北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「右肩が痛いのですが」「ヤキュウカタだね」

2018-04-11 23:30:27 | Weblog

 

 一か月ほど前から、左の肩が痛くなりました。

 妻も半年ほど前から肩の傷みで通院やリハビリを行っていて、「歳なんだよ」と笑っていたので、まさに「天に唾をする」ようなものです。

 ここ一か月は、自分でマッサージしたり、市販の湿布薬を貼ったりしてなんとか治そうと努力してきたのですが、状況は改善しません。

 それどころか、ここ二、三日は、寝ているときに右から左に寝返りを打とうとして、その痛さに目が覚めたうえ、右肩が痛くて布団を持ち上げる事ができず、左手で右腕を持ってようやく寝返りを打つ始末。

 ことここに至ってついに覚悟を決めて、整形外科を受診することにしました。

 
 しかし、通勤途中にある自宅近くの整形外科は、十人くらいのお年寄りたちが、受付順を確保するために朝8時から並んでいるほどの混みようで、これでは待ち時間がかかりすぎ。

 そこで、職場近くのまちなかの整形外科にかかることにしましたが、ビルの中にあるこの整形外科は、待っている患者さんが少なくて、問診票を書いている間にもう看護師さんに呼び込まれました。
 空いているのも医療サービスの一つだと思ってしまいます。


 お医者さんは年配の白髪の先生ですが、いつからとか、原因に心当たりがあるか、など型通りのやりとりをしたあとで、肩を回してチェック。

 右腕を直角に曲げた状態で、腕を前に曲げる分には痛さを感じませんが、反対の後ろに回すと、「イテテテ…」「あ、こっちね」

 その後でレントゲン写真を二枚とって、再び診断を始めます。

「スポーツは何かしていますか?」
「釣りくらいですね」

「釣りは投げ釣り?」
「今はオフシーズンなのでワカサギ釣りで、釣りが原因じゃないと思います」

「…うーん、"ヤキュウカタ"なんだよね…」
「ヤキュウカタってなんですか?」

「ベースボールの"野球"の野球肩。ピッチャーが球を投げようとする動作をすると痛いでしょ?」
「あ、そうです、そうです。でも年齢からくる老化かな、と」

「老化じゃないんだよね。なにか変な動作を繰り返して痛めたんだよなあ。じゃあ、飲み薬と注射とどちらがいいかな?」
「より効く方が良いですが、注射ならそちらをお願いします」

「そうですか、薬がどう回るかもわかるから注射の方がいいね」

 そういってヒアルロン酸注射を一本肩にブスリ。

 そのうえで、貼る湿布を処方して、肩のリハビリの方法を理学療法士さんから教わりました。

 基本的には、壁際に立って痛くなり過ぎないギリギリまで右腕を上げてそれで静止すること20秒~1分。これを三回が1セットで、一日三セットやるように、ということで、まずはこれで様子を見てみることにします。

 全体に感じの良い病院で良かったです。初めての病院ってちょっと緊張しますよね。


    ◆


 帰り道で、(原因はなんなんだろう…)と歩きながら考えていて、はたと気が付きました。

 それは「車の洗いすぎ」。

 ここ何週間は泥道を走って車が汚れたのをせっせと落としたりワックスをかけたりすることが多かったのですが、これって結構右肩で強く押し付けるような動作が多く、もしかしたらこれが原因かもしれません。

 野球肩ならぬ洗車肩か(笑)

 皆さんも時節柄、洗車のし過ぎにはご用心を。

 

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ペナルティはケーキ

2018-04-10 22:55:18 | Weblog

 

 職場の女性事務員と賭けをしました。

 日本アスファルト合材協会と言う、舗装のアスファルト合材を製造する企業が会員になっている団体が、年に4回、三か月に一度発行している機関誌の表紙に、どちらの投稿写真が載るか、というものです。

 4月発行分の締め切りは1月末で、「過去の冊子を見ても、4月発行の冊子だから春の写真が良さそうだ」というところまでは気が付いて、それぞれ手持ちの春の写真を投稿したのです。

 ただの勝負では面白くないので、どちらかが掲載された場合、負けた方はオフィス全員にケーキをごちそうする、というペナルティをお互いに課しました。

「採用になったらメールくらい来るよね」と言っていたのですが、事務局からは全くの音沙汰なし。

「これは二人とも落選だな、よし、ドロー」と行った時に、女性事務員宛に封書が一通届いて、中を開けてみると、今月号の冊子が一冊と、「写真を採用させていただきました」というお知らせの通知が一枚入っています。

