昨日の都市計画学会のなかで行われた、弘前大学北原先生の特別講演は、「北からの都市計画を考える」というものでした。
大都市の市街地をどうするか、という旧来からの都市計画のテーマに対して、人口減少化の地方都市においては、テーマそのものがもはや変わっているというお話。
単純に制度を整備して、事業者はその制度の中で自由にやるというような法律や制度だけでは、ローカルの都市でのまちづくりは語れません。
昨日の講演では、そんなローカルの中でも地域の歴史や伝統、文化などを生かして地域を活性化させようとするいくつかの事例が紹介されました。
講演後の質問の時間になって、私は北原先生に質問をしてみました。
それは「地域のある種の人たちが、自分たちで覚悟を決めてお金も出して、新たな取り組みを始めたという事は素晴らしいと思います。ところで、そうした創業の志を持ったグループの思いは、次の世代に繋がっているでしょうか。しばしば、創業のグループがそのまま高齢化して消えてゆく、という事例を見聞きしているものですから、敢えてお伺いします」というものでした。
危機感を感じて、解決のための新しいプロジェクトを立ち上げるような先進的事例は、いろいろな文献や講演会などでも紹介されて、感心することが多いものです。
ところが、そうした先進的事例がありながら、他の地域ではなかなか後に続くような同様の事例が立ち上がらなかったり、せっかく立ち上がったプロジェクトも、創業の人たちグループが支えるだけで、その人たちがいなくなった時に、消滅してしまうという事例が実に多いのです。
中国の古典「貞観政要」には、「創業と守成いずれが難きや」という段があります。
ある時、唐の太宗 李世民が側近に「帝王の事業の中で、創業と守成とどちらが難しいだろうか」と尋ねました。
「守成」というのは、受け継いだ事業や商売を続けてゆくということ。
ある大臣が最初に「群雄割拠する中で、これらの敵を降伏させ勝ち抜くことは命がけであり、創業こそが困難と思います」と意見を述べます。
ところが重臣の魏徴がこう反論しました。
「帝王が創業の為に立ち上がる時は、必ず前代の衰え乱れた後を受け、ならず者を討ち平らげますので、万民はこれを喜びこぞって命令に服します。帝王の地位は天が授け万民が与えたもので、創業は困難なものとは思えません。
しかし一旦天下を手中に収めてしまえば、気持ちがゆるんで驕る気持ちが出てまいります。
人民は静かな生活を望んでいるのに役務はなくならず、人民が食うや食わずの生活を送っていても、帝王の贅沢の為の仕事はなくならない。国家が衰えて破滅する原因は、常にこういうところにあるのです。それ故、守成の方が困難であると考えます」
この両方の意見を聞いて太宗は、「かつて私と一緒に生死を共にすれば創業が苦労と言い、天下が安定した後に私と共に政治を行えば、驕りが出ることで危急存亡に至ることを心配するものだ。創業の困難が過去となった今であるから、今後は守成の困難を乗り越えてゆこう」と言ったといいます。
まさに歴史を紐解けば、飛ぶ鳥を落とす勢いで天下を取りながら、急速に勢いを失う天下人は多いわけで、我々は歴史から学ばねばなりません。
商売も同じで、創業の苦労を過去のものとして、事業を二代目、三代目が承継して時代の変化に対応しながら続けてゆくのは大変なことでしょう。
そしてまちづくりもまた同じ。
一度生まれた新しい事業や動きを、しっかりと後に繋いでゆくことは大切です。
それもただ古い決まりを墨守するのではなく、常に進取の気質を持ちながら、事業を生き物として継続してゆくこと。
古典に学び、肝に銘じましょう。
なお、私の問いに対する北原先生の答えは、「今は息子さんたちの世代が引き継いでいますよ」とのことでした。
うらやましいですね。