昨日は、新聞は紙だからこそ広告料で儲かるのであって、ネット配信に移行しても広告料が上がらなければビジネスにはなりにくい、という話を書きました。
紙の新聞だったら、再販制度によって定価があるというのもありますが、ひと月に3千円くらい払うのがまあ常識的な線が人々の頭の中に出来上がっています。
これだって相当に長い時間をかけてここまでもってきたわけで、一定の額を負担する覚悟ができているというのは社会的な資産だと考えられます。
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世の中にはさまざまな資産があります。
見えるところでは土地や森林、湖などの天与の資産もあれば、道路や橋やダム、上下水道、公園など祖先が営々と築いてきた公共施設もあります。
見えない資産というのもあります。
病院は目に見えますが、医療水準や救急体制などは目には見えません。しかし高い確率で人の命が救われる国にいるという事がどれだけありがたいことか、国民は皆感じているでしょう。
銀行やマスコミ、流通などの機能も目に見えない資産です。建物は目に見えても、正しく機能しているでしょうか?
法律や福祉などの制度も立派な資産です。社会の決まりごとがあることで社会の困りごとを解決する秩序が保たれます。しかしそうしたことが不足していると問題解決を難しくします。
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今日、釧路出身で生活保護行政の超エキスパートであるKさんという方が私のところを訪ねて来てくれました。
福祉行政の最前線でいろいろな意見交換をしたのですが、「生活保護をもらえる前提にミーンズテストという資産調査があるのがおかしい」と憤っていました。
Kさんの主張は、「資産チェックも大事ですが、収入があるかどうかで判断すべきなのだと思います。でもそのためには本人への収入を確実に捕捉しなくてはなりません」
「それが難しいですよね」
「はい、やはりマイナンバー制などを導入して、確実に本人の収入を補足してごまかしがきかないような社会制度が必要です。でもそれがないために、さまざまな不正や批判が起きているのも事実です」
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Kさんは生活保護のエキスパートですが、現行の制度に満足しているわけではなく改善すべきだが、そのためには不正が起きないような社会制度が必要だ、ということを述べているのです。
こうしたことも現代社会における目に見えない資産だという事がお分かりでしょうか。
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さて、目に見えない資産としてさらに挙げられるのが、社会の民度や気概、不正をしないという常識、お国柄などの心の中の問題です。
落とした財布が中身もそのままに届けられる社会がどれほど幸せに満ちていることかは、そうではないことが常識の国に行けばすぐにわかるでしょう。
そして同じように、冒頭で述べたように、ある程度の負担は仕方がないという社会的なコンセンサスがあるという事、気構えがあるという事も社会にとっての資産なのです。
それを簡単な気持ちで値下げさせることが社会の利便を増すかどうかはメリットとデメリットをよく考えてみなくてはならないと思います。
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さて話を元に戻しましょう。
配達される新聞にひと月3千円を払うコンセンサスは出来上がっています。
しかし、ネットの新聞にいくら払うかはどうやらまだコンセンサスが出来上がっていないようです。
つまりネットでの情報配信サービスの質と対価についてはまだ社会が慣れていないので落ち着きどころが見えておらず、したがってビジネスモデルがなかなか構築しきれないという状況なのではないかと思います。
そこへのブレイクスルーが強く求められます。
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また昨日の朝日新聞の社長さんの弁による、「ネットについてこれない記者はいられなくなるかもしれない」ということの裏側には、「他の記者の記事には金を払わないが、お前さんの記事ならお金を払っても読んであげるよ」と言われるような記者になれ、ということを意味しているのでしょうか。
だとしたら、これは新聞社としての記事が信じられるのではなく、個人の記者が信じられる時代になりつつある、という怖い事態も招きそうです。
良い記者の記事も悪い記者の記事も、まとめてひと月3千円が、良い記者の記事だけは2千円で売れるが、人気がなく記事内容に信頼がおけない記者の記事は売れないというわけです。
逆に売れる記者なら、すぐに転職したり独立したりするかもしれませんね。まるで塾の人気講師や、テレビ局の人気アナウンサーのようです。
でもこうした個人の能力も、実は個人レベルでの資産と呼べるのですから、それを磨くに越したことはありませんね。
ネットの到来によって、総体では売れずに切り売りが始まるかもしれません。
こういう時代をどう生き延びてゆくか。
まずは自分自身を信じて得意なものを伸ばすことしかありません。
いつやるのって?今でしょうね(笑)