「こ、これ、私が当選!? あ、本当だ。これ、私が送った写真です!」

 彼女がご主人と青森県を旅した時に、弘前城公園で撮影したサクラの写真が堂々と表紙を飾っています。

「な、なにーっ!やられたー」

 なんと写真対決は私の負け。

 ペナルティとして、私も含めてオフィスの8人分のケーキを買わされる羽目になりました。

 しかも「ついでに、十勝フェアで蹄鉄の形をしたクッキーもあったので買っちゃいました(笑)」と、知らないうちにおねだり作戦も展開されていました。

 カメラがスマホ中心になってしまうと、質の高い風景写真ってなかなか撮ることもありません。

 こういった写真の募集って、案外あるものですね。

 単なる記録写真にとどまらず、改めて良い風景写真を撮るように心がけてみましょうか。 

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蕎麦の会の総会に向かう途中で

2018-04-08 23:46:46 | Weblog

 

 

 入会している、「北海道そば研究会」の総会のために奈井江町へ行ってきました。

 朝方の札幌は雪がうっすら積もっていてちょっと驚きましたが、すぐに融けました。さすがに雪とはいっても春の雪です。

 奈井江町へは、三笠インターで高速道路を降りて国道12号線を北上しました。

 修繕されている箇所は走りやすいのですが、早春から言われているように、道路の傷みが激しい箇所があって、その傷み方も相当にひどい状態です。

 一個一個の穴を埋めるのではなく、穴が連続して開いたところを四角く切って、広く修繕しているのは良いのですが、せっかく修繕してもまたそこが傷んでいる。

 これは、帰りの国道275号線も同じで、やはり重車両の交通量が多いところは傷みがち、しかも傷みの度合いが強いと、表面のアスファルトを直しても、舗装の下部の路盤と呼ばれる部分が傷んでいるという根本を直さないので、再び傷むという事を繰り返しています。

 車で走っていても、ガタガタという振動が続くと気持ちの良いものではありません。行楽シーズン前に修繕が効くでしょうか。


    ◆


 さて、北海道そば研究会の総会では、今年が設立30周年であり、記念式典や関連イベントを行うという方針が決まりました。

 私は設立されてから11年が経過した、平成11年に入会したので、まだ年季は20年足らず。

 後から入った、私よりずっと後輩とは言いながらずっと高齢の会員の方の方が腕を上げて上手になっています。

 しかし問題はやはり平均年齢の高齢化。若い人がほとんど入ってこなくて、70歳以上の会員も多く、すぐその先にどうなるかが見通せません。

 しかしこうやって総会で親しい皆さんの元気な姿を見て、またイベントに汗をかこうという気持ちが強くなりました。

 今年も美味しい蕎麦を打ち、天ぷらを揚げて、美味しい思いをするぞ!

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ポップコーンを食べながら日高晤郎追悼番組を聴いている

2018-04-07 23:33:08 | Weblog

 

 道産品アンテナショップ「道産食彩HUG(ハグ)」で、電子レンジで作るポップコーンという商品を見つけました。

 商品名は「十勝ポップコーン~黄金のとうもろこし畑」で、十勝の本別町にある前田農産さんの商品です。

 今までもアルミ製の鍋に油と一緒に密封されているような商品はありましたが、こちらは電子レンジでチンするタイプ。

 アウトドアの焚火では作れませんが、ご家庭で手軽に出来立てのポップコーンが楽しめます。

 値段は一個230円(税込み)で、内容量は56g。油の加減が程よくてべたべたしすぎないのが良いですし、塩加減がちょうど良くて食べ飽きません。

 ポップコーン本来の香ばしい味を引き立てるため、沖縄の海水から採れた塩を使用しているそうですよ。

 家庭で食べるのも良いですが、北海道のお土産としてもこじゃれた感じで楽しそう。良い商品を見つけました。

 

    ◆

 

