週間連続となる平日五日間連続飲み会を終えて、ほっと一安心。来週は一日くらい休肝日がありそうです。

 頭が回らない日は面白ネタをお借りすることにしましょう。「実は知ったかぶりをしているオトナ語ランキング」という記事がありました。

 よく使うんだけど、「そ、それ、どういう意味ですか?」ともはや訊けない単語ってよくありますよね。

 ビジネスの世界でも外来語を中心に、よく分かったような分からないような単語が飛び交いますが、本当にどれくらい意味が分かって使ってます…?ぷぷ


---------- 【以下引用】 ----------

実は知ったかぶりをしているオトナ語ランキング 6月01日 20時35分
 またやっちゃった、知ったかぶり……。
 http://news.ameba.jp/gooranking/2009/06/39363.html 

 


 「今日はNRだからあとは宜しく頼んだよ」と、先輩からのメールに謎の暗号。NRってなんだ? これに限らずビジネスシーンで用いられることが多い不思議な言葉たち。そこで「実は知ったかぶりをしているオトナ語」でいつも耳にしているものの意味がわからずに聞き流してしまった言葉について聞いたところ、最も多かったのは《スキーム》でした。goo辞書国語辞典で調べたところ《スキーム》とは「計画。枠組み」という意味で、新語として登録されていました。

 続いて《イニシアチブをとる》、《マター》とカタカナ表記の新語が続いています。「スキームと言わずに計画と言ってくれればわかったのに……。」なんて言いたくもなりますが、これを目にした今日から例文を参考に使ってみてはいかがでしょうか。

 3位には《架電の件》がランク・イン。架電とは「電話をかけること」という意味だそうです。「教えて!goo」にはこの《架電の件》の用法についての投稿があり、意味は知っていても使い方がよくわからないという人も多いよう。『ほぼ日刊イトイ新聞』ではこうした新語や略語などビジネスシーンを中心に用いられる言葉を「オトナ語」と称して、様々なシーンで使われたオトナ語が投稿されています。また『オトナ語の謎』として書籍化されるほど人気を集めているようです。

 そのオトナ語、ちゃんと意味を分かった上で使っているの? と少々疑問に思いながらも言われたときには「あぁ、そのマターについてですね!」なんて自分もイマイチ自信を持てないままなんとなく使ってしまう……。オトナ語は、こうやってどんどん広まっていくのかもしれません。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 ちなみに、改めてベストテンを書き出すとこうなります。

1位 スキーム
2位 イニシアチブをとる
3位 マター
4位 荷電の件
5位 バーター
6位 ポテンシャル
7位 NR
8位 ガラガラポン
9位 ASAP
10位 ペンディング

 ”スキーム”というのは案外使い方が難しいですね。辞書には確かに「計画」という訳語が載っています。しかしビジネス用語としては、使い方の用例から意味するニュアンスを感じ取る方が正しい使われ方に近づくでしょう。

 例えばこんな感じ。「いまだに、土地を道路や公園のために供出して、地主が儲かるという区画整理のスキームが分からない…」
 「計画」というよりは「制度の枠組み」なんて意味で理解しています。

    ※    ※    ※    ※

 ”イニシアティブを取る”は、一歩先んじて主導権を握るというような意味で使います。かつて一番分からなかったのはアメリカのレーガン大統領が打ち出したミサイル防衛システムの”SDI構想”でした。

 これは「戦略防衛構想」という日本語訳がつけられているのですが、英語では”Strategic Defense Initiative”というものでした。このイニシアティブというニュアンスは、ネイティブの方でなければなかなか理解出来ないと思います。

    ※    ※    ※    ※

 8位の”ガラガラポン”もよく使いますね。”ガラポン”とも言いますが、「仕切治し」の意味。「駄目だ、その発想の先に答えはない!一回ガラガラポンしよう」なんてね。

 子どもたちが駄菓子屋の前で100円でプラスチックの玉の中に入ったキャラクターを出すのは「ガシャポン」または「ガチャポン」。毛むくじゃらのキャラクターはガチャピンです。

    ※    ※    ※    ※

 9位の”ASAP”は案外分からないかも。”As soon as possible”=「できるだけ早く」の頭文字を取った造語です。意味を調べているうちにどんどん遅くなりそうです…。

 さて皆さんが理解出来て、日常会話で使える単語はいくつありましたか?

 
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