 今日のお昼はこれを食べながら、STVラジオの「日高吾郎追悼番組特番 ~良く笑えた日は佳い一日だ~」を聴いています。

 司会は吉川のりおアナウンサー。

 日高晤郎さんは、昨年12月から変調を感じて通院を始め、その時点では軽い処置程度で推移していたそう。

 それが、今年に入ってから悪性腫瘍と判明。それに対処すべく通院もしていましたが、本人の強い意向で、(3月23日の)「明日への贈り物」というイベントが終わるまでは入院も手術もしない、とお医者さんにお願いして仕事を続けていたそうです。

 結局その翌日24日が最後の日高晤郎ショーとなりました。

 本人が何を感じ何を考えていたのかは、もう推し量ることしかできませんが、結果として一番聴視者やファンの心に残る終わり方になったのではないでしょうか。

 そういう意味でも、一人のラジオ芸人として、芸人冥利に尽きるエンディングだったことでしょう。

 今日の放送は録音もしたので、後でもゆっくりと楽しむことにします。

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ビリでいいのだ、ビリ万歳!

2018-04-06 23:50:38 | Weblog

 

 振り返ってみると、僕は成績は悪いが運は良かったのだと思う。

 大学に入った時は、入学時は理類という大きなくくりで入れてもらったが、多分それもかなりびりに近かったと思う。

 大学は二年生の後半に、学部と学科を決めて、それまでの教養時代の成績順に希望の学部に配属になる。

 いくら良い成績でも、目指す学科の定員が満員ならば入れないし、逆にいくら成績が悪くても空きさえあれば入れるというシステムだ。

 僕は農学部農学科という学科に入りたくて、そこを第一志望にした。定員は25名。

 食用作物、工芸作物、育種、果樹蔬菜、花卉造園という5つの講座ごとに5名の募集人員なので全部で25名なのだ。

 指定された発表日に、農学部の掲示板を恐る恐る見に行くと、僕の学生番号が農学科の蘭に記載されていた。合格だ!

 しかし良く見ると、番号は26番。

 後から聞いたけれど、この年は留年性が多く、少しずつ移行定員を増やした結果、農学科は26名の学生が合格だったのだ。僕は小指の爪一枚引っかかる形で農学科に入ることができた。なんという幸運!


 学生時代も、出来が良いわけではなかったが、なんとか国家公務員試験造園職に合格できた。

 造園という職種で、進路は建設省(当時)と意を決して面接に臨んだ。

 面接の待合室には10人ほどの志望者がいて、ここでも成績順に名前が呼ばれて面接を受けに部屋を出ていく。

 僕の順番になって、面接官の前に進むと、面接官が申し訳なさそうな顔をして、開口一番、「小松さん、実は君の前の人で建設省の募集枠の4人が決まってしまいました」と言う。

 驚いて、「ではどうしたら良いでしょうか」と訊くと、「公団や地方自治体からも紹介の要望があるけれど、国家公務員であれば、北海道開発庁(当時)が一名募集をしています」と教えてくれた。

 考える時間もなく、「それでは北海道開発庁に行きたいと思います」と言うと、「では連絡をしておくので、そちらへ面接に行ってください」と言われ、僕は北海道開発庁採用となり、その結果、公務員生活も北海道で終えることになり、今に至る。

 もし建設省採用になっていたら、公務員生活の最後は東京になったはずで、ビリ万歳である。


 そうやって始まった公務員生活だったが、縁が縁に繋がって、掛川市で榛村純一市長(故人)の下で国から派遣の最後の助役として3年間を過ごすことができた。ビリの助役だ。

 それが縁でまた釧路市の副市長になったときに、釣りに出会って、先日亡くなった川野先生の晩年と袖すりあうように多生の縁をいただき、釣りの楽しみというものに引き込まれた。


 今年になってから榛村さんが亡くなり、川野先生が亡くなった。

 一つの時代が過ぎて行ったように感じるけれど、それでも僕は、榛村さんと川野先生という偉大な先輩たちとの縁を滑り込むようにして、ビリで得ることができた。

 伝説になってゆくであろう人と、リアルな時を過ごせたという事は、もう書き物や人の言葉で得られる以上の思い出を抱きながら過ごせる幸せにつながっている。

 トップで、一番にその世界に入るのではなく、ビリがおずおずとその世界を見せてもらっているのだから、当然この世界を垣間見られることの幸せに感謝する思いが人一倍強いのではないか。

 何番目でも試験は合格すればよいけれど、ビリにはビリなりの感慨がある。

 ビリでもいいのだ!ビリ万歳だ!ビリなんて、なろうと思ってなれるものじゃない。

 この幸運を大いに味わってやろうじゃないか。はっはっはー


 【在りし日の川野先生と】

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道路が凸凹? ~ そうなる前に直せばよいものを

2018-04-05 23:56:56 | Weblog

 

 建設業や公共事業関連の話題って、業界紙とは違う一般紙はほとんどとりあげてくれないという印象があります。

 道路も橋もダムも、多くの道民、国民がそれなくしては暮らせないし、それらのおかげで便利で安全・安心な日常が営めているはずなのですが、それらに関心を向けようとはしません。

 ところがさすがに、インフラが傷んで市民生活に支障が及ぶようになれば、話題にせずにはいられません。

 今の北海道の大きな困りごとは、道路の凸凹。本州に住んでいる方なら「道路の凸凹って、何を言っているの?」とイメージがわかないかもしれません。

 ところが北海道の道路って、特に春に傷みます。

 気温が上がって雪が融けると融けた水がアスファルトのひび割れなどから舗装の下に入り込みます。それが夜に気温が下がると凍ってアスファルトを少し持ち上げます。

 そんな状態の時に、特に重車両が走ると舗装が踏まれていた見ます。

 道路を傷めるのは重たい車です。軸重の差は4乗になって道路を傷めます。重さが2倍の車は16倍道路を傷め、重さが5倍の車は625倍道路を傷めます。

 そうして春先に道路にたくさん穴が開いてしまいます。これらはまさに雪が融けると凍るを日々繰り返す、積雪寒冷地特有の気象状況で、特に今年は春先に暖かい日が出たことで、融けるのが早く、道路をより傷めたことでしょう。


    ◆


「これでは走行に支障が出る」と、トラック協会やハイヤー協会、バス協会が、道路管理者に道路を直してほしい、と要望書を出したと聞きました。

 我々のような施工業界団体は、「道路をちゃんと直さないと傷みが進行して市民生活に影響が出ますよ」といくら言ったところで、「結局君たちは仕事が欲しいのだろう」という色眼鏡で見られてしまいます。 
 
 道路を使わない年ごとにならないユーザー団体が声を上げてくれたことはついに我慢の限界が来たか、と心強い反面、こんなことになる前に直せるともっと良いのに、とも思います。

 一つだけ留意してほしいことがあります。

 春先の補修工事で、穴にアスファルトを詰めて穴を塞いでいるだけの工事では、根本的な解決にはならないという事です。

 穴が開くという事は、表層のアスファルトにひび割れが入っているという問題もありますが、根本的には車の重量を支える"路盤"と呼ぶ、砂利を敷き詰めた層も傷んでいることが多いという事。

 だから、まだ大穴が空かないひび割れ状態であれば表層を削って新しいアスファルトを敷き詰めれば、状況は大きく改善しますが、穴が何個も空くようになってしまったら、もう路盤から直さないと、いけないのです。

 傷みが目に余るようになる前の、早め早めの計画的な修繕こそが、インフラを安く長持ちさせる最善の方法です。

 そもそも、壊れたら直すなんて、技術屋じゃあありません。壊れる兆候を見逃さずに、人に知られる前に直してこそプロの技術屋でしょう。

 今は予算状況がそれを許してくれません。

「壊れるまではいいだろう?壊れたら言いなさい。そうしたら直すから」

 社会の質の劣化は、そういうところから始まるのです。

 日本という社会の質のレベル低下の問題は、物事が分かっている現場の技術屋の目が生かせないからなのだと思うのです。

 ささやかなる抵抗をしなくては、ね。
 

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追悼 ドクター川野 ~ 釣りは奥が深い遊びです

2018-04-04 23:55:55 | Weblog

 昨日は北海道のラジオ芸人、日高晤郎さんの訃報について書きましたが、今日も追悼文になってしまいました。

 私が釧路でフライフィッシングを始めたころに、人づてに道東へ遊びに来てくれた釣り大先輩のドクター・カワノこと、川野信之さんが亡くなられたという報せが届きました。

 川野さんは、1943年福岡市生まれで、現役の脳外科医にしてフライフィッシャー。

 特に脳腫瘍に関しては研究論文も多く、世界的な権威なのですが、一緒に釣りをしている分には、そんな姿はみじんも見せず、ただただ優しい釣り兄貴でした。

 川野先生は、職業柄、英語やラテン語を読むことに苦労しない、というご自身のスキルに気が付いて、あるとき「用語辞典を書こう」と思い立ちました。

 釣りの技術用語から始まって、フライのスペル知りたさに原書を買いあさり、書く範囲も釣り具、魚、フライ・パターンへとその興味の範囲が広がって、集めた書籍は400冊を超えたと言います。

 そうして大いなる苦労の末に出来上がったのが、「フライフィッシング用語辞典」。

 釣りを始めたころに、川野先生と一緒に釧路の川を歩き、そういう本があると聞いて買い求め、甘えついでに、「先生、ぜひ直筆サインもお願いします」と言ってみたら、ご丁寧な釣りへの誘いの言葉を寄せてくださいました。

 今ではこれもまた一つの宝物です。

    ◆

 執筆の苦労について先生は、後書きでこう書かれています。

「…この本ではさもわかったようなことを書いたが、正直な話、あやふやな、不確かなこともたくさんあってネ、まあ、真実にたどり着こうと"もがいてみた"というところだろう。好奇心と維持に駆られて、曲がりくねった巷間にさまよい込んだ十数年だった」

 しかし川野先生のご苦労というか狂気(笑)のお陰で我々、後に続くものは、釣りの奥深い興味に触れることができるようになりました。

 一緒に時を過ごした素晴らしい仲間がいなくなるのは寂しいですね。

 でもいなくなって寂しがるくらいなら、今をもっと一緒に過ごした方が良い。

 今年はフライフィッシング辞典を片手に、釣行を楽しむことにします。

 雲の隙間から下手な技を笑ってください。 ご冥福をお祈りします。

 

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追悼 日高晤郎どの

2018-04-03 22:49:28 | Weblog

 

 ネットニュースで、ラジオ芸人の日高晤郎さんの訃報を知りました。今日はやはりこのことに触れずにはおられません。

 日高晤郎さんとは、北海道の地元ラジオ局STVラジオの土曜日9時間生放送「日高五郎ショー」のメインパーソナリティ。

 北海道民ならば歯に衣着せぬ物言いに、「好き」「きらい」はあれど、大概の人が知っている人気者でした。

 私自身は彼を、「アナウンサー」ではなく、「司会者」でもなく、「MC」というのでもなく、「『語り』で聴かせるラジオ芸人」でもなく、というのが一番ふさわしい表現ではないかと思っていました。

 日高吾郎ショーを初めて聞いたのは、多分就職した一年目のことで、番組の年表を見てみると、1983年から始まった土曜日昼の12時から15時までの三時間番組だったと記憶しています。

 このときに、芸人の人生を語りで聴かせるコーナーがあって、その語りの見事さに「誰だ、この人!?」と度肝を抜かれたことを今でも覚えていて、それから土曜の午後といえば、この番組をよく聴いたものでした。

 真面目な聴視者ではなかったし、番組の中で不出来なスタッフを真顔で叱り飛ばすような口調にいたたまれなくなることも多く、最後は好きなコーナーだけをつまみ食いで聴くようになっていました。

 それでも「土曜日には日高吾郎ショーがある」という思いはいつも頭の片隅にありました。

 ここ数年、しゃべりに詰まったり、言い間違いをして「今のなんだよ!(笑)」と自虐的に笑いに替えるシーンが多く聞かれるようになったことに気づきました。

 そして(こういう長寿番組の終わりというのはどういう形で現れるのだろう?)などとぼんやりと考えていました。

 (引退なんてことはなくて、きっと死ぬまでやり続けるんだろうな)と思っていたのですが、まさかそれが本当になる日が来るとは。

 不真面目なリスナーだったけれど、やっぱりあの毒舌が聞けないと思うと寂しくて、これって「日高吾郎ロス」なんだろうなあ。

     ◆

 日高吾郎ショーには、朝8時20分くらいから始まる「晤郎の語源・雑学・縦横無尽」という名物コーナーがありました。

 「あ」から始まって五十音順にある単語について、文字通り語源・雑学を自分で調べて十数分にわたって語り聞かせるコーナーでしたが、多分コーナー別聴視率がかなり上位だったと思います。

 最後になったときのテーマは「伊達」でした。

 「伊達男」と言われるように「魅力的」、「見栄」、「粋」などの意味もある「伊達」が最後に選んだ言葉だったとは、散り際の見事な芸人魂でした。

 就職以降のわが人生を楽しませてくれた日高さんに心からの感謝を捧げ、ご冥福をお祈りします。 合掌

 

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人事異動があるたびに

2018-04-02 23:46:33 | Weblog

 

 いよいよ今日から事実上の新年度の始まり。

 朝通勤のバス停へ向かう途中で、「今日はどれくらい新社会人たちで混んでいるのかな」と思いきや、バス待ちの人数がとても少なくて拍子抜け。

 新人が増えるどころか、今まで乗っていた人が転勤などで減ったのでしょうか。もう少し様子を見ないとわかりませんね。

    ◆
 
 さて、この時期、国や道庁などの官庁では一番の人事異動の時期なので、今は新聞と首ったけになって、誰がどこへ異動した、という情報を集めまくっています。

 お世話になる役職の所に、知っている人がいるかいないか、というのはビジネスの世界では大きな環境変化です。

 "知っている人"ならちょっと安心ですが、単に知り合いというレベルと、過去に自分の部下だったことがあるような人とは大違い。付き合いの深い人ならば訪ねる時の安心感が違います。

 逆に"知らない人"であれば、つてをたどって紹介してもらい、「初めまして」からお付き合いが始まりますが、相手の警戒感を解いて自分と付き合うことが必要だ、と思ってもらうようになるのは一仕事。
 
 「知ってもらう」は営業の第一歩ですが、これがどれくらい大変な仕事なことか。

 相手とどういう共通点があるか、というところから始まって、次に会う時に「こんにちは」から始められるような知り合いのレベルを上げる技なんて、新人の時にまず無理です。

 ある程度人生経験を積んで、自分が何をしてきたか、何者か、ということが自分でもわからないうちは自己紹介もできません。

 組織の地位のなかで異動・転勤をしてきた、というのは受動的な経験なので、その中で「自分は何を考え、何をしてきたのか」ということを自分の言葉で語れるように練習しておくことが大事です。  

 まちなかに新人っぽい若者が歩いているのを見ると、心の中で(がんばれー)と応援したくなる季節です。

 
 

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吐いてから吸う ~ 捨ててから始める

2018-04-01 23:56:25 | Weblog

 先日友人と、Goproというハンディカメラの話になりました。

 友人曰く、「取付場所を選ばないし、スキーやアウト度活動をしている間中ずっと動画撮影ができて、ただの遊びからすごい動画が撮れるよ。小松さんもぜひ使うといいよ」ということで、買う事を強く薦めてくれました。

 私も以前から、興味があって購入寸前まで行ったのですが、結局踏ん切りがつかずに買わずにいます。

 その一番の理由は、そろそろいろいろなことや身の回りのことを整理する必要を感じているからです。

 今から何か新しいことを始めるなら、いまやっていることを止めたり、持っているものを捨てるなりして、受け入れ態勢を作らなければなりません。

 それをしないままで新しいことに飛びつくと、自分のスペースや時間が上手に使えないということに、私はもう気が付いています。

 自分の一日のなかの時間の過ごし方、一週間の過ごし方、一か月、そして一年の過ごし方というのはおおむねルーチンが固まっています。

 年間のスケジュールにも、もう新しく何かを入れるような余裕がないし、省みれば、いまはもうやらなくなった活動や趣味のための道具や本、材料などが家の中にはあふれかえっていることに気が付くのです。

 逆に思い切って早めに整理をして、余裕を作ってから何か新しいことを始める、ということはあるかもしれません。時間が有限ということをひしひしと感じます。


    ◆


 ものごとは、余裕の空きがあるから何かを入れる余地があるのです。

 呼吸は、先に吐き出すことで初めて新しい空気を取り入れることができます。

 死ぬことを「息を引き取る」と言いますが、これは吸った呼吸が吐き出されなくなることを意味しています。

 逆に死にそうな人が生き返ることを「息を吹き返す」と言います。吸いっ放しになっていた息が吐き出されたことで、正常な呼吸が蘇ったことが生きている証です。

 悪い空気を吐き出すように、身の回りから余剰をはき出せば、何かを入れる余裕ができるかもしれません。

 新しい年度の始まりは、まずはお片付けから始めましょう。

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